お兄ちゃんのオムライス

笛希 真

お兄ちゃんが結婚する


亜里砂ありさ、ビッグニュースよ!」


 夕飯を食べ終え、自室のベッドでごろごろと寝っ転がりながら雑誌を読んでいると、お母さんがノックもせずに部屋へと入ってきた。

 いつだってそうだ。わたしに対して「女の子なんだから気配りのできる人間になりなさい」なんて口癖のように言うくせに、お母さん自身はがさつで、ノックをするなんて配慮をしたこともない。


 さすがに文句のひとつでも言ってやろうと思った。だが、続くお母さんの言葉にその不満もどこかに吹き飛んで行ってしまうことになる。


「お兄ちゃんが結婚するって!」


「へぇ……」


 わたしの口から自分でも驚くほど間の抜けた声が漏れた。頭の中に用意していたのはお母さんへの文句だったため、あまりにも予想外な話題に頭の切り替えがうまくできていなかったのかもしれない。

 これにはお母さんの方も呆れた様子でため息をついた。


「へぇって、あんた……。実の兄が結婚するっていうんだから、もうちょっとなんか言うことあるでしょうよ」


「いや、お兄ちゃんにそんな人がいるなんて意外だったからさ……」


 わたしのお兄ちゃんは一言でいうなら大男だ。


 高校、大学とラグビーをやっていたので、わたしが後ろに並んだらすっぽりと隠れてしまうほど縦にも横にも大きい(まあ、わたしがチビということもあるが……)。性格もその見た目通り豪快というか大ざっぱなので、とてもモテそうなタイプには思えなかったのだ。


「そうよねぇ。さっき電話もらって、お母さんもビックリしちゃったわ。急に『おれ、結婚することにしたから』なんて言うんだもの。なにかの冗談か新手のオレオレ詐欺かと思っちゃったわよ、本当に」


 自分の息子の吉報だというのに酷い言いようである。ただ、お母さんからしてもそれほどまでに驚きの出来事だったのだろう。


「それで今度の土曜日の夜にお相手の子を紹介しに家に帰るって言ってたから、亜里砂もちゃんと予定空けとくのよ」


 そう言うと、お母さんはわたしの返事も聞かずに部屋から出て行ってしまった。まったく。我が母親ながらせわしない人である。


 それにしても、お兄ちゃんが結婚か……。


 正直、特別なにか思うことがあるわけではなかった。実の兄が結婚するというのに特に感想もないというのは、もしかしたら妹としては薄情なのかもしれない。

 ただ、わたしがそんな風に思ってしまうのは理由があった。


 それは歳の差である。


 わたしとお兄ちゃんは年齢がちょうど一回り離れており、わたしがいま17なので、お兄ちゃんは29歳だ。


 歳の離れた兄がいる人ならわかると思うが、ここまで年齢に差があると、兄妹の関係というのはふたつのケースに分かれるものである。

 ひとつは、兄が妹のことを娘のように可愛がり、絆がふつうの兄妹よりも強固なものになるケース。

 もうひとつは、反対に繋がりが希薄になってしまうケースだ。

 わたし達の場合は後者だった。


 というのも、わたしが小学校に通い始めるタイミングで、お兄ちゃんが高校を卒業して実家を出てしまったからだ。そのため、お兄ちゃんと一緒に暮らしていたのはたったの6年間だけ。しかも、そのほとんどがわたしが赤ん坊で自我の形成がまだなされていない時期だ。つまり、実質的には1、2年くらいしか一緒に暮らしていないわけである。

 その後は、正月に帰省してくるときくらいしかお兄ちゃんと接する機会はなかった。なので、わたしにとってお兄ちゃんという存在は、兄というよりも1年に一度だけ会う親戚のおじさんに近いものになっていたのだ。


 だからこそ、お兄ちゃんが結婚すると言われても、どう祝ってあげればいいのかわからなかった。それほどまでにお兄ちゃんのことを知らなすぎるのだ。


 わたしはお兄ちゃんになにかしてあげられることがあるだろうか。


 ベッドの上でごろんと仰向けになって目を閉じる。そして、お兄ちゃんとの思い出を頭の中で振り返った。

 思い出の数が少ないだけに、記憶を遡るとすぐにひとつの印象的な出来事に行き着くことができた。


 それは10年以上前の思い出。


 あんまりにも昔の話なので、すっかり色あせている思い出。


 だけども、お兄ちゃんとの一番の思い出。


 そして、そんな思い出を呼び起こし、わたしはお兄ちゃんにしてあげたいことがひとつだけあったと気づくのだった。

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