第43話 西の果てで
「こんにちは、トコヨ様」
「あらまあ、カオルちゃん」
トコヨはおっとりと笑んで、言った。
「
「あ、あわばばばば、すっ、すみませんっ」
僕はしばらくわたわたしたのち、ぎこちなく跪いてみせた。
「おっ、お元気そうで、何よりでございます……トコヨ様」
くすっとトコヨは笑った。
「いいわ。今回はそれで。どうぞ、お入りなさい」
僕が部屋に踏み入れると、ガタンッ、と言う大きな音がした。
ヤマトが椅子を蹴立てて立ち上がったのだ。
「あ、ヤマト。こんにちは。僕と連絡先を交換してもらっても……」
「……無礼千万」
ヤマトがボソッと言った。
「え? なんて?」
「無礼ッ、千万ッ!! 失礼ッ、至極ッ!!」
急に大声を出されたので、僕はビクッとした。
トコヨは、「あらまあ、また始まったのねえ」と和やかに言って、我関せずといった様子で椅子に座った。
「あのっ、無礼って、さっきの僕の態度のこと? ごめんよ、僕は知らなかったんだ。僕は、決してトコヨ様のことを軽んじたわけではないんだよ」
「無知蒙昧! 無学浅識! 常識外れ!」
「ご、ごめんなさい。次からは気をつけるよ」
「キーッ! 万死に値する!」
「えっと……? 僕は死ぬことはできないから……そしたら、ヤマト、君が僕に、神様への礼儀作法を教えてくれる……?」
「……っ!?」
ヤマトは石像のように固まった。
その様子を見て、うふふ、とトコヨは笑い声を上げた。
「それがいいんじゃないかしら、ヤマトちゃん? だってこの子はこれから色んな神様にお会いするんですもの、ちゃんと慣れておかなくちゃ困るでしょう? ちょうどいいタイミングだわ」
「……! ぎょ、……御意」
「ありがとう、ヤマトちゃん。よろしくね」
ヤマトは眼鏡の奥から僕のことをジロッと睨んだ。
「ついて来い」
「はいっ、よろしくお願いします!」
「お二人とも、頑張ってね〜」
僕は別室に連れて行かれた。
「跪く方法。こうしろ」
「こうですか!」
「違う」
「……どのへんが違うの?」
「片膝をこのように上げて……頭はこう下げたまま……」
ヤマトは意外ときちんと教えてくれたし、案外分かりやすかった。
「挨拶の定型文は……この本を丸暗記する……」
そうして差し出されたのは、ボロボロになったノートだった。
「すごい。これはヤマトが使っていたものなの?」
「そうだ」
「僕がもらっちゃっていいの?」
「もう俺は使わん」
「ありがとう! よく読んでおくね」
僕が目を輝かせてお礼を言うと、ヤマトは居心地悪そうに、フイッと目を逸らしてしまった。
ページを開いてみる。
何だか使えそうな敬語表現がビッシリと書いてあった。
「……」
僕はこういうのを丸暗記するような勉強の仕方はしてこなかったけれど、ヤマトはこれで頑張ったということなのだろうから、一読の価値はあるに違いない。
ぱらりと、ページを更にめくってみる。
「『突然の訪問失礼仕ります。ナギ様の御使カオルと申します。トコヨ様におかれましてはつつがなくお過ごしでいらっしゃいますでしょうか』……ふむふむ。他にも『お世話になっております』などに言い換えて……ふむふむふむ」
やたらと丁寧な言い回しをしておけばひとまず大丈夫そうだ。さっきは「こんにちは」だけでは失礼だったのだろう。反省、反省。
それにしても、こんな使い込んだノートを僕のためにくれるだなんて、ヤマトは思ったより良い人なんだなあ。気難しいと聞いていたけれど、これなら友達になれるだろうか?
その後、僕は練習してみた礼の仕方をトコヨに見てもらい、お褒めに預かった。
「とてもよくなっているわ、カオルちゃん」
「ありがとうございます」
「挨拶の時以外は、まだるっこしいから畏まらなくて結構よ。もう楽にして頂戴な」
「分かりました」
「じゃあ、ご飯の支度をしてもらいましょうねえ。もちろん、食べていくでしょう?」
「かたじけないです」
僕は、ヤマトの作ったエビフライをご馳走になった。
「すごい、ヤマトは料理が上手だね」
「そうでしょう? わたしは大助かりなの」
「……恐悦至極」
「僕がエビフライを作ると、どうしても揚げる途中でエビの背中が丸まっちゃうんだ。どうやったらまっすぐ揚げられるの?」
「はらわたを丁寧に抜き……揚げ時間は短く……」
「へえ〜」
「うふふ、二人が仲良くしてくれて嬉しいわ」
サクサクの衣はソースとよく合った。エビ自体は小さなものが使用されているので、僕はパクパクといくつものエビフライを堪能することができた。美味しい美味しい。
やがて日没が近づき、トコヨの出番となった。家を出てあの潮溜まりまで、僕たちはせっせと歩いていく。
トコヨはささっと太陽を沈めてしまうと、僕に向き直った。
「また死の国へ行くのねえ、カオルちゃん」
「はい」
「今度またお土産話を聞かせて頂戴な」
「是非そうさせていただきます!」
「それじゃあ池に……」
「あっ、ぶちこんでいただかなくても平気です。僕は自分で潜れますから」
「あらそうなの?」
「はい」
「それじゃ、行ってらっしゃいな。くれぐれも気をつけるのよ」
「はい! ありがとうございます! ヤマトも、ありがとう!」
僕は、ルービックキューブ大のフリングホルニ(船内にはもらったノートをしまってある)と、ミスティルを、ちゃんと持っているか確認した。
それから意を決して、真っ暗な池の中に、ドブンと飛び込んだのだった。
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