第41話 宮殿で


「はいこれ、向こうで買った本だよ」


 僕への聞き取りを終えたナギに、僕はお土産を差し出した。


「うん」

「父さんにちょうど良いかと思って。……的外れかもしれないけれど、ちょっとした参考になるかなと……」


 僕は『ストレスを溜めやすい人のための100の対処法』などといった、あらかじめ選んでおいた本をドサドサッと十冊あまり手渡した。


「どれどれ」


 それらを手に取ったナギは、一冊ずつタイトルを確認してから、いやににこにこし始めた。


「『一日十分の散歩でストレスは消える!』だって。ねえ、今から散歩に行かないかい?」

「え? いいの? 忙しいのかと思った」

「いいからいいから。ストレスを解消させるのもボクの大事な勤めだよ。何しろストレスが溜まったら天変地異が起きちゃうんだからね!」


 ナギはヒョイッと玉座を降りた。


「おいで。大丈夫、バレやしないよ」

「バレやしないって……やっぱり駄目なんじゃないか! 仕事を抜け出していいの?」

「しーっ。何のために神の周りの人員が少ないと思っているんだい。こういう時のためだよ!」

「……絶対に違うと思うんだけどなあ……」


 僕はナギの後について、おっかなびっくり部屋を出た。

 廊下は閑散としていて、人手が無く無防備だ。

 木をくり抜いてできた一直線の道は、そのまま出入り口へと伸びている。

 僕たちは難なく、外の景色を見下ろせる場所まで辿り着いた。


 ナギは僕の肩にポンと手を置いた。

 ヒュンッと胃の腑が浮き上がる感覚がした。


「ウワア」


 次の瞬間には僕たちは、宇宙樹の森に降り立っていた。僕は木の根の上から転がり落ちた。


「脱出成功! さあ散策をしよう」

「待って……」


 僕は木肌に縋って起きあがろうとした。


 カサ、と足元の草が揺れた。


 見ると、小さな黒いカメが、僕のことを見上げている。付近には水場も見当たらないのに、何故かこのカメの体はしっとりと濡れている。


「こんなところに、カメ……?」

「こら、カオル」


 と、カメは口をパクパクさせて言った。


「へっ?」

「ナギ様をお逃がししたら駄目だろう。お前はもう少し御使みつかいとしての自覚を持て。バーカバーカ」

「ああ、その、ええと……」


 僕が困惑していると、頭上から「ハイヤーッ」という聞き覚えのある掛け声がした。続いて「ギョワァーンンンッ」というナギの金切り声が。


 次の瞬間、僕たちは玉座の間の真ん前に戻っていた。


 僕は目をぱちくりさせた。


 ナギは扉の真下に転がされて、縛り上げられていた。ミウがグレイプニルを使ってナギを捕らえたのだ。


「こぉらカオル」


 スミノがミョルニルをブンブンと回しながら近寄って来た。

 ようやく僕は、色々と察した。


 この部屋を出たのも、外に降り立ったのも、カメを見たのも、全部スミノが作り出した幻だったのだ。僕たちはずっと、玉座の間の前にとどまって、幻を見せられていたということだ。

 してやられた。


「ごめんなさい」


 僕は謝った。これからは僕もナギの共犯者ではなくナギを諌める立場にあらねばねらないようだ。


「ナギ様。私たちの目をかいくぐって抜け出そうとは良い度胸ですね」

 ミウがナギを叱りつけている。

「これ以上サボろうとしたら、今度こそ玉座に縛りつけますよ」


 スミノが扉を開けると、ミウはナギをズルズルと引きずって部屋に連れ戻す。


「ナギ様はやればできる子なのに」

「全くだ!」


 スミノがナギを玉座に乗っけると、ミウはグレイプニルを解いた。続いて他の御使が入ってきた。下界の報告書らしきものを腕にいっぱい抱えている。


「すんすん。すんすんすん」


 ナギはいじけてしまっていた。


「カオルからの報告書だって、こんなにいっぱいあるのに。新しい本だってこんなに……。これじゃあボクは疲れてしまうよ」

「カオルのは大した量じゃないでしょう! 本のことはどうだか知りませんが、報告書に関しては、ウチの町の大学生のレポートの方がまだ量があります!」

「ちょっと……僕は中学生だったんだからね! 最初は仕方がないでしょ、スミノ!」

「……カオルも仕事なんだから、ちゃんと書かなくちゃ駄目」

「ボクの仕事量を増やそうったってそうはいかないよ、ミウ」

「ナギ様は無駄口を叩いておられないで、早く書類に目を通してくださいませ」

「何でボクだけ……すんすん……」

「よし、じゃあこうしましょう!」


 スミノは僕の肩をがっちりと捕まえた。


「カオルはこれからヒナコ様のもとにも行くことですし、あんな貧弱な報告書じゃあ話になりませんって。これからカオルに、報告書の書き直しをさせようじゃありませんか! ミウのもとで」


 僕とナギは揃って「ヒエッ」と言った。ミウは眉をひそめた。


「私のもとで? ……面倒」

「駄目か!?」

「別に……駄目ではないけど」

「じゃあ決定だ! カオル、絞られて来い!」


 スミノは僕の背中をバシンバシンと叩いた。僕は咳き込んだ。


 それから強引に連れ出された僕は、別室で万年筆を握らされ、ミウからビシバシと指導を受けて、二つ分の報告書を書き直させられることになった。三日かかった。もちろん休みはもらったけれど、出来上がった時には僕はもうゲッソリしていた。


「も……もう許して」

「まあ、これくらいなら許容範囲」

「……良かった……」


 書き上げた紙の束を、渋い顔のナギに渡して、僕は宮殿を後にしたのだった。

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