第31話 家族の時間

「もしかして、それってさ……」


 僕は乾いた口で言った。


「こっちで暮らすか、あっちで暮らすか、今決めろってこと?」

「まあ、そういうこと」


 ナギは頷いた。


「ボクは急いでいるから、こっちで暮らすなら早いとこ言って欲しいな」

「暮らすっ……のは……僕、ここの方が」


 便利なんだけど、と言いかけて、僕は押し黙った。


 この世界にさほど未練がない己に気がついた。

 親しい人は母だけ。

 そしてあちらには友がいる。


 少ししてから僕は口を開いた。


「でも、ミウたちにもう会えないっていうのは寂しいな……」

「じゃあ、ボクのところへ来るかい?」

「それも何だか……」


 どちらかでなければいけないというのは嫌だ。

 何故ならどちらにも僕の居場所はあるから。

 だから……。


「たっ、たまに会いに行くっていうのは、どう?」

「えーっ」


 ナギは目を見開いた。


「つまり、ちょくちょく出入りしたいってことかい?」

「そうです」

「その発想は無かった」

「無かったの?」


 ナギ自身はホイホイ異世界間を行き来しているくせに。行き来どころか、息子を生き返らせたり、世界観をパクッたりしているではないか。


「だってそれはさぁ……いちいちボクがキミを迎えに行くってこと? それはちょっと難しいなぁ」

「ああ、そうか……」


 僕とナギが考え込んでいるうちにお昼の時間になっていたらしく、母さんはキッチンでお昼ご飯を作り始めた。


「あっ僕手伝うよ」

「いいからアンタは座っていなさい」

「あっハイ」

「適当でいいかしら」


 コトンと目の前に出されたのは、鰹節のねこまんま、目玉焼き、サラダ、それからお味噌汁の残りである。きっちり二人前。


「おいしそう……」

「テメェにやる分は無ェよ引っ込んでな」

「ぐすん」

「父さん、ミニトマト要る?」

「……うん」


 母さんは何も言わなかったので、僕は箸を一膳出してナギにサラダを与えた。

 ナギはシャリシャリとレタスを食みながら言った。


「この件はちょっとヒナコに問い合わせてみようかねぇ」

「何を?」

「キミが自由に行き来する方法があるかどうかだよ。ちょっとボクだけじゃ分からないからなぁ」

「父さんでも分からないことがあるの?」

「だってボク世界の半分しか治めてないもん」

「ほぉん……」

「異世界間の詳しいことについては、宇宙樹にお伺いを立てないと。そうするとボクだけの力じゃ無理なんだなぁ」

「何だか大層な規模の話になってしまった」


 それにつけても、ふわふわのご飯と香ばしい鰹節の相性が抜群で、うっとりしてしまう……。


「ご飯はお代わりがあるわよ」

「えっボクの分は無いのに?」


 母さんは完全にナギを黙殺して、僕の茶碗を取り上げた。僕は少々申し訳ない気持ちになって、飲みかけの味噌汁のお椀をナギの前に押しやった。そのそばから、ほかほかと湯気を立てるご飯が渡される。その上では醤油のかかった鰹節がゆらゆらと踊っている。


「でもさ、父さん」

「何?」

「今回は僕をあっちに連れて行くことができるんでしょう?」

「そうだね、今回はね。その後はボク忙しくなるから難しいけど」

「で、僕はあっちからこっちに行くことはできるから……」


 あの時一度やって感覚を掴めた。ミスティルを使う時に、こちらの世界のことを念じるだけでいい。だから……。

 今あちらへ行ったとしても、いずれこちらに戻れる。あちらへ行って戻るチャンスが、今なら一度はある。


「……母さん」


 僕はおずおずと言った。


「必ずまたすぐに戻ってくるから……。そうしたら、また一緒に暮らすから」


 ピタッと母さんは箸を止めた。


「すぐにって……いつ? 五年後? 十年後?」

「……あ」


 僕が言葉を失った横で、ナギは「ヴォエッ」と言って倒れた。

「ごめんよヨシエ……ボクそんなつもりじゃ……」


 だが母さんは聞いちゃいない。


「アンタも母さんを置いて行くの? 馨……アタシのたった一人の子ども……」

「え、えっと……」


 僕が何と言おうか迷っていると、母さんはコトリと箸を置いた。


「冗談よ。好きにしなさい」

「母さん?」

「どっちの世界で暮らそうが、アンタが元気なら母さんはそれでいいわ。だって、あちらでは良いお友達ができたんでしょう? こちらとは違って」

「あの……」

「母さんに気兼ねすることはないわ。友達は大切だもの。友達を優先して構わないのよ。あなたも大きくなったんだから。ただ、アタシが死ぬ前に顔を見せてくれると嬉しいけどね……十年後でも、十五年後でも、別にいいから」


 僕はぐっと唇を噛んだ。


「そんなに待たせたりしないよ。僕は父さんとは違うから」

「ウグヮッ」


 ナギが流れ弾を食らった心痛によりぶっ倒れた。


「馨?」


 母さんはそんなナギのことを見向きもしないで、僕のことを見つめてくる。


「僕、友達に会ったら……どうにかして、なるべく早く戻るから」

「そ……」


 ナギは震える手でテーブルに縋って起き上がった。


「そうと決まったら……一度こちらへ来てもらうってことでいいよね? カオル……」


 僕は決意を込めて頷いた。


「お願いします。ごめん、母さん」

「……いいのよ」


 本当はすごく寂しいだろうに、母さんは気丈にもそう言った。それから立ち上がって、ミカンを三つテーブルに置いた。


「ヨシエ……」

「……この子の命を救ってくれた、そのことには感謝してるわ。この子に居場所を与えてくれたことにも。アタシにはしてやれなかったことだから」

「……!」

「いいから早く食いなさいよ」


 母さんはそう言って自分のミカンの皮を剥いた。僕たちもそれに倣った。


 甘酸っぱく瑞々しい果肉を口にしながら、僕の頬は自然と弛んだ。

 こうしていると、何だか家族三人で暮らしているみたいで嬉しかったのだ。

 こんな機会はそうそうあるものではない。僕は一房ずつゆっくりとミカンを食べたのだった。

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