第28話 助けられて生きる


 母さんはシングルマザーだけれど、とあるアパレル業界の重鎮で、昔からとてもよく稼ぐ。この不景気の中、一人で一軒家と自家用車を買ってしまうくらい。


 お風呂から上がって乾いた服に着替えている間に、母さんは簡単な朝ご飯を用意してくれていた。卵かけご飯。たくあん。ワカメとダイコンとネギの味噌汁。


「うまー」


 卵かけご飯の濃口醤油、たくあんの甘み、味噌汁の薄めの味付けまで僕好みである。とても懐かしい。もう何年も実家でご飯を食べていなかったかのような感覚。箸がとてもよく進んだ。


「ごちそうさまでした」


 多幸感とはこういうものをいうのだろう。

 お腹が満たされると、眠くなってきた。赤ん坊みたいだと思ったが、睡魔には抗えない。


「ちょっと眠ってもいいかな」


 母は頷いた。僕が自室へ向かうと、母もついてきた。


 僕は部屋の中に自分自身のためのお仏壇があるのを目にして、一瞬硬直した。改めて自分の境遇を認識させられた。ショックというほどでもないが、ヘンテコな気分だ。

 仏壇はピッカピカの新品である。丁寧にお花とお線香とおまんじゅうまで供えてある。


「もう買ったの……」

「だってこんな広い家に一人だなんて寂しいでしょ!」


 入り口に立った母が言う。


 3LDKで一人は……確かに広いか。


「ん……?」


 僕は自分の勉強机の上に散らばっているものに目を留めた。

 新聞紙やら、プリントアウトしたWEBの記事やらが、沢山広がっている。

 タイトルには「暴走車両 5名死亡 13人けが」などとあった。


「ああ、それは、例の事件の記事」

「ふむ……」


 自分が死んだ記事というのもなかなか読むものではない。それにしても結構大きな事件だったんだなあ。


「新聞、取ってなかったよね。わざわざ他所から買ってきたの?」

「そりゃそうよ。裁判に備えて情報収集はしておかないといけないでしょ」

「裁判ねえ……」

「実に凶悪な事件だからね。犯人には反省の色が見えないし。テロか何かの可能性も否定できない。このままだと順当に死刑になっちゃうんじゃないの」

「それは……何だかなあ」

「一度面会してきたけど、何度ぶん殴ってやろうとしたか分からない。警察の人に止められちゃったけどね」

「……」


 僕は何となく気になって、他の記事を手に取った。僕の命が如何に尊いものだったのかを語るものが多かったし、母さんのインタビューが載っているものも多数あった。


 何だか居心地が悪い。

 僕の死という現実がここまで重大なものだなんて、実感が湧かない。

 僕の生死は僕自身と僅かな家族との間で完結する物語のはずだった。

 こんな……大袈裟に取り沙汰されるものだなんて、思っていなかった。


 もし、僕の命が何らかの意味を持っていたとするならば、それは。


「ねえ、母さん」

「何?」

「僕が助けようとしたちっちゃい子どもって、分かる? あの子は、助かった?」

「……それは」


 母は珍しく口ごもった。嫌な予感がして、僕の心臓がドクンと脈打った。


「……即死は免れたけれど、意識不明の重体で……結局意識を取り戻すことはなくて、三日後に病院で亡くなった」

「……そ、……そっか……」


 僕はベッドにストンと腰を下ろした。


「何だか僕は役立たずだなあ……」


 こちらには友達もいないし、将来結婚して家庭を築く予定も無かったし、結局親より先に死んでしまったし、命をかけて助けようとした人も結局助けられなかったし。

 幸運にも生き延びることができたと思えば、そのせいで神様を犠牲にしてしまうし、異世界で旅をしたところで他人にお世話になるばかり、ご飯を奢ってもらうばかりで、少しも活躍できていなかったし。


「役立たずなんてそんなこと言わないで」


 母は何故か悲しそうに言った。


「アンタは生きていてくれるだけでいいの。アンタが戻ってきて母さんどれほど嬉しいか」

「……僕は……」


 ──お前、何のために生まれてきたんだよ。


「誰かの役に立ちたいし、正しいことをして生きていたいよ。でもやっぱり、ただ単に周りに迷惑をかけまくっただけで……何のために生きているのか」


 母さんは歩み寄ってきて、僕の頭を撫でた。


「目的と手段が逆」

「へ……?」

「何かのために生きる必要なんてないの。生きることは何かの手段ではないの。生きることそのものが目的なんだから」

「……」

「生きるためなら何が何でも周囲を頼りなさいよ。迷惑だなんて思わないで。アンタは立派に人を助けようとした上に、無事ここに戻ってきてくれた。だったらアンタの行動は大正解なのよ。何一つ間違っていない」

「……母さん」

「だからもう、莫迦なことは言わないで。何も気にせず、ゆっくり休みなさい。今後のことは母さんがどうにかしてあげるから」

「……うん」

「大丈夫ね?」

「うん」

「よし」


 母さんは部屋を出て行った。

 僕はベッドに横たわって、これまでのことを振り返った。


 全然、役に立たなかった僕でも、生かされ、守られる価値があったのだろうか。


 色んな人に助けてもらった。

 ナギは僕を生かすために躊躇なく命を捨てた。ニレイやミウは僕が異世界で生きていけるように手助けしてくれた。他の神々や御使みつかいだって力を貸してくれた。

 僕は何にもできないボンクラだったというのに、当然の如く世話を焼いてくれた。


 とてもありがたい。

 僕なんかを──否、僕を、みんなが気にかけてくれたことが。


 物心ついた時から欠損していた自己肯定感が、少しずつ修復されてゆく感覚がする。

 どうやら僕には価値がある。僕はこんなにも助けられて生きている。

 だから僕も精一杯生きたい。ちゃんと前を向いて生きていきたい。


 今後、どうやって生きていくべきか、全く見当もつかないけれど──とにかく自信を持って歩いていきたい。

 そしてひとまず今は眠たい。よし寝よう。


 毛布をかぶって、コクンと僕は眠りに落ちた。


 地球は回り、太陽は空高く昇り始めていた。

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