第24話 最初の晩餐


「カツ丼」

 ナギは目を輝かせて言った。

「却下」

 ミウがにべもなく切り捨てる。


「何で!」

「胃が空っぽの状態なのに、そんなズッシリ重いもの食べたくありません。お粥とかどうです?」

「やだよ」

「じゃあ白湯は」

「もはや水だけ!? 嫌だよ! やだやだ! ミウがどう思っているかはともかく、ボクはどうしても、とびきり美味しいロースカツ丼でなきゃ嫌なんだ〜!」

「はあ……胃もたれしても知りませんよ」


 ところがカノに連絡を取ったところ、「申し訳ないですが……」とお断りされてしまった。


「エーン! どうして!」

「トコヨ様に確認しましたが、ミスティルを通して転送できる物の大きさは、一回につきせいぜいお茶碗一杯分だとか」

「お茶碗一杯分」

「どんぶりは無理だそうです」

「何で!? そんなに変わらないじゃないか!?」

「更に申し上げますと、ご存知の通りこちらは山岳地帯で人里もございませんので、基本的に自給自足の生活をしております」

「知ってる」

「穀物は確保しておりますが、肉は……すみません、ヤギかヒツジかニワトリなら、ご用意できるのですが」

「じゃ、じゃあ、唐揚げ!」


 そう言いかけたナギの手から、ミウが空の欠片を取り上げた。


「ごめんカノ、おにぎり三つで。具は何でもいいよ」

「……それでいいの?」

「消化のいいものでないと、お身体を壊されても困るから」

「分かった」


 すん、とナギは鼻を鳴らした。


「ケチ……ミウのドケチ」

「これも御身を慮ってのことにございます」

「……おにぎり、鮭がいいなあ」

「海から最も遠い場所なのに、無茶を仰らないで下さい」

「すんすん」


 ナギはいじけて、膝を抱えてしまった。


 さて、時は流れて、翌日の夕方である。


 僕は、ミスティルがしっかりと首に掛かっていることを確認して、フリングホルニを降りた。ミウが舳先にそっと触れると、船はルービックキューブくらいの大きさにまで縮んでしまった。それを懐に仕舞ったミウは、代わりに空の欠片を出した。


「カノ、こちらは準備ができた。よろしく」

「こちらも大丈夫。カオルさん、どうぞ」

「はい」


 僕は言われた通り、ミスティルをぎゅっと握りしめてから、拳を開いた。

 手のひらの上の四角い木片が、白く輝き出す。眩しさに目を細めて見ていると、その光の中から、小皿に乗ったおにぎりがニュッと出てきた。


「わお」

「丁寧に海苔が巻いてある。貴重だろうに……」


 僕は続けてミスティルを握り、残り二つのおにぎりも出現させた。

 一人一つ、手に取る。


「僕には黄泉竈食よもつへぐいは必要ないはずなんだけどなぁ。申し訳ないや」

「ありがたくもらっておけば。……いただきます」

「いただきます」


 あーむ。

 ぱりっ、と小気味良い食感と共に、懐かしい味が舌に広がった。

 もぐもぐもぐもぐ。

 具は、梅干しだった。

 塩気の強い、素朴な味わいである。

 美味しい。


 しばらく僕たちは無言でおにぎりを食べた。


「カオルは何が良かった?」

 ミウが不意に尋ねた。

「ん?」

「食べたいものとか、ないの? 希望は?」

「んー、……何でもいいや。おにぎり、美味しかったよ」

「ふーん。帰ったらこれが食べたいなとか、無いの? 故郷でよく食べていたものとか」

「んー……」


 僕が考え込んでいると、水音がして、シュンッと辺りが真っ暗になった。太陽が沈んだのだ。


「ああ。行かなくちゃ」


 僕は立ち上がり、ナギとミウを連れて、泉の前まで行った。


「これに潜るのね」

「うん」

「寒そう」

「そうだね。ナギ様、ミウの手は握りましたか?」

「うん……」


 僕と手を繋いだナギの声は、どこか心細そうだった。

 僕は再びミスティルを握った。


「じゃあ、頭を下にして飛び込みますよ。せえーの」


 ドボォン!


 冷たい泉の中に、三人一緒にダイブした。


 冷たい。氷のように冷たい。今しがた太陽が消えていった水だとはとても信じられない。


 ぐん、と体が頭の方向に押し出された。三人の周囲が光り出す。世界間の移動が始まったのだ。

 あとは何もしなくても体が勝手に進んでくれるので、僕は呑気に考え事をし始めた。


 ──帰ったら食べたいものとかないの?


(僕だったら何を食べたいと思っただろうか)


 ──例えば、そう、元の世界に帰れたとして。母さんが僕のために何か作ってくれるとしたら、僕は何を食べたいと言ったかな……。


 ボーッと流れに身を任せていると、不意にぐいっと、体が違う方向に引っ張られた。


(ん?)


 背中が謎の力に吸い寄せられていく。やがて、うにっ、と柔らかい感触がした。

 空の珠にぶつかったのだ。


(え?)


 以前触った時には硬かったはずの空は、何故かスライムのように柔らかい。そこに、ずぶずぶずぶ、と引きずり込まれ、取り込まれていく感覚。


(ちょっと、待って、どういうこと)


 一方、ナギとミウは水の中で上昇を続けようとする。僕の手から、ナギの手がするりと抜け出した。


(しまった……!)


 光に包まれ、ナギとミウが遠ざかっていく。二人の行く手には、生まれたばかりの太陽の光が差し込んでいる。

 一方の僕は、先へ進めないまま、謎の力に引っ張られ続ける。


(あれ? もしかしてこれ、僕だけ置いてけぼり?)


 ……何で? どうして? 何が起きたの?


 トプン、と僕は空に全身を包まれた。

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