第23話 遠き山に日は落ちて

 ミウは例によってソファで本を弄びながら、僕に語った。


「ヒナコ様が私を死の国に留まらせた理由は分からなかったけれど、きっとナギ様をお迎えするためだったんだ。私の役目は終わった。そう思うと地上が恋しくなっちゃった。地上のご飯が食べたくなっちゃったの」

「なるほど」


 創造神のみならずその御使みつかいまで生き返るとは。彼らは本当に、人間とは一線を画す存在なのだなあ。

 僕には寿命があるという。半分死んでいる僕の、もう半分も死ぬということだろうか。とにかく、僕にはいずれその時が来るのだ。不思議とそのことは怖くなかった。

 人ならざるものはミウのように死んでも生き永らえ、人たるものは死ねば地に還る。そのことがなんだか、すとんと腑に落ちた。

 だからミウやナギが生き返ることに対して、特に何か思ったりはしなかった。

 

「……それを踏まえて、今から地上に連絡を取ります」


 ミウは空の欠片を手に取った。


「スミノに?」

「ううん。カノに」

「誰それ」


 聞くと、カノとは、東の果てに住まう神アマネに仕える御使の一人で、ミウの生前からの友人であるらしい。


「そろそろ起きたかな? 発信してみるね」


 ポーン、ポーン、ポーン。


「はい、もしもし。こちらカノです……」


 映し出されたのは、白いモコモコの布地。


「あ、ミウちゃん」

「カノ。マフラーしか映ってない」

「あ、ごめんね」


 マフラーの中に半分以上埋もれていた女の子の顔が、ヒョコッと現れた。眠たそうな瞳に、癖のある黒いショートヘア。


「これで、いい?」

「うん、ありがと。今どこ?」

「アマネ様の所」

「本当? ちょうど良かった」


 ミウはかくかくしかじか、経緯を説明した。カノは目をぱちくりさせて話に聞き入っていた。


「そんなことに……。それで、ミウちゃんもこちらへ戻ってくるの?」

「そうしようかなと」

「そうなのね……。良かった……。ちょっと、信じられないけど」

「まあ私も何かの冗談のような気持ちはしてるよ。でもとにかく、そういうことだから、よろしくお願いしたいの」

「分かった。アマネ様に報告して、準備をしておくね。東の果てに着いたら、また連絡してください」

「了解」


 その後、ミウはちょくちょく町へ降りつつ、カノと連絡を取りつつ、フリングホルニを東へ向かわせた。

 途中で、宇宙樹の森を通り過ぎた。


「死の国にも宇宙樹ってあるんだ」

「うん。宇宙樹は空の珠をこう、グサッと串刺しにするみたいにして生えてるから。宇宙樹の森は、世界の中心」

「ふーむ……」


 何日か経って、行手に山脈が見えてきた。急峻な峰々が空に向かって屹立していて、迫力満点である。


「高い山だねえ。東の果てはあの向こうにあるの?」

「そう。峠を越えて少し行くと、空が果てる。太陽はそこに向かって沈んで行って……地上世界で新たに誕生するというわけ」

「なるほどなあ。西から昇ったお日様が、東に沈む……」

「何歌ってるの。さあ、船を上昇させるよ」


 東の果ての峰より高く、雲の高さまで駆け上がる船。午後の光に照らされてきらきらと輝く雪化粧。


「わー」


 死の国も捨てたもんじゃないな、と僕は思った。淡い太陽に照らされた世界は色彩豊かで、人々や魔物たちと戯れるのも面白い。ヨツルのような大きな町は無かったけれど、どの町にも沢山の店が立ち並び、食べては踊る死人たちで活気付いていた。ご飯が微妙なのを置いておけば、ここはなかなかいい場所だ。


 そんなことを考えてポケーとしているうちに、フリングホルニは山の頂上を越えて下降し、空のふちの付近に停船した。


「日が暮れるところを見に行こう、カオル」


 ミウはカンテラを持って外へ出た。

 風がびょうびょうと吹き荒んでいて、足を取られそうだ。寒い。息が苦しい。


 勾配のある歩きづらい地面を、ずり落ちそうになりながらも用心深く伝って、世界の端っこまで来てみれば、そこには泉があった。見覚えのあるサイズ感。西の果てで見たのと同じような。

 ──この泉に頭を突っ込めば、地上に出られるということか。


 やがて、例のペラペラの太陽が空からやってきた。


 弱々しい光を放っている。しかしどこか神々しい。死人が生まれ変わる時に発する光とそっくりだ。

 太陽は、ビューンと勢いのままに落っこちてきて、泉の中にドボンと身を投げた。

 シュン、と辺りが暗くなる。

 はい、おしまい。


「はやっ」

 僕は言った。

「あっけない」

 ミウは興味を失った様子で、泉に背を向けた。


「じゃあ、これからまたカノに連絡するから。明日の日没と同時に地上へ出よう。いい?」

「分かりました」


 というわけで僕たちは居間に集められた。

 ミウの空の欠片の向こうで、カノが遠慮がちに笑っている。相変わらずモコモコのマフラーを巻いていた。暖かそうでいいなあと思った。僕のいた世界と同じでこちらもこれから冷え込む季節になるだろうから、僕にもああいう防寒具が必要だ。


「では、明日、こちらでささやかなお食事を用意します」

「ありがとう、カノ」

「ナギ様とミウはそれを召し上がってから、カオルさんと一緒に泉に飛び込みます。それで問題ない、はず」

「うん」

「何が食べたいか、決めておいて。大したものは用意できないけど、久々の食事なんだから、好きなものを選んでね」

「ありがと」


 交信を切ってから「さて」とミウは振り返った。


「明日はいよいよ、久方ぶりの食事ですね。何を召し上がりたいですか、ナギ様」

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