第22話 洪水被害者の会

「オラァ! 創造神はお前か!」


 棒切れを持った勇ましい女の人が、ドアごとナギを踏みつけて、僕を威嚇した。後ろから、同じく棒切れを携えた人々が雪崩れ込む。


「違うよ」

 僕は手と首を横に振った。

「ナギ様は今君が踏んでるよ」

「ここだよーっ」

「なにっ!?」


 女の人はギョッとしたようにして足をどけた。ナギがやっとこさ、ドアの下から這いずり出る。死の国に来てまで人に踏みつけにされるとは、何とも哀れな神様だ。


「てめっ、よくもアタシを殺してくれたな!」


 人々がナギをポカポカと殴り始める。


「痛っ。痛いよ。やめてくれないかい!」

「えっ、ナギ様、痛いんですか」

「精神的に痛いんだよ! ウワーン」

「やれー、やっちまえー!」

「正義の拳で制裁を加えるんだー!」

「連れ出して池に沈めろー!」

「それは困るー!」


 僕は言った。

 ナギが行方不明になってしまったら、僕の使命が達成できなくなるではないか。


「皆さん、ナギ様を殴るなら、この船内でお願いしますーっ!」

「それはそれで酷くないかな、カオル!?」

「だって恨みは引き受けるって言ったじゃないですか」

「そうだけどさ!」


 そこへ、「ハイヤー!」と掛け声がして、ドアからロープが投げ込まれた。ロープは大きく弧を描いたかと思うと、たちまち侵入者たちを一括りに縛り上げてしまった。


「お待たせしました、ナギ様」


 ロープ──グレイプニルを持ったミウが、涼しい顔で部屋に入ってきた。


「居間においでくださいませ。この者たちの話を聞くことにしましょう」

「ミウ……キミも、少しはボクの心配をしてくれてもいいんだよ……?」

「え? 殴られてただけですよね?」

「うん、でも……」

「では私はこの者たちを連れて行きますから、ナギ様は身支度をしてください。話し合いの場にパジャマ姿で出てくる神様なんて、とてもじゃありませんけれど格好がつきませんからね」

「……」


 ミウはグレイプニルを持ち直すと、十人余りの侵入者たちを一人でズルズルと引きずっていってしまった。彼らは力を封印されてしまったのか、神妙にしている。


 僕はナギが着替えるのを部屋の外で待って、一緒に居間まで行った。

 そこには、すっかり毒気を抜かれて大人しくなっている侵入者たちが、ざっと三十名ばかり、正座した状態でひとまとめに縛られていた。


「彼らは『洪水被害者の会』を名乗っています」


 ミウは説明した。


「さ、ナギ様。何かお言葉を」

「えー、ゴホン」


 ナギはみんなの前に出た。


「キミたちが死んだのは仕方がないことなんだよ。キミたち人間の命は、所詮ボクたち神の手のひらの上にあるんだからね」


 とんでもないことを言い出した。僕はギョッとした。

 そういえばニレイが言っていたな──神はそもそも理不尽なものだと。


「キミたちがボクを恨むことを止めはしないけど、恨んだところで何にもならないよ。何もかも無駄なんだ。だから早いとこ諦めて、忘れた方がいい。そして他のみんなのように、楽しく踊って暮らすのがいいに決まっているんだよ。だから、ほら」


 ミウがぱんぱんと手を叩くと、ぞろぞろと魔物が船内に入ってきた。彼らは手ずから、あんまんのような丸いふかふかのものを、被害者の会の人の口に押しつけていく。ついでに僕の口にも押しつけられる。


「はぐ」


 若干水っぽい味がするが、一応食べられる。ほんのり甘い。


「これでも食べて機嫌を直してくれないかい?」


 魔物たちがぞろぞろと退場する。みんなは黙って、ふかふか、ふかふか、食べ物を頬張った。


 最後の一欠片を飲み込んだ僕は、やおら立ち上がった。息を吸い込む。


「月がーァ、出った出ーたー、月がーァ出たー、アヨイヨイ」


 僕が歌い出すと、ミウは腕を一振りして、グレイプニルをほどいた。被害者の会の人々が立ち上がる。

 彼らは僕に触発されて、勝手気ままに踊り始めた。


 さあ、嫌なことは全て忘れて、みんなで踊って仲直り。そうして清らかな魂に戻りましょう。それが天の摂理というもの。


「うちのお山のーォ、上にーィ出たー。あんまーりー、煙突ゥーがー高いーのでー、さーぞーやー、お月さァーんー、煙たーァかろ、ハアヨイヨイ」


 広い居間はダンスパーティの会場と化していた。みんなは棒切れを捨てて自由に踊った。


「あなたがその気ーィでェーいるのーォならー、思い切りまーすーゥ、別れーェますー。もォーとーのー娘ェーのォー、十八にィー、返しィーてェー、くーれたーァら、別れーェます、ハアヨイヨイ」


 そして気が済んだら、思い思いに船から出て行ってしまった。


「アソレヨッコイショー」


 一人残された僕が、どじょうすくいの真似事をして踊っていると、後頭部をミウにフニャッと叩かれた。


「一件落着。もう踊らなくて良いよ」

「はぇ? ミウは踊らないの?」

「踊らないってば……」


 でも、とミウは去っていく被害者の会の会員たちの背中を眺めた。


「私もそろそろ、天の摂理に従うべき時が来たのかな……」

「ん? やっぱり踊るの?」

「踊らない。ねえ、私も地上に行けるかな」


 ミウの声はどこかしんみりしていた。


「私、そろそろ、お腹が空いてきちゃったみたい。地上のお米を食べたいなあ……」

「霞飴、食べる? もらって来ようか?」

「食べない。カオル、あなたは少し頭を冷やして来なさい。そしたら話すから」

「はぁい」


 僕はトテトテと珍妙なステップを踏みながら、退散した。自室に戻ってしばらくは出鱈目な踊りを踊っていたが、やがて疲れて眠ってしまった。


 後から思えば、今回の事件は、何も解決していない。ただただナギが話を誤魔化しただけのことだ。

 だが、死んでしまったものはどうしようもないし、後からグダグダ言っても何も変わらない。

 何も──。

 僕たちは、後からグダグダ言って何かを変えようとしているのに。

 それは何だか不公平な気がした。


 これが、神様と人間の差異なのだろうか。


 だとしたら、少し悲しいというか、申し訳のない話だった。

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