第5章 東へ

第21話 傷心の神様

 フリングホルニは東に──日の沈む方角に向かって、一直線に進む。

 ミウはちょくちょく僕のために町に降りて一緒にウロウロしてくれるので、食事が必要な僕としては非常に助かっている。ミウ曰く「丁度いい退屈凌ぎ」だそうだ。

 しかしナギはあれから一度も部屋を出ていなかった。

 霞飴でお腹を膨れさせた僕は、フリングホルニに戻ってから、ミウに尋ねた。


「ナギ様は町に出なくても大丈夫なの?」

「不用意に外に出て何か召し上がるよりはマシ」

「そうかも知れないけど……。じゃあ、お話しに行こうかな」

「それがいいんじゃない」


 ミウは本を取り上げて、どかっとソファに座った。タイトルは『葡萄の形をした三人の小説家』。ちょっと内容の想像がつかない。葡萄の形? 魔物のことだろうか? 葡萄の形の魔物なんているのだろうか。植物のことも魔物と呼ぶならありうるけれど、植物が小説家になるとは一体……?


 僕は疑問を残しつつ、ナギの部屋に向かった。


「ナギ様ー。入ってもいいですか?」


 うー、と唸り声がしたので、ドアを開けた。

 ベッドの布団がこんもり盛り上がっている。


「お休み中でしたか?」

「うー」

「少し、居間に出てみませんか? ミウが面白い本を持っていますよ」

「うー」

「んーじゃあ、僕とお喋りしませんか? 母さんのことを話してあげます」

「……」


 ヒョコッと、ぼさぼさの頭と空色の目が布団から出てきて、こちらを覗った。僕は椅子に腰を下ろして、話し始めた。


「母さんはいつも仕事で忙しいけど、僕のことをちゃんと育ててくれて……」

「ちょっと待って、カオル」


 早々に遮られた。


「はい」

「キミのことを話してくれないかい」

「えっ? 僕ですか?」

「だってボクはキミのことをほとんど知らないからさ」


 はあ、と僕は曖昧な返事をした。自分のことなんてあまり語れるほどのものでもないけどな……。


「分かりました、じゃあ僕の話をします」


 僕は姿勢を正した。


「えー、僕は、生まれた時から性別が分からないと言われていました。男か女かどっちなのか、僕自身も決められなかったのもあって、ちょっと友人関係で揉めたりはしました。でもその分母さんとは仲良くやってきましたよ」

「……」

「え、えっと、『お前なんか人間じゃねえ』って言われたこともあるんですけど、本当に人間じゃなかったんですね。知らなかったなあ。アハハ」

「……笑うようなことじゃないと思うよ」


 ナギはよいしょよいしょと苦労してベッドの上に半身を起こした。


「人間なのか神の子なのか、それはキミが好きな方を選ぶべきだ」

「そうなんですか?」

「キミは確かに神のように長生きだけど、人間のように寿命は存在する。だから、キミが何者なのかは簡単には決められないよ。キミの性別と同じことだね」

「へえ……」

「他には? 例えば、キミの得意なことは何だい? 好きなものは?」

「そうだなあ。料理はほどほどにできます。あとは、んー」


 何だったかな。

 何が好き?

 好きな食べ物は?

 趣味は? 勉強は?

 犬派? 猫派?

 ──思い出せない。


「忘れちゃいました」

「おやまあ」

「結構、忘れてることがあるんですよねぇ……。今度母さんに会ったら聞いておいて下さい」

「でもボクは家を追い出されているんだよ」

「お墓参りくらいさせてくれますって。その時に仲直りすればいいんですよ」

「仲直り」

「はい。きっとうまくいきますって。母さん、今まで他に恋人とか作らなかったし」

「本当かい……!」


 ナギは目を輝かせたが、次の瞬間、サッと顔を曇らせた。


「あ……まずい。まずいぞ……」

「どうしたんですか?」

「つ、つらい。つらい……ウギャ」


 ウギャ?


「グエッ。エ……エーン」


 ナギは布団を引っかぶって泣きだした。


「つらいよう。つらいんだよう」

「何がですか? お腹が空いたんですか?」

「それもあるけど……ウウッ」

「ナギ様」

「こっちへやってくる気配がする……」

「何がですか?」

「……ボクが殺した人々が」


 ドーン、と船が揺れた。僕はバランスを崩して尻餅をついた。ナギはベッドから転がり落ちた。


「ナギ様っ、失礼仕ります!」


 ミウが光の速さで部屋に飛び込んできた。ナギは布団に絡まって床でじたばたしている。


「助けて〜ミウ」

「いえ、助けませんけど……」

「そんな薄情な」

「侵入者です。彼らが食べ物を持っていても、絶対に召し上がらないよう、よくよく気をつけて下さいねっ」


 ミウはそれだけ言うと部屋を飛び出して行ってしまった。

 仇敵に施しを与える者が果たして居るのか疑問だが……。


 わあーっ、という、予想より多い人数の声が、居間の方から聞こえてくる。


「大変だ」


 前から思っていたけど、この世界、神や御使みつかいの危機管理が甘すぎやしないだろうか。戸締りも適当だし護衛も居ないから、こんなにあっさり他の人に襲われてしまう。それでいいのか? ……怪我をしないのだから、いいのか。


 僕はひとまずナギから布団をほどいてあげた。その間に、ドタドタと何人かが廊下を走ってくる音がしてきた。


「創造神はどこだーっ」

「何で洪水なんか起こしやがった」

「よくも殺してくれたなクソ神!」

「俺たちの生活を返せ!」


 ああ、と僕は思い出した。ナギが洪水を起こしたのは、確か三年前。犠牲者の魂の記憶はまだリセットされていないのだ。


 ナギは立ち上がり、覚悟を決めた様子でドアノブに手をかけた。

「もちろん、恨みなら引き受けるよ」

「ナギ様」

「地上を治める神として……ごぶぇ」


 ドアが蹴倒され、ナギはあえなく下敷きにされた。

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