第18話 もさもさの飴

 昼過ぎになって居間に出ると、ミウはもう起きていて、ソファで足を組んで本を読んでいた。


「眠れた?」

「お陰様で。……死の国にも本があるんだね」

「変な本ばかりだけれどね」


 ミウが読んでいるのは、『お粥のためのヨボヨボとした挽歌』であった。

 お粥を悼む歌……? ヨボヨボでいいの、それ? そんなに内容があるようにはとても思えないけれど……。というか、何故お粥?


「ど、どういう内容なの」

ごと。死人が暇潰しに書いたのを、魔物たちが出版したやつ」

「へーえ……」

「死の国では、魔物が亡者の生活の面倒を見ているの。知能の無い魔物は食糧になるし、知能のある魔物は働き手になる。人々の代わりに、食べ物を与えたり物を作ったり町を整備したりするの。人間が魂の消滅を免れて再び地上に生まれ変わることができるのは、魔物たちのお陰」


 そんな健気な生き物だったんだ。さっきは食べ物に文句をつけたりして申し訳ないことをした。ごめんなさい。


「じゃあ、魔物は死んだらどうなるの?」

「え? 消えるけど」

「えー……輪廻転生するのは、人間だけ?」

「もちろん」

「ふーん」


 僕は遠慮がちにミウを見た。


「ミウが生まれ変わらないのも、人間じゃないから?」


 ミウは、虚を突かれたように、瞬きした。


「……さあ。分からない。御使みつかいが死んだのは私が初めてだし。魂の記憶を保存する方法があるとヒナコ様に教えて頂いたので、そうしてるだけ」

「ふーん」


 これがニレイだったら、絶対すぐに黄泉竈食よもつへぐいをして、魂をまっさらにすることを選択するだろうなあ。


「私からも質問していい?」

「ん、何?」

「どうやって死者を──ナギ様を地上に連れて帰るの?」

「え?」


 僕はミウを見返した。


「普通に連れて行けば良いんじゃないの?」

「はあ?」


 ミウは片目でじっとりと僕を見た。


「死の国には死者しか来られないし、生の国には生者しか行けない。当たり前のこと。少し考えたら分かる」

「そ、そっか。そうなのか」

「まさか、何の策も無し? 何のためにここまで来たわけ」

「まぁ、何とかなるかなぁと思って」

「んなわけないでしょ。どうすんの。何もせずに一人で帰るつもり?」

「んー、他の人に聞いてみたら何か分かるかな?」

「他の人って……ああ……」


 ミウは懐から空の欠片を出した。


「スミノに頼めばいいか。ミョルニルを使ってもらおう。今、地上は真夜中だから、後で交信してあげる」

「お願いします」

「はー……。二度手間」

「すみません」


 僕は縮こまった。


「別に構わないけど。……そろそろ、昼食でも食べる? 町へ降りるなら、付き添うよ」

「いいの?」

「もうすぐ海辺の町に着く。定期的に船を降りないと気が滅入るから」

「もう海は終わり? 早いなあ」

「フリングホルニは速度に特化してるの」


 船は波打ち際に停船した。港には紫色の鋭い鱗を生やした人型の魔物がいて、僕とミウは身元を検められた。ナギは部屋に引きこもっていたので、船に放置したまま町へ入る。


「ナンジャコリャ」


 僕は言った。


 通りはお祭り騒ぎだった。


 道の真ん中で踊りを踊るお婆さん。しゃがみこんで歌を歌うお爺さん。ポケーと空を眺めているお爺さん。その間を縫うように歩くのは、狼に似た顔つきの黒い二足歩行の魔物たち。彼らは、わたあめのようなものを沢山持っていて、通行人に次々と配っている。


「あなたもあれ、もらってきたら?」

「何、あのふわふわ」

「知らない。食べたことないし」


 そうでした。

 それにしてもこんなふうに食べ物があふれている世界で、何十年も一切ものを口にしないだなんて、ミウは一体どれほど強靭な精神力を持っているのだろうか。これはもう信じられないことだ。ニレイじゃないけれど、僕だって到底耐えられそうにない。


 僕がお爺さんとお婆さんの群れの中に入っていくと、わっと視線が集まった。


「若いのが来た」

「可哀想に。夭折したのかい。ほれほれ、美味しいものでもお食べ」

「魔物さん魔物さん、この子のために霞飴かすみあめを一つ分けておくれな」


 僕の手にふわふわがついた棒が押しつけられた。


(俗世を離れて暮らすことを、『霞を食う』といったかな)


 これが本当の……以下省略。

 恐る恐る、口でぱくっとちぎってみる。

 味はほんのり甘くてそれなりに美味しい。ただし食感はゴワッとしている。


「旨いか?」

「……はい」


 僕がそう言うと周りがどっと沸いた。


「無理しなさんな、お若いの」

「君はまだ死んだばかりだったか。これは失敬失敬」

「悪いことをしたね。まだ魂が浄化されないうちは、食べ物がすごく不味いのさ」

「七日もすれば慣れるよ」


 老人たちは口々に僕を励ますと、わらわらと散っていった。引き続き軽やかにステップを踏む者、太鼓を叩く者、新しい飴をもらう者。

 僕は首を傾げながら、もさもさと飴を頬張った。


(ここへ来て初めて食べた飴は、ヘンテコだったけど、すごく不味いって程でもなかったかなぁ)


 当たり外れがあるのだろうか。


「味はどう?」

 いつの間にかミウが歩み寄っていて、僕に話しかけた。

「んー……まあまあ」

 へえ、と興味深そうにミウは言った。

「魂の清らかな人間は、あまり食べ物を拒絶しない。つまりあなたは、良い魂を持った人間」

「もさもさもさ」

「言いたいことがあるなら飲み込んでから喋りなさい」

「……魂に、良いとか悪いとかあるの?」

「ある。生まれた直後のまっさらな魂には無いけど、歳を取ると色々と変わるでしょ。あんまり濁っているとヒナコ様に嫌われる」

「ヒナコ様基準なんだ」

「だってここはヒナコ様の国だもの」


 僕は納得が行かなかったけれど、反論も思いつかなかったので、黙ってもさもさしていた。

 ミウは説明を続ける。


「悪い魂を持つ人間は、浄化に時間がかかるから、不味くてなかなか物を食べられない。すると魂が消滅しちゃうでしょ。だから、また生まれ変わりたかったら、生きてる間に善行を積みなさいってね」

「……ふうん」


 もさもさもさもさ。


「……まだ食べてるの?」

「これ、意外と分量があるよ。一つでお腹いっぱいかも」

「あ、そう」


 ミウは興味なさそうに言って、往来で踊る老人たちを眺めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る