第17話 世界を超えて君を

 ミウが出してくれたお茶を飲みながら、落ち着いて話をすることにした。

 といっても飲んでいるのは僕一人だけで、しかも味はすごく苦かった。


「ボクは宇宙樹を使って異世界に干渉することができるんだよ」

「ナルホド」

「とある名の無い異世界がボクのお気に入りだった。その世界の中でも、日本という地域が好きでね。あそこで食べた里芋の煮っ転がしという食べ物がとても美味しかった……。だから、日本を真似するために、しょっちゅう訪れていたんだよ」

「……」


 やたら日本とそっくりな世界だなぁと思っていたら、そういうことだったのか。芋の煮っ転がしが世界を変えたのか。いいのかそれで。


「ある日、日本で素敵な女性を見つけてね」

 ナギは続ける。

「ボクは一生懸命その女性を口説き落として、めでたくボクたちは恋仲になったんだ。でもボクは一旦こちらへ帰らなくちゃいけなくなってさ……『必ずすぐに戻る』と言ったのに、次行ってみたら子どもが生まれて大きくなってるし、罵倒されて追い返されるし、挙げ句の果てにアホンダラだって。ううっ」

「五年の歳月はすぐじゃないですよ」

「そうだよねキミたちにとっては……うっかりしてたよ……」


 うっかりの規模が洒落にならない。


「もう一つうっかりしたことがあってさ。それはカオルがこちらへ来た時の話なんだけど」

「僕が踏み潰しちゃったことですか? あの時は、その……すみませんでした」

「ああ、違うんだ。あの時ボクは、キミを助けようとしたんだよ」


 僕は首を傾げ、ナギは力無く笑った。


「日本で車に撥ねられて死んでしまったキミを何とか助けるために、急いでキミの魂をこの世界に呼び出したんだ。本当はそのあとキミを連れて家に帰るつもりだったんだけど、力を使い果たしてしまってさ。キミの下敷きになった拍子にうっかりボクの方が死んでしまったというわけ」

「そんな……」

「召喚して、肉体を与えて、受け止める、となると、結構力を使うからねー」


 僕は何と言っていいか分からなかった。

 ここにも僕のことを想ってくれる存在がいた?

 僕のために全力を注いでくれる人が?

 そんなことがあるだろうか。


「僕……」

 僕なんか、と言いかけて、やめた。

「僕を、助けるために、死んだって言うんですか」


 僕は自分が神様に巻き込まれただけだと思っていた。運悪くこんな事態に陥ってしまっただけなのだと。

 だがそうではなかった。やはりナギは僕のせいで死の国へ来たのだ。


 動揺を隠せない僕だったが、ナギはよく分からないという顔をした。


「何言ってるんだい? キミだって見知らぬ幼児のために命をかけたじゃないか」

「だって僕は……誰か犠牲にしてまで命を助けられるような、そんな大層な人間じゃないんです……」

「言っていることが支離滅裂だなぁ」


 ナギは微笑んで、僕の目を見つめた。


「キミはボクにとってかけがえのない人なんだよ。そんな風に言わないでおくれよ」

「……!」

「ああ……」


 ナギは額に手をやった。


「何だか具合が悪くなってきた。二人とも、ちょっと下がってくれないか」

「承知いたしました」


 ミウは一礼すると、さっさと退室した。僕はとりあえずそれに続いた。

 居間のソファに座って、混乱する頭を何とか整理しようとする。

 一気に色んなことが分かって、気持ちがついていかない。


「ねえミウ」

「何?」

「僕、本当にこの世界に来て良かったのかな」

「はあ? 知らないよ、そんなこと。ただ、畏れ多くもナギ様に助けて頂いたこと、感謝した方が良いと思うよ」

「……」


 僕は居間の窓際に歩み寄って、外を眺めた。


 弱く輝く太陽に照らされて、空も海も暗いまま。たなびく雲が桃色に染まっている。


 ふぁ、とミウが欠伸をした。


「そんなことより、夜明け前から待っていたから寝不足。ちょっと休んでくる。あなたも昨日からずっと起きているんでしょ、部屋で休んでいいからね」

「ありがとう」


 ぐぎゅるるるるるる、と音が鳴った。例によって僕の腹の虫の鳴き声だ。


「その前に、晩ご飯……いや、朝ご飯を食べて良いかな」

「ああ、うん。適当に集めておいた食材があるから、勝手に食べて」

「分かりました」


 フリングホルニのキッチンは、ブラズニルのそれと大して変わりは無かった。しかし、宇宙樹の箱と思われるものを開けてみると、そこには──異次元の光景が広がっていた。


「んん……!?」


 生肉のようにも見える青い塊、黒くてどろっとした謎の液体、うねうねと気持ちの悪い形に捻じ曲がった紫色の木の実。

 これはニフルではなく地獄と繋がっている箱だったのかと、勘違いしそうになる。


「……ナンジャコリャ」


 どこからどう調理してやればいいのか皆目見当が付かない。ここへ来てようやく異世界らしいものに出会ってしまった。困った。どうしたものか。


 僕は試しに変な木の実を齧ってみた。


 口の中でぼろっと崩れる。味はリンゴに近いが、灰でも噛んでいるみたいだ。


 これは、ミウの食材のチョイスが悪いのか?

 それとも地下世界の食材はみんなこうなのか?


 ニレイの話によると、地下世界のものはだいたいヒナコが創り出したもので、どれもナギに忌み嫌われるような『できそこない』ばかりだという。


「……」


 これは、地上の時よりも遥かに、過酷な旅路になりそうだ。


 僕はぎゅっと顔をしかめて木の実を食べ切り、乾いた口を潤すために変な液体を飲んで、その舌触りの悪さにむせ返った。

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