第4章 地下

第16話 聞いてないよ


「ゴバァ──ッ」


 とパニックのあまり叫びたいところだったが、水を飲んでしまいそうだったので我慢した。


 ペラペラの太陽が、僅かに輝きながら、物凄い速さで遠ざかっていくのが見えた。


 このままだと真っ暗闇の中で溺れてしまう。苦し紛れに神器ミスティルをググッと握りしめる。


 ふわっと体が軽くなった。


「?」


 ミスティルの四角い部分が白い光を放っている。

 重力が感じられなくなり、上下左右が分からなくなる。そして僕の体は猛烈な速さで水中を進み出した。太陽を追って。

 水圧は感じない。息が苦しくもない。ただただ体が押し出されてゆく。


(何だろう、これは)


 戸惑っている間も無く、ザバーン、と僕は水面から顔を出した。


(なるほど、頭から入って頭から出るのか……って)


 呑気に感心している場合ではなかった。僕は上がってきた勢いのまま、イルカのように空中へと放り出される。


「うわあーい」


 ドサッと投げ出された。

 そこは、トコヨの住んでいた島そっくりだった。

 ボコボコした岩場があり、空の縁がある。僕が出てきた池が荒々しく波打っている。太陽は不思議な感じの紅色に弱々しく燃えながら、空を昇って行っている。


「来た」


 女の子の声が耳に飛び込んできた。

 見上げると、なかなかに個性的な服を着た少女がそこに立っていた。

 着物風のトップスに、ひらひらとフリルのついたスカート。藤色の髪を首筋で二つに結っており、右目には黒い眼帯をつけている。


「こんにちは。ええと……ミウ、だったっけ?」

「うん。おはよう、カオル。迎えに来たよ」


 ミウは僕の手を取って助け起こしてくれた。


「スミノから大方の事情は聞いてる。まずはこれを」


 ミウは棒付き飴のようなものを取り出して、僕の口に突っ込んだ。


「モガァ。……僕には、黄泉竈食よもつへぐいが必要なの?」

「あなたは半分人間だから」

「そうなんだ」


 何だかヘンテコな味のする飴だった。甘酸っぱいのだけれど、どこか渋い。


「その様子じゃ、着替えた方がいいよね。風邪を引いちゃう。こっちへ来て船に乗って」

「ほぇ? ミウもブラズニルを持っているの?」

「ううん、あれは『フリングホルニ』。今回だけナギ様にお借りした、ナギ様の作られた神器。あそこの客室にナギ様がいらっしゃるから、着替えたらお会いするよ」

「……!」


 僕は緊張して体を強張らせた。ミウは船の階段を上りつつ、スッと目を細めて笑った。


「そんなに怖がることは無いと思うよ。あなたならナギ様も歓迎するはず」

「か……歓迎?」

「まあ、会ってからのお楽しみね。さ、そこの部屋に入って、お湯でも浴びて着替えて来て。私は居間にいるから」


 バタンと木のドアが閉められた。

 僕は身震いして、飴をどうしようかと考えながら、ひとまず適当な箪笥を開いて服を探した。


 真紅のワンピースが出てきた。


「んー……」


 少なくとも僕の故郷ではワンピースは女の子のものだったから、僕は着たことはなかった。「女の子」という記号を身にまとうのは、窮屈な気がしたから。


 僕は飴を噛み砕くと、箪笥をごそごそと漁った。ようやく一着の服を見つけると、お風呂場に入って塩水を洗い落とし、身支度をした。


 居間に入ってきた僕を見て、ミウは微妙な顔をした。


「浴衣でナギ様の御前ごぜんに出るの?」

「あ、駄目だった?」

「まあいいや。ナギ様は服装にうるさくない。いっつもパーカー姿でいる奴もいることだし……。おいで。ナギ様にお会いしよう」


 ミウは読んでいた本を置くと立ち上がった。


 一号室へ案内される。


「失礼します。ミウです。カオルが到着致しました」

「ああ。どうぞ入って」


 思いがけず爽やかな声に迎えられ、僕は部屋に入った。


 ソファに座っていた青年が立ち上がる。


 空色の瞳に、栗色の髪の毛。きりりとした目尻。鼻筋の通った顔立ち。


「よく来たね。我が息子よ」

「はい?」

「ボクのこと覚えてる? 十年前に一度会ったんだけど」


 僕は、ふるふると首を振った。


「そうか……ションボリ〜」

「え? あなたは、ナギ様ですよね?」

「そうだよ、ボクはナギ。世界最高位の創造神だよ」

「ええ? それで、僕があなたの息子?」

「うん! キミはボクの息子……ボクはキミの、お父さんなんだ!」

「えええ?」


 僕は混乱の極地に至り、頭に手をやった。


「僕のお父さんが、神様? ええ? どういうこと?」

「そうなんだよ。キミのお母さんには追い出されちゃったから、それ以来会えていなかったけど……ううっ」


 ナギは突如として涙ぐんだ。


「嗚呼、ボクの愛しのヨシエ……どうしてボクを捨てたんだ。うっうっ」

「じゃあ、ナギ様をフッた人って、母さん!?」

「そうだよぉ……ウワアアアアアン」

「うえあああああ!?」


 僕とナギの叫びが部屋いっぱいに響き渡る。ミウがうるさそうに、眉間に皺を寄せた。


「カオル、何故ナギ様が袖にされたか知ってる?」

「知ってるも何も……。母さんは、『あの腰抜け間抜けのクソヤロウは仕事も家事も育児もしないで私たちを何年も放ったらかして……今さら父親面したところでもう遅いわ、アホンダラァ!』って言っていたよ」

「アホンダラって言ったのかい? ウワアアン酷いよヨシエー!」

「カオル……! 余計なこと言わないで!」


 ミウが急いでナギをなだめにかかる。僕は唖然として自分の手を見る。


 ──人外だよ、人外。生物学的におかしいんだ。

 ──貴様は人間か?

 ──あなたは半分人間だから。

 

 僕の半分は人間じゃなかったのか。

 神の血を引く者だったのか。

 道理で……。


 ……いやいや、何だこれ……。


 聞いてないよ。喜んでいいのか、悲しんでいいのか、どうするべきか分からない。


 ただ一言、僕は言った。


「すごい……これが本当のゴッドファーザー」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る