第14話 西の果てに沈む

 翌日、船は西の果ての小島に辿り着いた。


 岩でデコボコした道をしばらく歩くと、ポツンと一軒のログハウスが建っているのが見えた。

 コンコンコンとノックを三回。


「はあい」


 中からおっとりとした声がした。ニレイがはっと身を固める。


「突然の訪問、失礼仕ります。私はヒナコ様のの御使みつかい、ニレイと申します。地下へ行きたいと申す異世界人カオルを連れて参りました」


「あら、まあ。待ってね」


 キィ、と蝶番の音がして、木製の扉が開いた。


 出迎えてくれたのは、背の高い女性。

 夕焼け色の長い癖っ毛に、夕闇色の穏やかな瞳。黒いタートルネックのセーターを着ている。落ち着いた、大人びたお姉さんに見えた。

 ニレイは素早く跪いた。


「直々のお迎え、痛み入ります。トコヨ様」

「遠い所、ご苦労様。ニレイちゃん、カオルちゃん。どうぞ中へ」

「失礼します」


 僕たちは招き入れられるがまま、女神トコヨのお宅にお邪魔した。

 広くて、閑散としていて、でも暖炉の残り火のような暖かさのある家だった。


 トコヨの御使みつかいらしき眼鏡をかけた金髪の男性が、お茶を運んできた。ほかほかと湯気を上げるそれは、ほうじ茶であった。


「要件はこの子が、幻のカメちゃんから聞いているわ。でも、もう少し詳しく聞かせてくれる?」

「承知しました」


 ニレイの説明をふんふんと聞いたトコヨは、上品に湯飲みを机に置いてから、興味深そうにカオルを見つめた。


「きみは生者でもあり死者でもあるみたいだね」

「はい、そのようです」

「確かに、きみだけなら問題なく地下世界へ行けるでしょう。それも今日中にね。……ちょっと待ってて。ゆっくりしていて頂戴」

「ありがとう存じます」

「ヤマトちゃん、宇宙樹の木材を取ってきて。一番良いやつよ」

「御意」

「ふんふんふんふふん」


 トコヨは歌いながら別の部屋へと消えた。残された僕とニレイはひとまずお茶を飲んだ。


「いよいよ死の国に行くのか。ドキドキするなぁ」

「無事に戻って来いよ」

「まぁ大丈夫。多分何とかなるから」

「ふんふんふんふふん」


 トコヨがヤマトを連れて出てきた。


「準備ができたわ」

「え?」


 さっき出て行ったばかりでは?


「思ったより手間取っちゃった。これを見てくれる?」


 トコヨが机に乗せたのは、ネックレス。先端に、四角い木片が付いている。


「これはさっき宇宙樹の木材で作った神器──そうね、『ミスティル』と名付けましょう。宇宙樹には世界間を繋ぐ役割がありますからね。これを首に下げておきなさい、カオルちゃん。くれぐれもなくさないこと」

「あっ、はいっ、分かりました」


 僕はガラス細工でも触るようにそうっとミスティルを持ち上げると、ゆっくりと首にかけた。


「そんなに丁重に扱わなくても、神器だから壊れたりしないのよ?」

「そ、そうでしたか」

「さあ、行きましょうか。日の没する処へ」


 トコヨはふんふんふんふん歌って家を出て行った。ヤマトがそれに付き従ってゆく。よく分からないが、僕とニレイも続いた。


 トコヨとヤマトは、岩でボッコボコの歩きづらい地面を、すいすいと歩いていく。

 僕とニレイは、滑ったり転んだり躓いたりしながら、懸命に追いかける。

 時刻は夕暮れ時、日没が近い。


 せっせと歩いて、行き着いた先に、大きな水溜りがあった。

 磯の香りがする。底が見えない。真っ黒だ。

 そしてその池の対岸は、壁のようにそそり立つ、空そのものだった。

 ちょうどお椀をかぶせたような格好をしている。


「これが、空の珠」

「触ってみたらどう?」


 トコヨの勧めに従って、僕は水溜りを迂回して、空に恐る恐る触れてみた。

 熱くも冷たくもない。ガラスのようにつるつるしている。分厚くて頑丈だ。


「ふうん……」

「さあ、カオルちゃん。そこから離れて。もうすぐ太陽が来るわ」

「!」


 僕は走ってトコヨのもとに戻った。

 何が起こるのか、期待と不安が入り混じる。


 やがて、眩く輝く光の玉が、ぽーんと、空の上から滑り降りてきた。

 何か……平たい。球じゃない。

 まあるいでっかいペラペラだ。壁に映し出された、プロジェクターの動画みたいな。

 何だろう、このありがたみの薄さは。


 トコヨが手をかざすと、太陽の動きが急速に鈍った。その手の導くままに、ゆっくりと空の珠を伝って降下する。


 周囲がよほど暑くなるのかと思えば、そうでもない。空気がやや暖かくなった程度。

 やがて、ペラペラは、例の水溜りにぽしゃっと落ちた。

 ジュッ。

 太陽が急速に力を失う。そのまま、水に沈んで、消えて行った。

 辺りが真っ暗になった。


 シン、と静まり返る。

 ヤマトがカンテラを灯した。


「さてカオルちゃん。今から死の国へ行ってもらいます。心の準備は良いかしら」

「実はあんまり良くないんですけど。これから何をするんですか?」

「あら、まあ。それでも行ってもらいます。ヤマトちゃん、手伝って」

「御意」


 トコヨとヤマトの手によって、僕は頭と足を逆さまにされた。


「へ?」

「それじゃあ池にぶち込むわね〜」

「え?」

「逝ってらっしゃい、カオルちゃん! 太陽を追いかけて!」


 ドボォン!


 僕は頭から池に突っ込まれて、あえなく沈んで行った。


 ゴボゴボゴボ。


「カオルー!」


 というニレイの呼び声が、どんどんと遠ざかっていくのが聞こえた。

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