第3章 西へ
第11話 死してなお生きる
「死んだら潔くまっさらになるというのが、世界の
ニレイは、スミノが注文して届けさせた温かい天ぷら蕎麦をもりもり食べていた。
「もぐもぐ。食わんことで魂の記憶を保持する上に、食わずとも魂が消滅せん、だと? 滅茶苦茶だ。これは世界に対する冒涜ではないか」
「あ、あはは……ややこしいんだね」
「笑っている場合か。貴様はあの時焼き鳥を食わなかったら、魂が消滅していたのだぞ」
「焼き鳥? ああ……」
そういえば初日にニレイが大急ぎで買ってくれたっけ。あれは美味しかったなあ。食べたらほっとしたのを覚えている。ラーメンのインパクトに負けず劣らず印象的だった。
「その国のものを食うことで、そこに留まる資格を得る。だから、生きている者は生の国のものを食い、死んでいる者は死の国のものを食う。そうやって魂を存在せしめるのが、人間の営みだ。赤ん坊でさえ、生まれたらすぐに母乳を飲むだろうが」
「そうなんだ……そういう仕組みなんだ」
「それに比べて、ミウの奴は何を考えているのだか。全く。……ごちそうさま」
ニレイはきちんと手を合わせて言った。
「お前は相変わらずの食いっぷりで安心したぜ」
気前よく僕たちに三人前の蕎麦を奢ってくれたスミノは、自分も箸を置いて、あっけらかんと笑っている。
「ふん」
「ま、しかし、世界が変容とか崩壊とかする心配はなくなったな。ナギ様がうっかり何か召し上がっちまわない限りは」
「……そうだな。魂がまっさらになることはないらしいからな……うっかり召し上がらない限りは」
「召し上がりそうだがな」
「……やはり急いで行く必要がありそうだ。こうしてはいられない」
ニレイは立ち上がった。
「スミノ、協力に感謝する。私はこいつをとっとと西の果てまで連れて行くから、これで失礼する」
「おう、頑張れよ」
「あと蕎麦は旨かった」
「おうよ」
「……行くぞ」
「ま、待ってよニレイ!」
僕は慌てて蕎麦のつゆを飲み干した。
「ごちそうさま。スミノ、ありがとう!」
「いいってことよ。ナギ様をよろしくなー」
僕はニレイを追ってドタバタと部屋を後にした。
緑の町を潜り抜けて駅へ行き、西へ向かう汽車に乗る。
「門を出たら西北西の方向へ向かってブラズニルを飛ばす」
「分かりました」
スミノがいなくなると静かである。ニレイも僕もお喋り好きというほどでもなかったから。僕たちは黙って汽車に揺られていた。
僕は人生について考えていた。
──詳細は不明だが、どうも故郷での僕は死んだらしい。
母さんは悲しむに違いない。申し訳ないことをした。親孝行の一つもできないまま、先立ってしまうなんて。本当なら、賽の河原で延々と石を積み上げる苦行を強いられて然るべき罪だ。
故郷での人生は一体何だったのだろうか。全部無駄だったのだろうか。せめて、僕が助けた幼児は、無事であって欲しいのだが……。
知らず知らずのうちに溜息を落としていたらしい。ニレイが「どうした」と訊いてきた。
「あ、いや……。母さんを故郷に一人残してきてしまったなあ、と思って」
「……そうか。父親はおらんのか?」
「さあ? 五歳の時に一度会ったらしいんだけど、その時に母さんが怒って追い返しちゃったからな……今何してるかな」
「さすがに葬式くらいには来るんじゃないか」
「ああ、確かに」
自分の葬式について考えるのは奇妙な気持ちだ。そこに参列する両親のことを思うと胸が痛む。
あーあ、本当に僕は、どうしてあの世界に生を享けたのか。どうしてこの世界に来てしまったのか。今なお全てが闇の中だ。
人生
「うーん、今は思考がネガティヴになっていて、いけないなぁ」
「……いけないということは、ないのではないか。死とは重く受け止めるべき現実だ」
「んー。死というか」
どちらかというと、生きることは重たいなあと思う。
これまで何だかんだで生き永らえて、大怪我もせずのらりくらりとやりすごして、ノホホンとしながら息をしてきた僕が、こんなことを言っては
「何と言うかなあ」
「ああ、今のは、貴様がナギ様を死の国へ送ったことをとやかく言っているのではなくてだな……何だ……その、気の毒だったな、諸々のことが」
ニレイが焦った様子で早口で言ったので、僕はちょっと笑った。ニレイはむくれた。
「……笑うな。人を慰めるのは得意ではないのだ」
「そんなことないよ。ありがとう、ニレイ」
「……ふん。どういたしまして」
ニレイはそっぽを向いたまま言った。
やがて汽車はヨツルの町の最西端に停車した。僕たちは駅を出て、城壁を抜けて、ブラズニルに乗った。
「……長旅になる」
ニレイは言った。
「ブラズニルは汽車の何十倍も早く進むが、西の果ては遠い。要するに空の果てだからな」
「了解です」
「退屈凌ぎに、貴様の話を聞いてやっても良い。また何かあれば遠慮なく言え」
僕が頷いたのを確認してから、ニレイは二号室へと去って行った。
ニレイは素っ気ないけど思いやりのある人なんだなあと、僕は思った。この世界に来てようやく僕は、人との交流とは心温まるものなのだということを、知った気がした。
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