第8話 口喧嘩が酷すぎる

 オレンジ色のパーカーを着た大男が、木でできたピコピコハンマーのようなつちをこちらに突きつけて、大声でのたまった。


「お前の頭を凹ましてやろうかぁ!」


 男の前でおすわりをしていた紫色の犬が「わふっ」と鳴いた。ゴールデンレトリバーほどの大きさで、牙が長い。


 僕はというと、口をあんぐり開けて突っ立っていた。


「え、ええと……」

「このアンポンタンのスットコドッコイ。……スカポンタン。よくもノコノコと俺の前に姿を現せたな! お前なんか……バーカ! もうホント、バーカ!」


 ニレイがスミノの罵倒を完全に無視して、犬の前に屈み込んだ。


「おい、スミノ。こいつは魔物か? ヒナコ様は地上でも、命の創造を始められたのか。私は聞いていないのだが」

「違いまーす」


 スミノはハンマーで手のひらをポンと打った。途端に犬は煙のように掻き消えた。


「これは俺が、神器の『ミョルニル』で作った幻でしたー。はい、ニレイもバカー。マヌケー。わはははは。わーははははははは」


「は?」


 ニレイの氷の冷たさで言った。


「己が主人の訃報の直後にふざける余裕があるとは大した忠誠心だな。クソの役にも立たん戯け者が。貴様のような御使みつかいを持ったナギ様がつくづくお気の毒だ」


 スミノは動きを止めた。


「そ……そ……」


 顔が泣きそうに歪む。


「そこまで言うこと無ぇだろー!」

「やかましい。犬に食われて死ね」

「うわああ、助けてくれ異世界の人! ニレイがいじめる!」


 スミノが僕の肩を掴んで、グワングワンと激しく揺さぶった。


「やめてー首がもげるー」

「お? そんなら、これをニレイにやったら、もげるか?」

「触るな穢らわしい」

「なっ! 俺は汚くねえよ! ちゃんと風呂に入ってるからな」

「存在そのものが害虫なのだから幾ら洗おうが変わらん。気色悪い」

「そ……そ……」

「まあまあまあまあ」


 僕は二人を懸命になだめた。

 スミノは悲しそうにミョルニルを叩いて、再び魔物の幻を出すと、しゃがみ込んでヨシヨシと毛並みを撫で始めた。

 その様子を憐みを込めて見つめてから、僕はそっぽを向いているニレイに呼びかけた。


「ねえ、幾ら何でも言いすぎだよ。スミノには頼み事があるんでしょう。ここはごめんなさいをして、話し合おうよ」

「……」


 ニレイはハアッと溜息をついた。


「……おい、スミノ」

「何だよ、ニレイ」

「すまなかった。言いすぎた」

「……俺もふざけちまったな。すまん!」


 あれだけコテンパンに罵られたのに、スミノはコロリと機嫌を直した。ニカッと笑って、町の中に案内してくれる。


「ヨツルの町は都会だからな。びっくりして腰を抜かすなよ、異世界の人!」

「僕の名前はカオルです」

「俺はスミノだ! よろしくな」

「うん、よろしく」

「さあて、南の大都会ヨツルへようこそ!」


 城壁の中に広がっていたのは……緑。


「ん?」


 高層ビルが建っていることや広い車道があることに対しては、今更驚かない。だがビルの壁からニョキニョキと木が伸びているし、道路脇にはこれでもかというほど街路樹が植わっている。所狭しと空間を緑が埋め尽くす。


「すげえだろ。宇宙樹の一部を拝借して植え替えたんだ。こいつらはみんな都会のエネルギー源になっているんだぜ」

「すごい。これが本当のコンクリートジャングル」

「……ジャングルって何だ?」

「ああ、……んーん、何でもないよ」

「そうか! さあ、そこが駅だ。お待ちかねの汽車に乗るぞー!」


 僕たちはムスペルの炎で動いているという汽車に乗り込み、町の中心部へ向かった。

 降車した僕たちは、町の中でも特に高いビルの高層階に連れて行かれた。オフィスの応接室のようなその部屋の窓のすぐそばでも、葉っぱがフサフサと風に揺られている。

 僕は紅茶を飲んで、緑の町を見下ろした。


「で、重要な話って何だー?」

「死の国への行き方を知りたい」

「え? 死ねば?」

「は? 貴様が死ね」

「そうじゃなくて、死ねば行けるだろー」

「だから」


 ニレイはやや苛ついた様子だった。


「こいつは生きたまま死の国へ行って、ナギ様を連れ戻さねばならんのだ」

「おう、そういうことかよ」


 スミノはあの槌をジーンズの尻ポケットから引っ張り出した。


「ミョルニル。死の国への行き方を示せ」


 ポンと手のひらを叩くと、槌からプシューと桃色の煙が吹き出してきた。それはモクモクと寄り集まって、文字を形成した。


『死ね』


「だとよ」

「……」

「まままま待て待て。やり直してやるから待てって。……オーケーミョルニル、人間が生きたまま死の国へ行く方法は?」


 プシュー。モクモクモク。


『トコヨ』


 ああー、と二人が声を上げ、僕は一人で首を傾げた。


「トコヨ様とは西の果てにおわす神様だ」


 ニレイが説明してくれた。


「毎日、太陽が死ぬのを見届けるのが役割でいらっしゃる。あのお方にお尋ねすれば、何か分かるということだ」

「毎日太陽が死ぬ?」


 それは、沈むということの比喩だろうか?

 いや、そうではない。

 僕は想像力を働かせた。

 沈む。太陽が地平線の向こうへ行く。その先にあるのは? ──そう、地下世界、即ち死の国だ。


 ニレイは、机の上に指でマルを描いた。


「これが空だ」

「はい」

「そしてこれが大地」


 マルの直径を、一本の線で横に結ぶ。


「上半分が地上世界、下半分が地下世界。両者は背中合わせになっている」

「なるほど」

「太陽は一日で空の珠を一周する。東の果てで生まれてから、半日をかけて地上世界の空を行き、西の果てで死ぬ。死んだ太陽は地下の国の空を行き、翌朝、東の果てで生まれ変わる」


 太陽は、丸い空をぐるぐるとめぐっているのか。

 僕は得心して頷く。ニレイは続けた。


「人間は死んだ者を埋葬するだろう。あれは、毎日生まれ変わる存在である太陽にあやかって、死人が無事に地下世界で五十年間過ごしたのち生まれ変わってくれるように、という願掛けなのだ」

「ふうん。五十年?」

「ただ待っていれば、ナギ様の魂は、地下世界で五十年かけてまっさらになられたのち、地上で再びお生まれになる。だが創造神がまっさらになったら、世界に何が起こるか分からない。できれば、そうなる前に連れ戻したい。だから、事は急を要すると、ヒナコ様は仰ったのだ」

「……なる、ほど」


 ここへ来てようやく僕は、自分に課されたものが何なのかを理解した。

 激ヤバどころの騒ぎではない。

 一刻も早く、ナギのところに行かなくては。

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