第7話 やんごとない事情


 巻き上がった埃で前が見えなくなった。ギャーッと野太い悲鳴がそこここから上がる。


「おい、ボケッとするな。行くぞ!」


 ニレイが、僕の腕を掴んで引きずり、ブラズニルの乗り口まで引っ張り上げた。相変わらず、細い体に見合わぬ怪力だ。


 上昇を始める船。甲板に上り、僕は下を覗き込んだ。


 壊れかけていた建物は、ダイナマイトを放り込まれたように真ん中にどでかい穴を開けて、見るも無惨に崩落していた。

 ブラズニルはバラバラと建物の破片を撒き散らしながら、空へと駆け上る。


「うーむ。死者がいないといいのだが」


 ニレイも甲板に出て、空中に手のひらを差し出した。倒壊した建物の中から『空の欠片』と呼ばれていた水晶玉が飛んできて、スポッと綺麗にニレイの手に収まった。


「神器二点回収完了。一件落着」

「下の人たちは大丈夫かなぁ?」

「いいんだ。もう面倒臭くなった。下々の人間を気遣うのは、やめだ」

「そ、そっか」


 空から町を脱出した僕たちは、隣の町に降り立って、ようやく服を買い込むことができた。

 さっそく白いシャツに着替える。


 その後定食屋に入り、僕は焼魚定食をご馳走になった。

 川魚の淡白な味に塩がばっちりと効いていて、ご飯がもりもり進んだ。

 

「さっきはびっくりしたよ」

 熱いお茶を飲みながら、僕は言った。

「洪水のことで、神様に恨みを持つ人がいるんだね」

「ああ。巻き込んでしまってすまないな」

「ううん、そんなことないよ。ニレイのせいじゃないんだし」

「そうか」


 ニレイは味噌汁のお代わりを受け取った。これで五杯目だ。


「……三年前の洪水は、ナギ様が起こしたものだ」


 あの男たちの口ぶりからして薄々そんな気がしていたが、改めて聞くと酷い話だ。


「家族を失った者も少なくない。仕事を失い露頭に迷う者もいる。そういう者の中には、ならず者に転落するやからも出てくるというわけだ」


 それを聞くと彼らのことがちょっぴり可哀想になってくる。だからって、盗みや暴力に走って良いわけではないと思うが……。それとも、生きるためには仕方がないのだろうか。よく分からなくなってきた。


「ナギ様って、本当に偉い神様なの? 聞いた感じ、ただただ駄目で迷惑な人って印象なんだけど」

「こら。不遜な物言いをするな」


 ギロリと睨まれる。とても怖い。食事中でなければ蹴りを食らっていたに違いない。僕は白米の恵みに感謝した。


「……ナギ様はこの世界に、太陽と水と命と大地とを創られた方だ」

「へぇ……。それは凄いなぁ」

「ただ先日、失恋したらしくてな」


 お茶が気管に入った。涙目になって咳き込む。


「しっ、失恋!?」

「その傷がもとで御病気になってしまわれた。心を病まれている」

「あ、あらららららら……」

「それでついこの間まで宮殿に引きこもっておられた。その間は無害といえば無害なんだが、数年に一度、ストレスを溜め込んで暴発する。それで、洪水だ」

「それは……」


 そんなことでいちいち大災害を起こされたのでは、住んでいる人間はたまったものではない。


「大変だね」

「うむ。ナギ様の御心痛は、いかばかりか」

「あ、そっちの心配しちゃうの?」

「昨日の騒ぎも、実は御病気のせいではないかと私は見ている。ヒナコ様にお会いしたことによって、ストレスが限界に達したのだ」

「……そんなのってあり? そんなことで、神様ともあろうものが、死んじゃうの……?」

「ナギ様は、我があるじヒナコ様がお嫌いなのでな」

「それで『やだやだ』なんて言ったの? やっぱりただの駄々っ子じゃないか……」


 その時、ポーン、とビブラフォンを叩いているような音が、ニレイのマントの中から響いてきた。

 ポーン、ポーン、ポーン。


「むっ、着信だ」

「着信!?」


 ニレイは空の欠片を取り出した。それは中心から青い光を発している。


「もしもし。ニレイだ」

「オーッス!! 俺だ! スミノだ!!」


 男の声が飛び出してきた。

 続いて、珠の中に、ゆらゆらと人影が映し出される。

 黒い瞳、褐色の肌、白く光る歯。

 何だこれは。ビデオ通話機能が付いていたのか。知らなかった。随分とまた便利なことだなあ。


「久しぶりだなあ、ニレイ。昨日は伝言を入れといてくれて、ありがとな!!」

「おい、こっちは定食屋にいるんだ。声を抑えろ」

「おっ、悪い悪い。んで、今どの辺だ?」

「明日の午前中にはそちらの城壁の北に着くだろう」

「じゃあ迎えに行くわ! 着いたら言ってくれ」

「承知した」

「それから、隣にいる変な奴は誰だ?」

「こいつが例の異世界人だ」

「ほおーう?」


 スミノは目を細めた。


「てめぇか、俺のあるじを踏み潰したってのは……。良い度胸してんじゃねぇか、おおん?」

「ひえっ……」

「明日会ったら覚えとけよ! ケチョンケチョンにけなしてやるからな!」

「け……貶す? 貶すの?」

「こんな風にな。……バーカバーカ。アホアホ。イカレポンチ。お前なんかドブにはまって泥んこになれ! 知ってるか、ドブってスッゲー臭い」


 ブツッと珠が光を失った。


「やかましいのでこちらから交信を切った」

「ああ、はい……」

「次の町で一泊したら、今の奴に会いに行くから、そのつもりでいろ」

「ええー……バーカって言われたんだけど」

「安心しろ、莫迦はあいつだ」


 バッサリと切り捨てたニレイは、新しいマントから赤いがま口財布を引っ張り出して、会計をしに席を立った。


 

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