第2話 異世界にラーメン


 船がぐぅんと空に向かって発進する。僕は訳も分からず風に髪を煽られていた。「ブラズニル」は空飛ぶ船だったのだと今更ながら思い知らされる。そりゃそうだ、陸の上で木の船なんか出してどうするのかと思った。

 こんな乗り物は初めてだから、どうにも心細い。

 しばらくして船の操舵室から出てきたニレイは、甲板に出て僕の隣に座った。


「何だ。高所恐怖症か?」

「ううん、別に」


 船は早くもあの樹木のある森を抜けていて、眼下には草原が広がっていた。城壁に囲まれた町が遠くに見える。


 ぐぎゅるるるるるる、と変な音がした。僕の腹の虫の音だ。


「……おい、貴様、まさか腹が減っているのか?」

「そうかも」

「何故それを早く言わない。魂に関わる大問題だぞ」

「へ?」

「都会へ行くのは一旦やめだ。そこの町に停船する。腹ごしらえをしよう」


 ニレイは操舵室にさっさと引き返した。ようやく風に乗り始めたばかりの船は、ガクンと減速し、降下を始める。胃の腑がヒュンッとなるかと思ったがそんなことはなかった。不思議と、僕の体はしっかりと船の甲板に引き付けられていて、吹っ飛ばされずに済むようになっていた。これも神器の力に違いない。

 

 壁の門のかなり手前の草原に、ドスンと着地したブラズニルは、たちまちのうちニレイの手によってハンカチ大に折り畳まれた。僕とニレイは門に向かってせっせと歩き出した。

 草原の中には、門へとまっすぐ続く道が敷かれていた。アスファルトの様な石によって平らに整備されている。こつこつ歩いて門の前に着くと、くたびれた身なりをした門番らしき人が「うーい」と気怠けだるげに言った。


「お嬢さん、通行証はお持ちで?」


 ニレイはマントの中から青く透き通る水晶玉を取り出した。


「私は女神ヒナコ様の御使、ニレイという者だ。こちらは私の連れの……貴様、名を名乗れ」

「あっはい、カオルです」

「うーい。ニレイ様とカオル様、お通ししまーす」


 門番が壁についたレバーをガラガラと回し、柵を上げて僕とニレイを通した。


 わっと、色とりどりの街並みが視界に飛び込んできた。


「これが、町かあ」


 メインストリートと思しき真っ直ぐな道。それを挟んで色とりどりの店が立ち並び、沢山の人で賑わっている。

 焼き飯のようなものや、何かの串焼き、それから果物の飴。風車、水笛、服屋、アクセサリー。

 縁日みたいだ、と僕は思った。賑やかで鮮やかで。


「おいしそう……」

「とりあえず焼き鳥でも食っておけ」


 ニレイは人混みの間を縫って進み、がま口の財布から見たことのない硬貨を出して、手近な屋台から串を二本購入してきた。片方を頬張り、片方を僕に差し出してくる。


「ん」

「あ、ありがとう」

「いいから食え」

「いただきます」


 ぱくっと噛み付くと、柔らかい歯応えがして、香ばしい肉汁とタレがジュワッと染み出してきた。


「わお。焼き鳥の味だ」

「? 焼き鳥だと言ったろう」


 温かさが体の奥までじんわりと染み渡る。この世界に来て初めて僕は、ほっとした気持ちになった。

 ニレイはあっという間に一本平らげると、まだ口に串を咥えてフガフガ言っている僕を見て、我が意を得たりとでも言いたげに頷いた。


「それだけでも、食っておけば大丈夫なはずだ。あとはどこかの店に入ろう」

「フガフガ」


 この世界には他にどんな食べ物があるのだろうか、と思った矢先だった。


「ラーメンでいいか? この町の名物だ」


 僕はごくんと焼き鳥の最後の欠片を飲み込んだ。


「……ラーメン!? ラーメン屋さんがあるの?」

「ここいらの名産は、麦と家畜だからな」


 当たり前のように言って、ニレイはスタスタと歩き出した。途中で角を曲がったので、僕は慌てて追いかける。彼女は間違いなくカタカナで「ラーメン」と書いてある古びた赤い暖簾のれんをくぐり、カウンターに腰掛けた。


まごうことなきラーメン屋さんだなぁ……」


 僕も感心して腰掛ける。


「だから、ラーメン屋だと言ったろうが」

「いや、本当に、故郷の店とそっくりなので」


 暖色の照明。暑苦しい空気。スープの匂い。客が麺を啜る音。実家のような安心感。見知らぬ世界に来て不安だった僕の気持ちが、更に和らいだ。


「まあいい。大将、味噌ラーメン爆盛り二人前を頼む」


 ニレイはさらりと注文した。


「えっ、爆盛り?」

「そうだが?」


 これまた当然のように問い返される。もしかして異世界では爆盛りが普通なのだろうか。いや、そんなわけあるか。隣の客を見たって、一皿のサイズ感まで故郷のものそっくりだし……。


「はいよ。味噌爆盛り二人前」


 ドォンと目の前に置かれたのは、具材が見たこともないほどギュウギュウに押し込められた一品。


「ほらぁー!」


 僕は悲鳴に近い声を上げた。

 うずたかく盛り上がった麺。どんぶりからこぼれ落ちそうな程に積み上げられた野菜と肉。これは一体どこからどうやって食べれば良いのか。


「僕はこんなに食べきれないと思うよ」


 傍らのニレイを見ると、彼女はポニーテールをぎゅっとい直し、箸をパキッと割り、ワッシャワッシャと猛烈な勢いで食べ始めた。


「速いね!?」

「ズゾゾゾゾゾ。貴様も早くせんと麺が伸びるぞ」

「あ、うん……いただきます」


 もぐもぐ。

 味噌ラーメンの味がしたのは言うまでもない。

 ネギだのモヤシだのキャベツだのチャーシューだの、知っている具材ばかり入っている。麺の太さは中くらいで、噛み応え抜群だった。

 半分ほど食べたあたりで、僕はギブアップした。残りはニレイが汁まで綺麗に食い尽くした。その細い体のどこに、そんなに沢山詰め込めるというのか。


「ごちそうさまでした……」


 僕は膨れ切った腹を抱え、ニレイに続いてよたよたと店を出た。

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