天地をめぐる愉快な旅路

白里りこ

第1章 出発

第1話 神様ふんじゃった

 昔から怪我をしない性質だった。


 学校の階段から転がり落ちた時も、自転車で電柱にぶつかった時も、いじめっ子にタコ殴りにされた時も、ちょっとしたかすり傷しか負わないでケロッとしていたので、保険医にも親にもいじめっ子にも驚かれた。


 そんな感じだったから、暴走する車から幼子を庇って撥ねられた時も、まぁ大丈夫なんじゃないかなぁとボンヤリ思っていた。


 果たして、ドカンとやられたその瞬間に、僕の意識はポコーンとボールのように空高く吹っ飛ばされ、そこから自由落下を始めた。


 勢いをつけながら足でドチャッと着地したそこが、いわゆる異世界だと知ったのは、もう少し後のことになる。


 その時僕は生温かい生き物のようなものを踏みつけていた。

 それはクッション代わりになって僕を受け止めたのち、シュワシュワとソーダの泡のように空中に消えていった。足場を失った僕は尻から地面にひっくり返った。


「痛ててて……」


 流石の僕も若干足を挫いたらしい。顔をしかめながら半身を起こし目線を上げると、そこには見知らぬ顔が二つ分あった。


 一人は顔面蒼白で目を見開いている銀髪の乙女。もう一人は能面のような顔つきで表情が読めない黒髪の女性。


「ね? 言ったでしょう」


 能面の方が言い、銀髪の方は僕と彼女を交互に見比べた。


「た……確かにそう仰いましたけど、……ええ? 今ので? こいつが?」


 僕にはサッパリ状況が分からなかったので、おずおずと尋ねた。


「あのう、僕、何かやっちゃいました?」


 途端に銀髪の少女が鬼の形相でこちらを睨んだ。


「何かもクソもあるか!」

「ひえっ」

「貴様は……! 取り返しの付かんことを!」

「落ち着きなさい、ニレイ。まだ取り返しはつきますよ。それにこれはこの者のせいではありません」


 そう言って女性は僕を見下ろした。


「こんにちは、異世界の人よ。よく聞きなさい。たった今あなたは、この世で最高位の創造神を踏み潰して、死の国に送りました」

「はい?」


 急に意味不明な情報が流れ込んできて、僕の脳味噌はたちまちエラーを起こした。もし今ここで地震雷火事オヤジがいっぺんに襲いかかってきたとしてもここまで驚かなかったであろう。何を言っているの? 異世界? 神? 殺し? 僕が? まさか。まさかそんなこと。


「今、何て?」

「あなたはこれからわたしの治める国に赴いて、彼を連れ戻さねばなりません」

「あなたの治める国……?」

「お待ちください、ヒナコ様」


 ニレイが割って入った。


「何故このような大罪人に、そのような前代未聞の大任を命ぜられるのです? ナギ様が死の国へ行ってしまわれたのなら、それをお救いできるのはこの世界にヒナコ様ただお一人では」

「そうはいかないのですよ。事は急を要しますから」

「……!」

「ニレイ、あなたはこの者を途中まで案内しなさい。では、わたしはこれで」


 ヒナコはフワーと体を宙に浮かせ、黒い衣服をたなびかせて、木の葉の間を抜けて上空へと行ってしまった。あとに残されたニレイは愕然としてそれを見やってから、再び僕を鋭くキッと睨んだ。


「そういうことだ。これから長旅に出る。いいな?」

「よくない。どういうことなの」


 一から百まで何一つ意味が分からない。ただ、事態が非常に激ヤバであることだけは分かる。

 僕は立ち上がった。足の痛みは引いていた。


「そもそも、ここはどこ? 異世界って、何?」


 改めて辺りを見回して、僕は自分が木肌の上に立っていることを確認した。

 巨大な樹木のようなものの、根っこ。莫迦みたいに幅がある。豪邸が一軒は建てられそうだ。これほど大きな樹は、僕の知る限り地球上には存在しない。


「聞いての通りだ。貴様は異世界から召喚されし異邦人。ここは貴様にとっての異世界ということだな」

「へ、へえー? 僕、死んだんじゃなくて、異世界に召喚されちゃったの? そんなこと、本当にあるんだなぁ」


 ニレイは大きな溜息をついた。


「……ともかく、我々はここからどうにかして死の国へ行く」

「うー。分かったよ」


 僕は渋々頷いた。分かりたくもない現実だが、全く勝手を知らない世界だ、流れに身を任せる以外にどうすればいいのか、そっちの方がより一層分からないというもの。大人しく従う他無い。


「でも、生きたまま死の国とやらへ行けるの?」

「ヒナコ様がおっしゃられたのだから、おそらくはできるのだろう。これから知人にその方法を訊きにゆくことにする」

「何でヒナコさんは方法を教えてくれなかったんだろう」


 途端に僕の腰に強烈な回し蹴りが決まった。


「ヒナコ様とお呼びしろ、この無礼者!」

「ひえーっ」

「ヒナコ様は世界第二位の神であらせられるのだぞ。そのお方が勿体なくも貴様に使命を託されたのだ、あとは己で何とかするというのが筋だろう!」

「そんな理不尽な」

「何を言っている。神とはそもそも理不尽なものだろう」


 うーん、それはそうかも知れない。

 僕が考え込んでいると、ニレイは藍色のマントの中からハンカチのようなものを取り出した。


「展開、ブラズニル」


 ボゴォン!!


 ハンカチの中から巨大な木の船が飛び出した。衝撃で風が巻き起こる。


「ウワーッ」


 僕はまたしても尻餅をついた。


「この船で街へ行く」

「何、ニレイは魔法使いなの?」

「まさか。私はヒナコ様の御使みつかいに過ぎん。これはヒナコ様からたまわった神器だ。乗れ」


 ニレイは乱暴に僕の腕を掴んで、ズルズルと船の乗り口へと引っ張っていった。


「待って。引きずるのヤメテ!」

「やかましい。とっとと歩け」


 こうして僕の奇妙な異世界道中が幕を開けたのだった。

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