8-5 狼人間とカラーボールペン
イツキは魔法をかけ続けながら、確信的な声音で切り出した。
「……知ってたんスよね? ホノカが最初にここに来た時から」
答える店主はやけに白々しい乾いた声だった。
「……良くないものが混じってんのは知ってたよ。それがフェンリルだとは……」
「嘘でしょ。あんたは知ってた。……ホノカを囮に使ったんスか?」
店主はあからさまに嘆息した。
「まあ、ねえ……」
それは肯定なのか。はっきりしない店主の態度にイツキは焦れる。
「てか、何で今日ホノカが店にいるんスか。わざと呼んだんスか?」
「偶々だよ」
「あの魔物がホノカを襲おうとしてるって前から気付いてたんじゃねえの? つーか、さっき魔物が怨念の欠片を集めてるって自分で言ってたよな。それ気付いててホノカをあの状態のままにしてたんじゃないんスか?」
人魚の海岸で抱えたホノカの身体の軽さ。その時は人間の姿だった。
痛みを堪えて嬉しそうにイツキの腕の中にいた。光を失った虚ろな黒い瞳。
レモンの家に移ってからはあまり身体を動かせず揺り椅子の上で一日の大半を過ごしていたらしい。痛み止めの包帯で肌と目元を覆っていた。
痛々しくて、けれどレモンたちの笑い声に耳を澄ませ微笑む様子からはどうしても目が離せなかった。
イツキは思った以上にホノカに惚れていたらしいと自覚する。
店主がもしホノカをわざと危険な目に遭わせたのだとしたら――。
イツキの視線が店主を射抜いた。
「そうだと言ったら?」
店主は冷淡に返してくる。砂時計の砂が重力に従ってさらさらと落ちていくように当たり前のことのようにあっけなく。受け止めようとした手を砂が次々とすり抜けていくように掴みどころがなく。
イツキは店主を呪った。文字通りに。
店主の意識だけを魔物のフィールドに、つまりはさっきまでイツキがいた円柱状の井戸の空間に送った。
くるくると回転しながら井戸を落ちていく店主をイツキは何処かから俯瞰している。
店主がこの状況に対処しようと右手を動かすそのタイミングで、イツキはぱちんと一つ拍手した。
忽ち円柱状の壁から鎖が飛び出す。蜘蛛の巣のように四方から店主を取り囲む。
鎖は鞭のようにしなると店主の右腕に絡み付いた。
「成程ね」
店主がソファに腰掛け、気だるげに足を組む。
イツキと店主の意識は魔法道具店の店内に引き戻されていた。
店主は自身の右腕を横目に見ながら平坦に呟いた。
店主の右腕は先程と何も変わらない。けれどイツキには店主が右腕に絡みつく視えない鎖を視ているのが分かった。
イツキは店主に呪うことに成功したわけだ。
イツキは今度こそタイ焼きをレンジで温めて頬張り「うまっ」と呟きながら、店主とは離れてソファに座った。
「言い訳聞かせてもらっていいスか?」
今更になるかもしれないが敢えてイツキは尋ねた。
店主が今後は敵か味方か明確にさせておく必要がある。
店主は手を伸ばしイツキの持っていた皿から一つタイ焼きを奪って頬張った。
「あ、餅が入ってる。
……五十年前に魔物討伐に失敗したって話しただろ、フェンリルは俺の力じゃ倒せない。ま、俺があの魔物の力を抑えとくってことは出来たかもね。けどもし俺が死んだらどーすんの? あの魔物は途端にホノカを取り込むだろうな、そん時対処できんの?
……ホノカ自身の力で対処できる方法を探る必要があった。あの魔物の怨念が近付いた時、ホノカ自身が……つったってお前がしゃしゃり出て飼い慣らしちまったみたいだけど」
もう一つタイ焼きを取り上げようとする店主の手から、イツキは皿を死守する。
「お前、餡子好きだよね」
「好きっスよ。あー、誰かが店の冷蔵庫に羊羹とかおはぎとか買っててくれたら滅茶苦茶感謝するのに」
「誰がするか」
と不毛なやり取りと攻防を繰り返す。
店主は『俺が死んだら』と口にした。ということは“不老”ではあっても“不死”ではないのか。
イツキには『ホノカ自身の力で』という台詞は妙な説得力を持って響いた。
店主はこれまでの案件にも最低限の助力しかしないように調節している様子だった。
それは問題を解決するためというより、自分が手を引いた時、魔法を行使できない状況でも対処できるためという感じの対処の仕方だった気がする。
今回もそうなのか。トータルで考えればホノカが無事でいられる可能性の高い方に賭けて……、
「まあ、上から目ぇつけられてたし。俺が何かしたらまた小言言われるし」
イツキはガクッとこけたくなった。
あーなるほど、そーいえば以前にも「上司から怒られる」というようなことを言っていたような、いないような……。
「派遣会社の方針に一派遣社員が逆らえないもん」
「うわ、生々しっ!」
てゆーか『もん』って言い方……。結局は一番自分の利になる選択をしただけかこの人は。
とそこで、店主は急に話題を切り替えた。
「で、イツキは何を支払った?」
「……? また金払えって話っスか?」
前にも依頼人から代金受け取り損ねたとかでイツキに金をせびってきた。
「迷惑料、千円でいいよ」
「…………」
「今、安いって思ったろ」
嬉々として茶化してくる店主。
割と図星だったのでイツキは渋面を作った。一円だってこの人には渡さねえと誓う。
店主は膝に飛び乗ってきたブチ柄の子猫を一撫でして、
「俺にじゃなくてさ。あの魔物の力の代償にお前は何を支払ったのかって話」
「はい?」
聞けば、普通は魔物の力を取り込む際にも――これはイツキが魔物を喰ったことだが――、店主を呪ったように魔物の力を引き出す際にも、何かしらの代償を支払うものなのだという。
代償は大抵、実体のないものだ。記憶、心、魂、命、絆……などなど。
店主が呆れ果てたように首を傾げた。
「ふつー、支払った代償は本人が自覚してるもんだけどねえ?」
「いや、怖い怖い怖い怖いっ! え、何スかそれ⁉ じゃ俺、知らない間に何か支払ってるってこと⁉ いや、ちょっとマジで怖い!」
もう遅いかもしれないがイツキは鳥肌が立った二の腕を擦る。
店主が、ははは、と乾いた笑い声を漏らす。
「うっわー、知らねえよ俺。イツキが勝手にやったことだしね。うっわー、代償払った自覚なしとか悲惨な展開しか浮かばねえわ」
店主がここぞとばかりに煽り立ててくるのは、さっきの腹いせか。
イツキに呪いを受けたことがそんなに悔しかったのか?
「何か忘れてることがあんじゃねえの? 一つ一つ思い出してみれば?」
店主はイツキを揶揄うことに早々に飽きたのか、手のひらを翻してイツキを促す。
忘れてること……忘れてること……、と唱えて、
「んがあっ、川下っ!」
数時間前に知人が魔物に食べられたことをすっかり忘れていた。
即座に魔法道具のカラーボールペンで空中に青紫色に発光する線を引く。
魔方陣が完成し魔法を発動させると、魔物の中に憑りつかれて取り込まれた人々がばらばら青紫の光の中から降ってきた。
彼らは皆フェンリルと呼ばれる魔物が偽った宗教団体に騙された人たちということになる。
「お前、俺が止めなかったらホノカを含め十数人を喰い殺してたぞ」
という店主の言葉に、今更ながらに背筋がひゅっと凍った。ほんと今更だけど。
「じゃあ、その人たち家に帰しとけよ」
相変わらず責任丸投げの店主だが、今回はイツキのしでかしたことも大きいので何も言い返せない。
魔法道具店の床に吐き出された人々の多分ほとんどが日本人じゃないようだ。
彼らが納得できそうな事情を説明して全員の住所を聞いて一人一人記憶を消して家に帰す……ちょっと途方もなくて正直、気持ちは泣きそうだ。
まず知人の川下を発見したので彼から起こして、川下と手分けして一人ずつ起こす。
イツキが三人目に起こした人が日本語が分かって英語がペラペラの韓国人だった。
助かった。伝言ゲーム状態でなんとか意思伝達を図る。
何だろう体育祭のようなこの一体感、とかなんとか考えつつも「住所を教えてください」と身振り手振りで目の前のフランス人のおばさんに伝えた。
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