9-6 ユニコーンと洞窟《前編》
*
ダークブラウンの髪に眼鏡を掛けた青年は洞窟内で目を血走らせたミノタウロスを発見した。
「うお!」とわざと驚いたような声を上げる。
「お前、どこから入った」
牛の頭がぐつぐつとマグマが煮え滾るような低い響きを発して、強靭な腕を青年に伸ばす。
青年の方は掴まれまいと身を躱し、背を向けて走り出した。
出来る限りぐるぐると迷路を曲がることで、カーブで小回りが利かない大きな身体のミノタウロスを足止めする。
ミノタウロスが苛立ち始めたタイミングを見計らって、当初の作戦で決めていた通路に飛び込んだ。
十字に交差した通路。その直角に折れたもう一方の通路からは、実はもう一人の青年が走ってきている。
こちらもダークブラウンの髪に眼鏡……つまり二人は全く同じ格好だ。
もう一方の青年を追いかけているのはケンタウロス。アフロのような髪を更に搔き乱しながら追いついてくる。
二人の青年は同時に交差地点に辿り着く。
ぐいっとどこからともなく青年の一人は腕を引かれると、洞窟に岩場の隙間に押し込まれた。
もう一人の青年は交差地点のど真ん中に、つまりはミノタウロスとケンタウロスの両方から見える位置に立ち、ギリギリまで彼らを引き付けてから同様に洞窟の隙間に引っ張られ、捻るように身体を滑り込ませた。
二人を押し込んだのはイツキだった。
懐中電灯のような魔法道具で三人の身体を照らしながら息を潜める。
このライトで照らされたものはその存在を気付かれなくなるのだ。手っ取り早く透明人間になれる道具らしい。
数秒後、追い付いてきたミノタウロスとケンタウロスが交差点で衝突した。
大型トラック同士がぶつかったのではないかと言うほどの衝撃音が耳をつんざく。
「グァアアアア⁉」
洞窟全体が揺れているようなミノタウロスの怒号に、ケンタウロスも悲鳴のような奇声を発する。
日本語ではない言葉で罵り合いを始め、苛烈さを増していく。
ついにケンタウロスが蹄でミノタウロスの目を蹴り付けたことを皮切りに無残な殺し合いの現場へと化していった。ぶつかり合う度にゴッゴッと骨の砕ける音が洞窟に響く。
その殺し合いの後、二体とも筋肉を痙攣させて横たわった。
しんと耳に痛いほどの沈黙が訪れてからイツキはカズマ青年二人……カズマとカナトに向けて声を発した。
カズマが茶髪のかつらを被って、カナトが伊達眼鏡を掛けるともう二人の見分けはつかなくなる。
これでミノタウロスたちを翻弄したわけだ。
「大丈夫っスか?」
申し訳程度に伺ってはみたもののここで大丈夫じゃないと言われても何も出来ないわけだが。
カズマが青ざめながらもしっかりした口調で応じる。
「俺は何とか……。カナトは平気か?」
カナトはカズマの肩にのしかかって呻いている。
「うう~。俺ちゃんとホラーゲームとかしてグロいのに慣れときゃ良かった~」
カズマはそれに小さく苦笑して、
「ちゃんとホラーゲームするってすげえ言葉だな。……今度ジロウん家に入り浸ってホラー映画見せてもらう?」
「嫌だね! 俺ホラー嫌いだし!」
「「…………」」
グロいのに慣れときゃ良かった、と言った舌の根も乾かぬうちにそうくるか。
見た目では区別がつかないが一言喋れば、真面目で堅実そうなのがカズマ、時たま突拍子もないことを口にするのがカナトだなと分かる。
この様子なら大丈夫そうだなとイツキは勝手に判断して、洞窟内をさっさと歩き出した。出来ればミノタウロスたちの凄惨なことになっている遺体から早く離れたい。
後ろの二人も慌ててイツキの後に続いた。
洞窟内の幅が進むうち窄まってくるといつの間にかカズマが灯りを持って前を歩き、その後ろをカナトとイツキがついていく形になっていた。
イツキは何となくカナトに話題を投げてみる。カズマたちはイツキより一つ年上らしいので流れで敬語。
「あー、お二人って仲いいんスね」
「ああ、まあね! めちゃくちゃ仲いいー方だと思うよー。だって」
カナトは一呼吸置いて笑みの色を変えた。
先程のやり取りに比べて妙に大人びてみえる。
「だってカズマは俺に人格をくれた人だから。俺だけの名前と人生を与えてくれた人だから」
「え、それってどういう……?」
声を上げかけるイツキを、カナトは人差し指を自身の唇に当てて静かに遮った。
とそこで、少し先の方に行っていたカズマがひょいっと振り返る。
「何の話してたんだ?」
カナトが先程と打って変わって明け透けに笑う。
「うーんとね、イツキ君が俺とカズマは仲いいねーってさ。
カズマは洗濯機壊れたら修理してくれるし、冷蔵庫から異臭がしたら掃除してくれるし、『ヒマー?』ってラインしたら昼ご飯作りに来てくれるし、」
カズマ、カナト両名は一人暮らし用学生アパートの隣同士に住んでいるらしい。しょっちゅう互いの部屋を行き来していることが垣間見えてしまった。
「すごいっスね」
二重の意味で。それだけ電化製品を扱えないカナトも、そこまで世話するカズマも。
カナトが列挙する仲良しアピールの内容に、終始カズマは甘やかしすぎたかしらと頭を抱える母親状態だった。
*
ジロウたちにより洞窟の牢から解放されたダイヤとイチゴとユニコーン。
イチゴはユニコーンと前からの知り合いらしく、背に抱き着きながら「こんな所にいたんだね……」と話し掛けていた。
そこにカズマとカナト、そして魔法使いの弟子らしいイツキという青年も合流する。
イチゴが遠慮がちにダイヤの袖を引いてきたので安心できるようにそっと手を包んでやる。
暗く不気味な洞窟の中で不安になるのも無理はない。
「早く脱出……」
店主に向かって言い掛けたダイヤの台詞をドッドッドッという地響きが遮断した。
店主がイツキを難詰するように見やる。
「お前、ちゃんととどめ刺したの?」
「……すんません。もう死んだと思ってました」
イツキが顔を強張らせた先には血塗れのミノタウロスとケンタウロスがいた。
千鳥足で近付いてくる怪物が二体、一歩踏み出す度にドンと地面が揺れる。
店主が異形に臆する素振りも見せず、すっとミノタウロスたちの前に歩み出る。
右手を胸の前に突き出し、お札のような紙を握った。そこから天ぷらの衣のような白い泡が溢れ出し、ミノタウロスたちの身体に次々とくっついていく。
ダイヤの視界に入ったのはそこまでだった。
黒い巨大な狼の魔物が立ち塞がり、その洞窟の天井に届くかというほどの体躯で、ダイヤたちの視線から怪物たちを隠したからだ。
そこからは壮絶な悲鳴だけが耳に届く。
イチゴの耳を必死に塞ぐことしか出来なかった。
肉が焼けるような異臭。シューシューと入浴剤が溶けるような音が悲鳴を飲み込むように強まっていく。
洞窟の壁面にドロドロに溶けていく怪物たちの影が映り、それがのたうち回る衝撃波が足元を揺らがせる。
音が静まった頃にダイヤが恐る恐る狼の胴体から顔を覗かせると、白い骨格が怪物たちのいた場所に落ちていた。
恐竜の骨の標本が飾られた博物館のようで、あまりに洞窟に似合い過ぎていて逆に現実感が無かった。
暫くはショックでダイヤたちは口を開けない。
店主とイツキだけは慣れていると言うようにあまり顔色が変わっていないが。
イツキがダイヤたちの様子を見計らいながら、店主に問い掛ける。
「で結局、何でイチゴちゃんとダイヤさんがこんな怪物に攫われたんスか?」
「あー多分、ミノタウロスたちの新しい身体を作る材料だったんだよ」
今はユニコーンの柔らかいパープルの光だけが照らし出す洞窟で店主が滔々と説明する声が響いた。
ミノタウロスたちは老いてしまった身体を捨て去り、新しい若い身体に乗り換えようとしたのだという。
そのために異形の力に耐えられる馬か牛と、若い人間が二人必要だった。
新たなケンタウロスとミノタウロスの身体を造ろうとした二体は若い人間の調達のために協力し合い人間界に紛れ込み、子供を攫うことに成功したが、最後の最後にどの部分まで身体を分け合うかで揉めたのだろうと店主は話した。
そこで、イツキは異を唱える。
「身体を分けるつってもあれっスよね。ミノタウロスはユニコーンの頭とダイヤさんの首から下をくっつけて、ケンタウロスはユニコーンの身体とイチゴちゃんの上半身をくっつける……って別に争うとこなくない? 普通に身体足りるっスよ」
ダイヤは想像しかけてあまりにグロテスクで、えいっえいっと頭から振り払う。自分の首がちょん切られた図が怖くて泣きたい。
店主はイツキが気付かないことに意外そうに片眉を上げた。
「……心臓だよ。ああいう怪物は心臓を多く喰うほど強くなるからな。イツキの言うように分ければケンタウロスはユニコーンとイチゴの心臓二個ともゲットするだろ?」
あーなるほどー。
って嫌ーっ! とダイヤは心の中で叫ぶ。
自分の身体がミノタウロスとケンタウロスによって引っ張り合いっこされる光景が浮かぶ。なんかそういう拷問があったのを思い出す。
ぞっと寒気が駆け上がってくる。へなへなとダイヤがしゃがみ込むと、
「あのー大丈夫っスかー?」
イツキが憐みの滲む声で訊いてきた。
涙声でダイヤが答える。
「気ぃ遣うの遅えよぉ!」
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