9-5 ユニコーンと洞窟《前編》

 イチゴたちの小学校の前の横断歩道を渡った先にはコンビニがある。

 そのコンビニの影でイチゴは少しの間立ち尽くしていた。


 自分はさっき嘘を吐いたんだ。

 養護施設の優しい先生は小さい子たちに「嘘はいけません。皆には正直な人になってほしいの」と言い聞かせている。

 イチゴはそれに背いたのだ。アボカド団長との楽しかった記憶も全部を嘘にして踏みにじったのだ。


 私、悪い子だ……。本当に、嫌な子だ……。


 今更学校に帰れない気がしてくる。

 帰って、どうキウイたちに謝ったらいいのか分からないし、もし養護施設に連絡が行っていたらまた叱られる……。


 イチゴはコンビニの自動ドアを潜って、商品棚の影をうろうろしながら、ぐるぐると回る思考を持て余していた。


 と、不意打ちで声が掛かる。


「ちょっといい? えっと、君は小学生だよね?」


 イチゴに目を留めたのは、眼鏡を掛けていて髪は耳に掛からないほどの短さの人の良さそうな青年だった。

 高校生か大学生くらいだろうか、お兄さん、という感じだ。

 全然知らない人だけど、里親のダイヤというお兄さんと同じくらいの年齢だろう。


 その青年の単なる確認の言葉も今のイチゴには責め立てられているように取れてしまう。

 青年を振り切って、コンビニから逃げ出した。近所の公園に駆け込み、息を整えようとブランコに座り込んだ。

 イチゴが俯き自身の影をじっと見つめた時、


「おーい」


 公園の外から呼び掛ける声がする。

 反射的に顔を上げると青年が立っていた。先程、声を掛けてきた人と全く同じ声、同じ顔。

 同一人物としか思いないのにさっきの人と違い、この青年は焦げ茶色に髪に染めていて眼鏡がない。


 イチゴは困惑して声が出ない。

 怖くなって公園から出ると、イチゴの小学校の担任の女性教師と体育の男性教師がいた。学校から逃走したイチゴを迎えに来たのだろう。

 案の定、


「イチゴちゃん、どうして逃げたりしたの?」


「ごめんなさい、私……」


 イチゴは続く言葉を思いつけない。


「学校嫌い? 戻りたくないの?」


 イチゴが答えあぐねていると、横から男性教師が少々威圧的に口を挟んだ。


「遠慮せず正直に答えなさい」


 イチゴはこくんと頷くが口をぱくぱくするばかり。


「じゃあ、サーカス団に戻りたい?」


 女性教師の問いに驚いて目を見張った。

 何故先生がそれを知っているのか。


「アボカドさんからイチゴちゃんたちのことを頼まれていたのよ、私たち」


 少女はアボカドの名が出たことが嬉しかった。

 男性教師が大口を開けて引き継ぐ。


「アボカドさんは、もしイチゴが辛ければ戻って来てもいいと言っていたぞ。イチゴは辛いんだろう? それなら先生たちと一緒に戻ろう、あの世界に」


 イチゴは跳ねるように頷いた。

 嬉しい、嬉しい! またアボカド団長と一緒に暮らせる!


 学校に置いてきてしまったキウイとレタスのことが気になったが、後で連れてくると先生たちが約束してくれた。



 魔法道具店、店内。

 ジロウと名乗る大学生が押しかけてきた。先日、店を訪れたダイヤという大学生の友人だとか。

 ジロウは身振り手振りを交えて捲し立てる。


「そのユニコーンが窓に近付いてくるなーって思ったら光って、気付いたら隣にいたはずのダイヤもいなくなってたんだ! 宇宙人ですよあれ絶対」


 イツキは話を掴み切れないまま取り敢えずのリアクションをしておく。


「あー、で、今ダイヤさんはどこに?」


「いないんだ。行方不明」


 そこにカランカランと鐘の音を響かせ、扉が開く。青年が二人飛び込んできた。


「「ジロウいた!」」


 見事にハモった二人は瓜二つの顔だった。一人は眼鏡を掛けていて、もう一人は掛けていない。


「え、双子?」


 イツキが思わず呟く。

 青年のうち眼鏡の掛けていない方がよく分からないピースをしながら、


「いや、俺とカズマは相棒だぜ!」


「いや、従兄弟です」


 眼鏡を掛けている方が間髪入れずに修正。


「え⁉ 相棒って言ったじゃん!」


「やややこしくなるから、カナトはちょっと黙ってて」


 兎も角、眼鏡を掛けている方がカズマ、掛けていない方がカナトらしい。

 二人が魔法道具店に駆け込んできたのもダイヤを探すためらしい。聞けばダイヤ、ジロウ、カズマ、カナトは仲の良い友人同士だという――うちカズマとカナトは従兄弟だと主張している――。


 カズマとカナトは昼間、少女が連れ去られるのを目撃した。

 真っ昼間に学校の外にいた少女が気になり、カズマはコンビニで、カナトは公園で声を掛けたが逃げられてしまった。

 その後、少女を追いかけて発見したが二人の男女が少女を連れて消えてしまった。文字通り煙のように掻き消えたのだという。


 それから、その少女がダイヤの話していた里子の一人と特徴が似ていることに思い至り、ダイヤに事情を聞くべくダイヤを探すうちに魔法道具店に辿り着いた、ということらしい。


 いきなり大人数になった店内に五月蝿そうに店主が顔を顰める。

 そして、唐突にホノカを振り返った。


「ホノカー、そいつら全部乗りそう?」


 ホノカは黒いシベリアンハスキー姿から魔物フェンリルの姿に巨大化した。


「あ、はい。それは全然大丈夫です」


「俺はまあ……子供らを連れてくか」


 外の何かに気を取られているように鼻をひくつかせるホノカ。

 店主とホノカの会話の趣旨が読めずイツキは首を傾げた。


 店主がのそりと椅子から立ち上がったのを合図に、ホノカがイツキやジロウたちをぽんぽんと背中に乗っけて走り出した。



 ダイヤは薄紫色の光が揺らぐ洞窟内でユニコーンの背に凭れてうとうとしていた。

 数時間前、ミノタウロスとケンタウロスは口論状態のまま出ていったようだ。


 ユニコーンの白い毛は羽毛布団のように柔らかい手触りで誘拐されてきてから緊張続きだった身体にダイレクトに眠気を誘う。


 ダイヤが欠伸を一つ……しかかった時にドンドンドンと洞窟が揺れた。

 それがミノタウロスの足音だと分かったのは、彼らがダイヤとユニコーンのいる牢の前に立ち塞がった時だった。


 ミノタウロスとケンタウロスと、少女。

 黒いリボンで髪を結った、小学二、三年生くらいの整った顔立ちの少女が不安げにミノタウロスたちを見上げた。


「どういうこと……? 何で……、先生?」


 混乱が見て取れるか細い声をぽろぽろと零す少女は怯え切っている。


 少女の腕を掴んでいたケンタウロスが錆びた鉄格子の錠を乱暴に開け少女を牢に放り込む。

 よろけて転びかけた少女の身体をダイヤが慌ててキャッチした。


「おい!」と抗議するとギョロリとケンタウロスの目がダイヤを刺した。

 ひっ、と上げかけた悲鳴を飲み込んで少女を庇った。


 ミノタウロスとケンタウロスは急に踵を返して、苛立たしそうに何事か唸り声を交わし合うと猛然と洞窟の奥に走り去っていった。

 何があったのかさっぱり分からないが……。


 ダイヤが少女の様子を窺おうとして、


「あれ! 家に来てた子じゃん。えっと……イチゴちゃん」


「あ、お兄さん。キラキラ、ダイヤさん?」


「……その覚え方は止めて、お願い。キラキラネームはコンプレックスなんです」


 ダイヤが情けなくもぼやく。

 眉を下げたダイヤに少女、イチゴはちょっとおかしそうに表情を緩めた。


 その時、牢の外から響いた声に振り向く。


「ダイヤ、無事か⁉」


 走り寄ってきたのはジロウだ。


 ジロウのアパートで誘拐されたダイヤを探しに来てくれたのか……ってどうやって? と浮かんだ疑問に答えるように巨大な狼がジロウに並んだ。

 洞窟の岩場に窮屈そうに背を曲げている。瞳は黄色い優しい光を放っていた。


 その黒い巨大狼が魔法道具店で見掛けた大型犬の面影と合致すると、案外あっさり「魔法を使って助けに来たんだなあ」と受け入れることができた。


 ジロウの後ろの闇から浮かび上がるように店主が立ち、何故か盛大に溜息を吐かれた。


「勝手に誘拐されてんじゃねえよ。面倒事増やしやがって」


 あ、めっちゃ理不尽。





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