9-3 ユニコーンと洞窟《前編》


 イツキは魔法道具店の定位置の窓辺のソファーに座って瞼を閉じている。眠ってはいない。

 目を閉じていてもイツキの脳は映像を受信していた。

 今イツキが見ているのはホノカに見えている光景だ。


 店主によれば力の強い魔物を使い魔にすると色々と特典がついてくるらしい。


 イツキとホノカが使役しているのはフェンリルと呼ばれる北欧神話では神々を翻弄するほど力を持った狼の魔物だ。なので、色々出来るとか。

「色々って何スか」とイツキが怪訝にすると「自分で試せ」と店主は構ってくれなかった。


 試した結果、使い魔と視界を共有する能力があるらしいと分かって、絶賛活用中だ。


『イツキ先輩、今、小学校の体育館に着きました』


 耳元で囁いているかようにホノカの声が聞こえてくる。小さな息遣いも。

 正直言うとイツキの心臓に悪いのだが文句も言い辛い。


「ちゃんと見えてるよ」


 ホノカがいるのは、ダイヤの家に里子候補で来ているという養護施設の子供たちの通う小学校だ。

 子供たちの様子は実際どうなのか店主の指示で探る。


 ホノカは今、変身魔法を掛けられる前の本来の全長三メートルほどの黒い狼の魔物に戻っているため普通の人間には見えていない。


 物陰から体育館の中を窺っているようだ。

 イツキ自身は一歩も動いていないのに瞼の裏の映像はどんどん動くので車酔いしそうで気持ち悪い。


 ホノカの視界が目当ての子供を捉えた。


『あれ、あの子って……』


 イツキもホノカも知っている子だ。

 ついこの間、バッカスのゴミ屋敷の片付けをドワーフの少年、トモヤと共に手伝ってくれた子の一人だ。くるくる跳ねた髪の毛と小学三年生にしてはあどけない顔立ち。


 跳び箱の授業のようだ。

 教師の笛の音に合わせて、順に並べられた跳び箱を飛ぶ児童たち。


 少年の順番が回ってくると元気よく飛び出してきた。

 ぴょんっと軽快に跳ねた少年の身体はバスケットゴールに届きそうなほど飛び上がる。頭から跳び箱に落ちていく。


 周囲の児童たちから「きゃああ!」と悲鳴が上がる。少年は空中でくっと腕を伸ばすと跳び箱の上に倒立した。バック転で飛び降りる。

 子供たちから今度は「スゲー!」と歓声が上がった。


 少年は得意気に白い歯を見せて笑って、ぺこっとお辞儀をした。


 と、その腕を監督していた体育会系の男性教師が青ざめた顔で強引に掴む。

「キウイ、来なさい」と引き摺るように体育館の外の廊下に連れ出した。

 男性教師が『キウイ』という名の少年を怒鳴りつける。君は危険なことをしたんだ、と怒鳴る。


 少年は困惑しているようで首を傾げながら男性教師を見ている。何を怒られているのか分からないというように。

 教師が少年の二の腕を掴んで前後に揺らす。

 棒立ちだった少年が混乱の表情でたたらを踏む。教師の怒鳴った勢いで唾が少年の顔にかかる。




 そこで、唐突にホノカからの映像が途切れた。

 イツキは探るように声を送る。


「ホノカ、大丈夫か?」


『……あ、はい。今ちょっと、校舎の裏に来てしまって』


 少年が叱責されている姿を見ているのに耐えられなくなったのだろう。


『……別の子たちの様子も見に行きますよね……?』


 普段通りの声を出そうと努力しているようだった。


 イツキの心臓も嫌な跳ね方をしていてる。小、中学生の頃に似たような光景に出くわすことは偶にあった。久々に当時の閉塞感が身体に蘇ってきてしまった。


 だが、敢えてホノカの辛そうな様子に気付かない振りをして、軽い声で答えた。


「うん。頼めそう?」


『……はい』

 

 ホノカの声は暗い。




 次にイツキの目に映し出されたのは理科室だ。

 数人で座れる実験室の広いテーブルの一つからもうもうと煙が昇っていく。


 煙に慄いて多くの児童が壁際に逃げる中、一人の少年が愉快そうに煙の中心に置かれているビーカーに手を突っ込んでいた。

 ツンツン逆立った短髪の少年もまたアボカドと旅していた子供の一人だ。


 少年がビーカーから手を引き抜くと「バチッバチッ!」という音と共に稲妻が現れた。 


「レタスくん、もう止めようよ……」


 優等生然とした子供の一人が勇気を振り絞った様子で『レタス』という少年を窘めようと試みる。


 それでも、ひたすら実験に夢中な少年はビーカーの出来に満足そうに頷くと、周囲を見回してマジシャンのように声を張った。


「さあ見て見て! 綺麗でしょう! ちょっと君こっちに来て、このピカピカを触ってみない?」


 側にいた女の子の手を少年が掴んで引く。

 女の子は「嫌!」と叫んで少年の手を払い落した。


 そこで漸く少年は女の子の顔に怯えの色を見付けて、心配そうに眉を下げた。


「あの、ごめんね……」


 乾いて消え入る声。

 クラスメイトたちの恐怖を投映した目が、異端を見る目が少年を取り囲んでいた。




 三人目の少女は音楽室にいた。


「みかんの花咲く丘」を少女が口遊み始めると、ピアノの鍵盤に手を置いていた女性教師がぎょっと顔を強張らせ飛び退いた。

 教師はもう手を触れていないはずなのに勝手に鍵盤が伴奏を奏でる。


 みーかんーのはぁなが、さぁいてーいるー。


 リコーダーやギター、鉄琴、シンバルが宙を舞い、伴奏に合わせて音を鳴らす。

 棚に仕舞われた金管楽器たちも生き物のように動き出し、少女を中央に呆然とする他の児童たちの頭の上を舞い踊る。


 ハチャメチャなオーケストラに笑っているのは少女一人だ。

 飛び交う楽器たちにぶつかりそうになった児童が悲鳴を上げるが、その叫びはすぐにオーケストラの乱舞に飲み込まれてしまう。


「止めて! 止めてちょうだい! いい加減にして! イチゴさん!」


 ヒステリックな女性教師の金切り声がついにオーケストラを打ち破った。

 瞬きする間に、楽器たちは元通りに保管のための布や袋が掛けられ棚に仕舞われていった。


 夢のように静まり返った音楽室。


 教師に『イチゴ』と呼ばれた少女はピアノの前に立ち、口を引き結んで女性教師の行動を凝視していた。

 教師が憤怒の顔で近付くと、少女はぎこちなく口の端を上げた。何とか笑顔を作ろうとしたようだった。


「廊下に出てなさい。もしまた何かしたら、施設の先生を呼びますからね」


 脅しつけるように威圧的に言いつけた女性教師に、少女はまだ笑顔だった。

 施設の先生というのは少女が今、暮らしている養護施設の先生という意味だろう。


 廊下に立たされた少女のスカートから伸びる細い足はがくがくと震えていた。




 ホノカからの最後の映像が途絶えて数秒後、イツキが目を開けるとホノカが扉から入ってくるところだった。

 ホノカは狼人間で足が速いので一、二キロの距離なら数秒と掛からない。


「お帰り」と労おうとして止める。


 大型犬の姿に戻っているホノカの耳はしゅんと垂れている。嫌な役回りを押し付けてしまった。

 ホノカは清廉な黄色い瞳を頑なに伏せながらイツキの傍まで歩いてくる。ソファーに腰掛けるイツキの右膝に、くてっと顎を載せた。


 ショックだったのだろう、先程の光景が。

 イツキも若干はそうだった。

 小中学校に通っていた頃は学校という場のBGMとして聞いていた、教師の怒鳴り声。

 怒られている子は可哀想だなと思えど助けてやるなんてことは出来ない。目を背けるだけだ。

 当時のことを仲間内で振り返っていたのならまだ違った。「あの頃は最悪だったよなあ」の呟きを皮切りに、なんなら暴力教師自慢に発展するくらいだ。


 けれどそれを今になって、大人になって、目の前に突き付けられると、自主性を許されない子どもに戻ったような無力感が襲ってきた。

 そんなに怒鳴らなくてもいいのに、横からそう思うだけで現状何をしてやれるわけでもない。


 イツキは膝の上のホノカの頭を撫でてやる。

 眉間から耳の付け根までを丁寧に、けれど撫でられていると分かる強さで。黒い毛並みが艶めいて形を変えた。


 ホノカはイツキの指が頭を擦る度に気持ち良さそうに目を細め、イツキの指が離れるとぱちりと瞬きをする。


「ふふ」と不意にホノカのささやかな笑いが空気を揺らした。


「これ、犬の特権ですね」


 その声は思ったよりへばっていない。少しは気分が回復したようだ。


「だな、人間に対してはまずやんないし」


「えー。人に戻っても撫でてください」


「嫌だ。俺が恥ずい」


 黄色い目が不服そうにイツキを見上げてくる。

 もう完全に気分が晴れたようなので撫でるのを切り上げる。


 しらーとした目で店主がイツキたちを見ていることに関しては無視する。店主はやれやれと言うように緩く頭を振った。


「あの子たち、人間界で生きてくのは難しいかもしんないね」


 イツキは店主のその呟きを聞くともなく聞いてしまい暗澹たる気持ちに襲われそうだった。


 あの子たちは成長しない。

 三人の子供たちは百年近くアボカドと共にサーカス団として人間界以外を旅していた。人でないものに触れ過ぎた。


 百年以上前、アボカドはレモンを助けるために魔物と取引をして自らの“心”を失った。その後レモンの元を去ったアボカドはサーカス団を始め、身寄りのない子供たちを拉致してショーに立たせていた。

 その際、子供たちに笑顔を縫い付けピエロ人形にしたのだ。


 人間界に戻ってももう完全な人間には戻れない。

 心も身体も成長できない子供たちが人間界で暮らしていくには、数年をひと所で過ごした後、成長しないことを周囲から怪しまれる前に周囲の人間たちの記憶を操作して、生きる場所を変えて……。


 それを繰り返して生きていくことが、永遠に幼いまま過ごさなければならない子供たちの“心”にどれ程の傷を刻み続けるのか。イツキには想像もつかなかった。


 あの子たち自身は今、どう思っているのだろう……。


 ホノカが不安そうにパタパタと耳を動かした。

 ブチ柄の子猫はイツキの左膝に乗って来て、窓の外に向かって「ニャー」と鳴いた。





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