8-3 狼人間とカラーボールペン


「イツキ!」


 ソファに座っていたイツキがホノカの名を呟いて意識を失ってから数分、店主の呼び掛けにも無反応だ。靴だけ脱がせ長いソファーに横たえる。


 本棚の奥でずるりと何かが床を擦る物音がする。店内に置き切らない魔法道具を保管している物置部屋からだ。


「イツキ先輩……?」


 物置部屋から姿を現したのは人の背丈と同じくらいのサイズの塊だった。

 白い包帯が体中に巻かれている。目の光を失っているホノカだ。

 店主の只事じゃなさそうな声を聞きつけて物置部屋から出てきたらしい。


 イツキの瞼の動きでその下の眼球が動いていることを店主は確認する。

 魔物が悪夢を見せているのだろうと悟り、顔を顰めた。ホノカは店主の切迫感を察してしまい狼狽する。


「イツキ先輩! 大丈夫なんですかっ?」


「いや……。俺にも何が起こってんのか……。

 イツキに今、魔物が憑りついてる。んで、そいつは怨念の欠片を取り戻すためにホノカを狙ってる。イツキの意思を操作してうちまで来させたのもそいつだろうし。けど今、念願のホノカを目の前にしてんのに襲ってくる気配がねえ」


 店主は顎に手を当てて数秒後、はっと僅かに瞠目した。



 イツキは落ちていた。暗い円柱状の井戸の中のようなところをひたすらに落下していた。


 バタバタと服が耳元ではためき、重力に引っ張られ続ける程に閉塞感が襲う。

 光源もないのに手が届きそうで届かない位置に壁が見えるのだ。

 腕だけでなく足も空中を泳いで、寄る辺のない不安が迫る。


 黒いローブを被った男も宙に浮いていたが、イツキとは違い自分の意志で降下しているようだった。

 その人物が幾重にも罅割れた声を発する。


『お前の望みを言え。そして、代償を支払え』


 こいつが魔物の類だ。ホノカを狼人間にして苦しめたやつなのだ。


 そう認識して、――イツキはその人物のローブの肩に喰いついた。


 そいつの余裕な態度に腹が立っていたし、そもそもホノカを傷付けたやつが目の前に現れて復讐するチャンスだったし、さっきタイ焼きを食べ損ねてお腹が空いていた。


 ガブッ、とイツキが肩に噛み付くと、ローブが溶けて水のようにイツキの喉に滴り落ちてきた。


 え? 何で? 何で溶けてんの?


 と尋ねる間もなく、『ギャアアアア……ッ⁉』と断末魔の叫びが幾重にも重なって井戸に響き渡った。



 べちゃりと水音を立ててホノカの身体が地面に潰れた。荒い浅い息を吐き、身体が小刻みに震えては止まり震えては止まる。


「あの、馬鹿!」


 とイツキに向けて罵倒した店主は焦心の色が見える舌打ちをする。


「ホノカ! 意識あるかっ? 多分イツキは魔物を喰ってる」


「何、で……?」


「何でそんな真似があいつに出来るのかは知らん。とにかくこのままだとお前のその身体まで喰われかねない。お前は人間界に存在できる身体を持たないからイツキが魔物を喰い尽くした後、どの異界に放り出されるか分かんないんだよ」


 早口で説明はするがどこまでホノカに伝わっているか。

 ホノカは顔を――顔だと思われる包帯の箇所を持ち上げた。


「私の、ことより……! イツキ先輩は⁉ 魔物なんか喰べて、大丈夫じゃない、ですよね⁉」


 この状況でもイツキのことばかり優先するホノカに店主は出端を挫かれる。


「ああ……。当然、イツキも、」


「お腹とか壊しますよね⁉」


「……お腹も……壊すだろうけど、ねえ?」


 ホノカの気迫と話がどんどん逸れていくことに緊迫感を削がれて、絶妙な顔をする店主。

 ホノカはこれで至って真剣だ。

 ともあれホノカの正気が失われていないことが確認出来たため、店主は冷静な声音に戻って、ついでに話も戻す。


「イツキとお前を助けられる方法があるが」


「先輩が助かるなら、何でもいいです!」


「……使い魔の契約だ。お前とイツキとで魔物の力を分けて飼い慣らす。だけど、そうすればお前はもう魔物の力を一生引き剥がせなく……」


「構いません、私」


 一筋の意思が籠った声で宣言するホノカに、多少の苛立ちが混じった声音で店主は続ける。


「その代わりにホノカ、お前が前に負った傷をイツキが肩代わりすることになる」


 ホノカが身を竦ませるように息を呑む気配。自分の命を投げ出すことに躊躇しない少女は、イツキが傷付くことには怯えている。


「それで先輩は、無事でいられますか……?」


「イツキ次第だな。……もしイツキが傷を背負い切らなければ、倍になってお前に返ってくる。それでも耐えられる?」


 店主はホノカの怯えと自棄的な思考の由来を知っていながら事務的に問い質した。


「……それが一番、先輩が助かる可能性が高いんですよね?」


 店主は視線で肯定した。

 それから大袈裟に溜息を吐いて呆れ顔で駄目押しした。


「自分の命かけるほどイツキを助けたいの?」


「はい。先輩を救えるなら何を差し出してもいいんです」


 ホノカは清々しく断言した。その台詞は真実だとつい最近にホノカ自身が証明している。


 店主は十色カラーボールペンらしき形状の魔法道具を取り出して空中に魔方陣を描いた。





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