8-1 狼人間とカラーボールペン

 細い路地の水溜りが霧雨を受け止める。

 雨に濡れた路地の先は喫茶店のような趣の閑静な店に続く。『魔法道具店』と書かれた看板が下がっている。今朝は特に開店しているのかも分からないほどだ。


 魔法道具店、店内。


 ポイッと乱雑に寄こされた青い半透明の魔法石を森野イツキは慌ててキャッチした。


「よし、そこに立て。この風船がランプみたいに光ってるイメージをしろよ」


 緑色の風船は紐で括られてぷかぷか浮いている。イツキは興味津々に風船を指でつつく。


「これも魔法道具っスか?」


「ただの風船だ」


 店主が淡白に言い捨てたのでそうなのだろう。


 イツキは指示されるままソファの近くに立つ。

 風船の高さまで魔法石を掲げて、ランプというよりは行燈のような仄かな光をイメージした。


「うお、光った」


 微量の感動で緑色に光り出した風船を見詰めるが、イツキはやがて気付く。


「これ、豆電球使った方が早くね? ずっと集中すんの疲れるんスけど」


 ぱこっと店主がイツキの頭を叩く。全然痛くないが「痛て」と呟いておく。


「これは初歩中の初歩だ。イメージしやすいものから始めてどんどん難易度上げてくんだよ」


 そこで一度言葉を止め、呆れ顔になる。


「……一応、変な夢見てんなら忠告しとくぞ。俺たち魔法使いが魔法で出来ることの九割は現代科学で出来る」


「はあ⁉ 魔法使い居る意味ねえじゃんっ!」


 ばこっと頭を叩かれた。今度はちょっとだけ痛い。「痛て」と呟いておく。


「だからいつも言ってんだろ。魔法を使わせないことが魔法使いの仕事なんだよ」


 イツキは口を尖らせてみせながらも納得していた。

 今まで散々巻き込まれてきたから分かるが、この店主は派手に魔法を使って悪者を退治するというより、人間界外の存在によるトラブルを割と依頼人に気付かれないようにこっそり解決したりするのだ。


 不意に店主が話題を変える。


「で、ホノカとはどこまで進んだの?」


「ぶふっ……!」


 と思わず動揺して吹き出し、ゲホゲホ咳き込む。


「おい! 何やってる!」


 店主が何故か咎めてきた。

 あんたのせいでしょ⁉ と返そうとして目が痛むほどの緑の光が飛び込んできた。目を瞑っても焼け付くような強力な光だ。


「バンッ!」と凄まじい破裂音と共に風船が割れて光も静まった。


 イツキは机に手をつき辛うじて倒れずに済む。

 店内の空飛ぶ書物たちは床に落ち、打ち上げられた魚のようにピチピチ跳ねていて、本棚の影に避難した頭の三つある犬と肉食植物は遠巻きにこちらを窺っている。


「あ、あの~、何が起こったんスか?」


 店主がイツキを憤然とした面持ちで見る。


「お前、魔法使うの禁止」


「え、何で? 俺、才能ないんスか?」


「その逆だ。魔力が強すぎる。全然コントロール出来てねぇの。あーもー別に優秀な弟子とかじゃなくていいんだけど」


 イツキはきょとんとして訊き返す。


「じゃあ俺この先魔法使えないんスか?」


「いや。そうだね、まずは使い魔をつける必要がある。魔法書ちゃんと読んできたか?」


 イツキは首肯する。


 先日店主に渡された魔法書に使い魔のことが書いてあった。

 主人の魔力を分割して使い魔に与えておくことで、使う魔法に応じて必要最低限だけ魔力を引き出すようにする。

 使い魔が魔法使いと契約するメリットは魔法使いの強力な魔力を食うことが出来ることだ。そして、魔法使いは本人の魔力量が多い場合、過度に魔力を消費し続ければ命を削る。

 使い魔をつけることで魔力量を制御しリスクを冒さず魔法を発動させられるということらしかった。


 使い魔が魔法使いの力を制御する、ということにイツキは驚いた。逆だと思っていたからだ。


 店主の言い分を飲み込みつつも、じゃあ暫くは魔法使わせてもらえないなあとちょっと残念だ。やはり自分で魔法を発動させてみるのは理科の実験みたいで面白かったから。


 そうこうしているうちに大学の講義の時間が迫って来て、イツキは「んじゃあ、行ってきまーす」と霧雨の中を自転車で走り去った。



 イツキが去った後、店主は怪訝そうにぼやく。


「……あいつ最近ずっとうちから大学に通ってねえか?」


 シャランと涼やかな鈴の音を立ててブチ柄の子猫が奥の机の上で毛繕いをしているのを見ながら、「ま、いっか」とあっさり考えることを放り捨てた。


 店主は奥の本棚の扉を開ける。そこは大きすぎて店内に置けない道具たちの保管庫になっている。


 扉の向こうに、人間の背丈と同じくらいの毛糸玉のような包帯の塊がいた。赤黒い肉がところどころ覗く。

 その塊が店主に向かって声を潜めて、


「あの……イツキ先輩って……」


「ああ、出ていったけど?」


 その包帯の塊――ホノカは安堵した吐息を漏らすと、ズルリと水音と共に薄暗い橙色の灯りの下に移動してきた。

 店主は無造作に腕まくりをする。


「包帯取り換えるぞ。痛みは?」


「あ、平気です。一昨日レモンさんに替えてもらったのでちゃんと薬効いてるっぽいです」


 店主は無駄のない手つきで包帯を取り払っていく。

 空気に晒された身体が沁みるのだろう赤黒い塊が少女の声で小さく呻く。


 ホノカは毛皮と目を失った狼人間の成れの果てだ。元は人間だが、もうこの人間界では人の姿で存在できなくなってしまっている。


 小刻みに痙攣しているホノカの身体にすぐさま薬を塗布した包帯を巻きつけていく。

 店主は薬の効果でホノカの痛みが消え始めた頃に機械的に赤黒い血を拭いながら口を開く。


「……お前には暫くここにいてもらうことになる」


「……何でですか……?」


「まあ、経過観察だ」


 不安に揺らぐホノカの心の内を汲み取って、店主は冷淡に口の端を上げた。


「安心しろよ、イツキ先輩~にその姿を見られたくねえんだろ?」


「はい……」


 店主が急に意地悪を言う気が失せたようでこれ見よがしに溜息を吐く。


「……ホノカ。お前はこれからどうするんだ? その傷は治癒するまで何十年もかかる。それまでずっとレモンたちの箱庭に引きこもるのか?」


「…………」


 核心を突かれてぐっとホノカが押し黙る。


 ひと月ほど前にホノカは自ら狼人間と混じったこの身体の毛皮を剥ぎ、眼球を人魚に与えた。あの時にはもう生きるだけの意味を失くしていたから好きな人の役に立って死ぬつもりだった。


 けれどイツキは傷だらけの血塗れのホノカの身体を躊躇なく抱き締めた。

 イツキに触れられた箇所が激痛を伝えはしたがそれ以上に心が和らぐことを知ってしまった。


 イツキの抱擁はホノカの自らそう仕向けたはずの絶望を、それでも期待してしまった浅ましさを、本来は向き合わなければならなかったあらゆる現実からの逃避を全て受け止めてもくれていた。

 やっぱりイツキを好きなのだと自分のズルさを自覚した。


 レモンたちのいる箱庭の小さな世界での生活は温かい。

 共に暮らすレモンやアボカドやミカンは嬉しそうにホノカの名前を呼んでくれる。

 イツキが時々訪れては人間界で出来事を雑談し、二人きりのタイミングを見つけては遠慮がちに告白してきてくれて、ホノカが断わっても「また来るわ」と必ず言った。


 ……ホノカは全ての苦痛から目を逸らせる今の平穏を手放せなくなっている。


「まあ、別にいいけど」


 店主は気まぐれに会話を切った。

 ホノカにブランケットを羽織らせ、保管庫の扉を閉める。

 薄暗い保管庫に残されたホノカは次々と湧く思考を払うようにブランケットに潜り込んだ。





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