7-6 小鳥とスノードーム


 後日、魔法道具店の店内。

 イツキは今回の件の説明を求めてせっついて回るが、


「面倒臭ぇ」


 一言答えたっきり机の上でだらだらする店主に、じっと圧をかける。


「面倒臭ぇって一日一回言わなきゃ気が済まないんスか?」


 店主が不本意だとむくれた気配で起き上がる。

 イツキの挑発が成功して、店主はぶっきらぼうに説明を始めた。


 最初の衝撃はバッカスは元より火の鳥、つまりは不死鳥だったことだ。

 五十年前、バッカスが小鳥の元を立ち去る時に落とした炎の火種は、不死鳥であるバッカス自身のひと羽だった。


「……じゃあ、あの小鳥はほんとにバッカスさんを憎んでたんスね。バッカスさんにとっては偶々羽を落としただけでも、それでずっと小鳥は苦しむことになったんスから……」


「……偶々じゃないかもな」


 白枠の窓の外は夕方と夜の境目。薄暗い灰色のありきたりな路地が伸びている。

 その白けた景色を見るともなく見て、店主は感情の乗らない声で続ける。


「もしバッカスが落とした火種の羽が全ての生き物に燃え移ってたら今頃火の鳥だらけになってるよ」


「あ、確かに」


「……多分、あの小鳥この世に未練があったんだろうね」


 小鳥は寿命を終える間際、もう一度バッカスに再会することを望んだのだ。

 バッカスは大きな手でいつも尊ぶように小鳥に触れていたのだろう。最期にそうしてほしかった。

 その想いが不死鳥の炎を引き寄せた。


「あの小鳥が本当に憎んでたのは、自分だったんスか……?」


 炎に焼かれて人間界と異界の狭間に落とされてもバッカスを想い続ける愚かしさを、小鳥自身が何より憎んだのだ。

 だからバッカスに八つ当たりした。


『この炎を私から引き離してください! もしそれが出来なくてもこの痛みは、憎しみは忘れません』


 一見矛盾したその叫びは、『恋焦がれるしかない苦しみからは解放されたい。けれどこの先、生き続けることになるのならバッカスへの想いを忘れたくはない』という気持ちの裏返しだったのだ。


「……バッカスさんは何でもっと早く迎えに行かなかったんスか?」


 イツキは少し口を尖らせる。

 バッカスに怒鳴れないのは、自分もホノカに対してそうだったという後ろめたさがあるためだ。


 店主はイツキの気持ちを見透かして皮肉げに苦笑した。本気でこの人は性格が悪い。


「死んでたからな、バッカスは」


「は?」


 困惑して聞き返したイツキ。

 あれ、言ってなかった? というように眉を上げる店主。


「小鳥が死んですぐにバッカスも死んだんだよ。まあ、事件に巻き込まれてな。生き返るのに二十年かかった」


「……生き、返るって……。あ、不死鳥か!」


 イツキはやっと思い至った。

 不死鳥は何度も死に、生き返る。復活の象徴だ。


 店主は当時を思い出したのか、顔を顰めてけだるげに足を組む。


「あいつのことだから二十年もあの小鳥をほったらかしにしてたことを気にしてたんだろ、三十年くらい。で、やっと日本に来て小鳥を探し始めたわけだ」


「……何で三十年も……?」


「あんたのことなんか覚えてないわよ! って言われるのが怖かったんじゃね?」


 イツキは唖然とする。頭の隅にヘタレという単語が浮かんだが口には出さなかった。

 店主はふんと鼻を鳴らして、


「あいつの名前はバカ・カスでバッカスだからな」


「止めましょうよ! そういういじめ言うのは!」


 イツキが口に出さなかったのが無駄になった。

 店主はなぜかいつになく不機嫌そうだ。

 イツキは声色を抑えてそっと訊く。


「今は、あの小鳥とバッカスさんって……」


 店主は応えずに肩を竦めた。

 𠮟られた子供が拗ねているような決まり悪そうなその仕草に、腐れ縁の知人の幸せを少なからず願っているのだと分かった。「興味ない」といつものように吐き捨てないのがその証拠だ。


 不老の魔法使いと永遠に生き死にを繰り返す不死鳥。それなりに付き合いが長そうだとイツキは少し前から気付いていた。


 なんだよ、照れ屋かよ。ほんと素直じゃないな、この人。


「……おい、イツキ。そのニヤニヤを今すぐどうにかしねえとヒキガエルにするぞ」


 イツキは直ちににんまりしていた笑みを引っ込めた。


 夜に近付いていく半端な時間帯ですら夏の色合いを帯びてきた。

 纏わりつく空気の暑さも偶には悪くないかもしれない、とイツキは魔法道具店に勝手に常備している小豆アイスを口に銜えた。



 二匹の火の鳥は空へ舞い、一筋の流れ星のように空を泳いだ。五十年前のたった数ヶ月を二人で過ごした南の国を目指して。


 一回り大きな火の鳥がもう一匹を支え地に降り立った時には眩い炎は徐々に静まり、一人の男が立っていた。


 人の姿に戻ったバッカスの手の中には硝子瓶の中で眠る純白の小鳥がいた。

 小鳥の身体はいまだに消えない炎に包まれている。

 炎の名残が這いくすぶる小鳥の羽はまるでスノードームの粉雪のように瓶の中を舞っていた。

 それがランタンとなり、仄明るく夜の森を照らす。


 穏やかな小鳥の寝顔にバッカスは口づけするようにか細い言葉を落とした。


「俺は不死鳥として生きて死んで、また生き返って……。それを繰り返しながらずっと……。どの生を生きていても誰かと心を触れ合わせることを自分に禁じていた気がする……」


 不意に泣きそうに目を眇める。


「それなのに、なぜ、この忌々しいと思ってきた炎も君が纏うとこんなにも美しいのだろう。君をむしばみ傷つけている炎なのに……」




 バッカスは訪れたホテルの窓辺に小鳥の眠るスノードームを恭しく飾った。


 バッカスがその場を離れようとした時、小鳥がうっすらと瞳を覗かせた。

 バッカスはハッとして椅子にぶつかりながら一心に窓辺に駆け寄る。


 しかし、小鳥はすぐに白い炎を湛えた目を苦しげに閉じてしまった。


「ああ、まだ辛いのかい……?」


 バッカスは小鳥と共にあの頃の日々をなぞるように過ごした。


 小鳥を覆う炎が減縮すればするほど小鳥は弱っていった。

 囀り一つ無くとも時折バッカスの声に反応して目を開けることはあった。

 バッカスはその度に顔をほころばせてスノードームの硝子越しに美しい羽をなぞった。


 ある日差しの暖かい朝だった。

 バッカスが起き出すと小鳥は先に目覚めていた。


 バッカスは息を呑み、慎重にスノードームから小鳥を出し手のひらに包んだ。震える小鳥の羽を親指で撫でると美麗な瞳がバッカスを捉えた。


「……なんて無垢な姿なんだろう……」


 その言葉が合図だったのだろう。

 窓から差す朝日と小鳥の羽の白い炎が溶け合った。


 次の瞬間には、冷たくなった小鳥の亡骸が手のひらの上に僅かな重さを伝えていた。


『あなたと同じ時を同じ歩みで生きたかったのです……』


 最後に女性の声で囀った声にならない想いだけが自由な空へと飛び立っていった。




 ―――はらりはらりと白い雪が降ってくる。


 バッカスは人間界の日本に来ていた。

 人影のない街路で歩みを早めた時、鳥の囀りが耳を掠めた気がして思わず足を止める。


 怪訝に思いながらも通り掛かった公園の自動販売機の横に設置されたゴミ箱に近寄った。


 そして、はっと目を見開く。

 雷が頭に落ちてきたような焦燥感が走り、ゴミ箱の蓋を外す。躊躇なく空のペットボトルの集合体に手を突っ込んで掻き分ける。


 バッカスの動きは唐突に止まる。


「燕だ……」


 ゴミ箱の底近くに燕の雛がいた。灰色のふわふわの毛を小さく震わせる。


 こんなところに捨てられているということは誰か人間の悪戯だろうか。

 バッカスは険しく眉を寄せ、胸に抱き上げた。


 その時初めて雛の瞳が覗く。

 白い炎が瞬くようなきらめきが、ドクリドクリとバッカスを巡る血流を速めさせた。


 雛は遠慮がちに、そっと窺うように羽をすり寄せた。

 バッカスは頬ずりを返して、自分の手の中に帰ってきた温かい命の塊に、泣き出しそうにくしゃっと笑った。


 降りゆく雪が羽のような軽やかさで公園を覆い始めた。スノードームの中のような無音の悲哀と清福が二人を包んでいた。





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