7-2 小鳥とスノードーム


「おい、何で俺がお前を行かせたか分かる? これじゃ意味ねえじゃん」


 イツキの隣に立ってぶつくさ喚く店主に、イツキは飄々ひょうひょうと言い返す。


「これは俺一人じゃ手に負えねえっスよ」


 イツキたちの前にはゴミの山がそびえ立っていた。


 例のゴミ屋敷の玄関を潜る手前でもう異臭が鼻を突く。

 庭には物干し竿の残骸が憐れにも放置され、廊下はプラスチックの容器やらインスタント食品の包装紙が水ですすいだ気配もなく積み上がっている。


 イツキと店主は意を決して靴のまま一軒家の中に上がり込む。


 部屋を覗くと辛うじてゴミの隙間から見える畳みの真ん中に外見だけならハンサムとかダンディと言っていい男がインスタントラーメンを啜っていた。

 その男は店主の姿を認めると、嬉しそうに片手を挙げた。


「よっ、不老の魔法使い。しばらくぶりだな」


 店主はつかつかと男に近付くと何の躊躇いもなく拳骨を落とした。


「何やってんだ! バッカス!」


「むぐっ」


 ラーメンを喉に詰まらせた男――魔法道具の運搬業者である、バッカスのことを流石にイツキも気の毒には思わない。

 この部屋で平然とラーメンを食べている神経を疑う。

 高級スーツを来てどこかのパーティでお金持ちのセレブを口説いていそうな外見のダンディな男が、ゴミ屋敷でジャージ着てラーメン啜ってる途轍もない違和感……。


 なぜこうなったかバッカスの事情を聞くに、どうやら数か月前に商売の拠点を人間界に移したはいいもの、一般には魔法が存在しない人間界だ。これまでの他の世界と同じように放っておけば物が意思を持って勝手に片付いてくれたり、魔法で収納できたりしないことは初めてで片付け方が分からないまま放置してしまった結果が惨状だという。


 人間界の不便さゆえに通常の魔法道具の販売の仕事も滞ってしまっているらしい。

 イツキは魔法道具店のパタパタと空中を舞う書物たちを思い浮かべて納得した。


 イツキが思い至って口を挟む。


「あの~、何で人間界に拠点を移そうなんて思ったんスか?」


 バッカスは嬉しそうに身を乗り出した。


「あの子に会うためさ! 俺はちょっと前に人間界に仕事に来てたんだけど、よく俺を訪ねてきれくれた小鳥がいるんだよ。その子が可愛くて可愛くてね!

 いっそ次の仕事に連れて行ってやりたかったんだけど……」


 そこでギロッと店主がバッカスを睨み付ける。

 バッカスは「ひっ」と店主の視線から逃れるように肩を縮こませて、


「ま、まあほらあれだ。無暗に魔法を使わせないことが魔法使いの仕事なのでね、俺はぐっと堪えてあの子を置いてきたんだが、離れている間もどうしても会いたい気持ちが募って、とうとう人間界で暮らすことにしたのだよ。

 そして、今あの子を探しているんだが……」


「見つからないんスか?」


 イツキの言葉に、バッカスは項垂れるように首肯する。


 イツキはちょっと引っ掛かって確認する。


「その小鳥を最後に見たのってどこっスか? てか、ちゃんと日本っスよね?」


「失礼な。ちゃあんと日本のこの辺りだよ、多分」


 なぜバッカスが自慢げに踏ん反り返っているのかは知らないが、イツキは続ける。


「じゃあ、その鳥の話っていつ頃っスか? 一か月くらい前とか?」


「いいや、五十年前だよ」


 イツキと店主が揃って絶句した。

 バッカスそれに気付かずペラペラと話す。


「俺には時間がないってことの意味がこれで分かったろう? 人間界の生き物は寿命がだいたい百年くらいだと聞くじゃないか。

 あの子が死んでしまう前に見つけなくてはならないのだよ。そうして一緒に暮らすんだ。もう離さないよぉ!」


 夢見る顔で語るバッカスを置いて、イツキと店主は廊下に出る。

 店主がイツキの答えを分かり切っている顔で言い出した。


「……なあ、五十年くらい生きる鳥って人間界にいる?」


「……鶴の寿命は五十年くらいって聞いたことが……。バッカスさんが言ってるのって鶴っスか?」


「違うよねぇ。小鳥じゃねえもんなあ」


 つまりはバッカスの探し求めている鳥はとっくにお亡くなりになっていると言うわけだ。

 このままではバッカスは仕事が手につかず、魔法道具店の仕入れが滞ったまま……。


 店主は顔を思いっきり顰めて、「よし」と低い声を吐く。


「俺は帰る。後はイツキ、何とかしろ」


「ちょっと待て! 待てって! あんた、勝手すぎ!」


 イツキは全力で店主の服にしがみつき、店主の歩みを阻止する。イツキはそのまま捲し立てるしかない。


「いいんスかっ? このままバッカスさん放置したら警察に通報されますよ! 流石に警察が注意に来たらバッカスさんが何て答えるか分からないじゃないっスか! それ、かなりマズいって! 魔法を使わせないことが魔法使いの仕事なんでしょ? ちゃんと仕事してくださいって!」


 正論を突いたイツキにぐっと店主が押し黙る。やがて、


「あーもー、魔法使いってのはマネキンやら小鳥やらなんやかんやに執着しなきゃ気が済まんのか。……しょうがねえ、何か方法探すか……」


 店主がマネキンやら、と言ったのはミカンに執着したレモンのことだろう。

 イツキは一人でこのゴミ屋敷と人間界の常識知らずのバッカスさんに対処することにはならなそうで内心ほっとする。


 取り囲むゴミに辟易しながらイツキと店主は、まずは大掃除の覚悟を決めた。




 イツキは掃除道具を持参し、バッカスにあれこれと掃除の仕方を伝授する。といっても燃えるゴミ袋に汚れたプラスチック製の包装紙をひたすら放り込んで、ゴミ袋を庭に並べただけだが。

 そうしながらバッカスの探している小鳥をどうするかについて店主と相談する。


「前にトモカさん、でしたっけ? を生き返らせたみたいに出来ないんスか?」


 以前、魔法道具店で関わった案件で死者を一時的に生き返らせた棺桶型の魔法道具を思い浮かべる。

 あの道具ならすでに死んでしまっているらしい小鳥を呼び出すくらいは出来そうだ。


 しかし、店主はお手上げだというように首を振った。


「昨日の晩、やってみたけど呼び出せなかった」


「え?」


「多分もう生まれ変わってる。呼び出せる魂の状態じゃないらしい」


 イツキもあの棺桶が色々と制約の多い道具なのだろうと察してはいたが……。

 少し考えてからまた口を開く。


「じゃあ……他の鳥捕まえて『はい。バッカスさんの探してた鳥ですよ~』って言ったらどうなります? 騙されてくれます?」


「んあ~」


 と店主が奇声を上げて、解決策が見つからない苛立ちに天井を仰ぐ。

 が、すぐに逆再生のように顔を戻す。顔色がさああと青ざめて、俺は何も見てないぞというように口を噤んだ。


 ……イツキはおおかたゴキブリが天井を闊歩する姿を見たのだろうと悟って黙っていた。




 三時間ほどかけてゴミはまとまった。

 丁度燃えるゴミの日だったので庭に出した大量のゴミ袋たちをゴミ捨て場に運ぶ。

 いつの間に家の中から移動したのかゴミ袋を持ち上げた途端に翅を広げて飛び上がったゴキブリに「ぎゃあっ」とイツキが悲鳴を上げたりしつつ、バッカスをこき使いつつ、最後の袋たちを運ぶ。


 ゴミ捨て場に着いた時に金網の中に詰め込まれたゴミ袋の一か所から、唐突に火の手が上がった。


 見る間にゴミ袋を炎が伝い広がっていく。ゴミが焼ける焦げ臭さとチリチリと爆ぜる火の粉。


「うわっ!」と思わずイツキが後退る。


「消火器っ……はないっスね。バケツに水汲んで持って来てください! 俺は消防に通報して……」


 バッカスたちに指示を出そうとするイツキの肩を、「待て」と店主が掴んだ。

 イツキが切羽詰まった顔で見ると、店主は赤い炎を見据えていた。


「……あれは人間界にある炎じゃないな」


 すぐさまベルトのあたりから青い野球ボール大の球体を取り出し炎に投げつける。

 炎の近くに来るとビシャッと弾け飛ぶ、水風船のような魔法道具らしい。


 シューと音を立てて鎮火した後にはゴミ捨て場にはゴミが燃えた形跡も僅かな焼け跡一つも残らなかった。元通りゴミ袋が大量に詰め込まれた金網があるだけだ。


 呆気にとられるイツキと腰を抜かすバッカスを尻目に、店主は時計にも方位磁針にも見える魔法道具を無造作に胸の前に掲げる。

 青い光が空間を削るようにイツキたちの視界に飛び散った。


 数瞬後、三人の姿はゴミ捨て場から消えていた。





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