7-1 小鳥とスノードーム

 外界の全てから隔離された箱庭のような朝の世界。一ミリも動かない朝日で満ちている。


 木で組まれたヨーロッパ風の小さな家。柔らかいクリーム色の壁のせいかヘンゼルとグレーテルのお菓子の家のようなメルヘンな外観だ。

 青々とした若葉を纏った一本の大木が屋根に木漏れ日を落とす。

 小さな家の周囲には草原が広がる。草原をぐるりと囲む森の木々が朝日を浴びている。


 小さな家の窓から外を覗いていた森野イツキは「イツキ先輩」と呼ばれて振り返る。


 そこには揺り椅子に腰掛けるホノカがいた。ワインレッドというのか上品な赤のゆったりしたワンピースから覗く手足と目元に白い包帯が覗いている。


 彼女はイツキの高校時代の後輩だが、今はもう人間界に存在できなくなったため、この箱庭の世界で傷を治療している。


 イツキはホノカの隣に座り、目の見えていないホノカを驚かせないように、そっと耳打ちをする。


「今、痛みは?」


「大丈夫です。薬がよく効いてるみたいで」


 ホノカの包帯に塗布されている薬のおかげで痛みは全くないという。


 イツキは「そっか」と受け答えてから、ぼそりと不満を漏らす。


「一か月に一回会うためだけにわざわざ結構な手続き踏んできても、俺がここにいられるの一日だけなんだよなあ。割に合わねえ」


 ホノカが呆れたように溜息を吐いた。


「『会うためだけに』とか『わざわざ』とか……。先輩そういうことよく言いますよね」


 現在、イツキはホノカに付き合ってくれ、と口説いて断られ続けている状態だ。

 好きだ、と散々告白している当人を目の前に「だって、ここまで来んの結構面倒なんだよ」と平然と返すイツキ。



 リビングの窓辺で洗濯物を畳みながら、イツキたちの会話を聞いていた元魔女のレモンがブラウンの髪を耳にかけつつ、「あれどう思う?」と訊いた。

 レモンの首元や手首には老婆のような醜い皴が走っている。


 隣でレモンを手伝うアボカドは金色の短髪を揺らして「うむ」と重々しく唸ると、レモンに片目を瞑ってみせた。


「イツキ君の言葉を要約するとだね」


「うん」


「『もっとホノカちゃんと一緒にいたい』、『もっと頻繁に会いたい』になるな」


「……なるわねぇ」


 呆れてやれやれと首を竦めたレモン。

 アボカドは眩しそうに目を細めて、「しかし」と言いながらレモンに微笑んだ。


「私の君への気持ちはイツキ君たちに負けていないと自負しているけれどね」


 レモンは拗ねたように口を尖らせて目を伏せた。


「……知ってるわよ」


 アボカドはそんなレモンの手の甲にうやうやしく触れた。


 レモンの頬が僅かに紅を差したように色づく。だが、アボカドの手を静かに拒絶し、痛みに耐えるように辛そうに瞼を閉じる。


「レモン! 出来たよ、ゴブリンの卵プリン!」


 キッチンから幼げな顔を輝かせて呼び掛けてきたのはミカンだ。ミカンは中性的な顔立ちにアボカドとよく似た金髪のマネキン人形。

 すぐさまレモンは場の空気を繕うように「はーい!」と明るくミカンに笑い掛けて、逃げるようにキッチンに向かった。


 その場に残されたアボカドを、イツキがジトっと見ている。


「よくやりますね、人前で」


 とレモンとのやり取りを見ていたらしいイツキが呆れた声を出し、ホノカが気まずそうに苦笑いしている。

 さっきまで目の前でいちゃついていた二人の変わり身の早さに、アボカドは驚いてパチパチと瞼を瞬かせた。



 人間界、魔法道具店の店内。


 黒板消しというか針山というか布製の中に綿が入って膨らんでいる手のひらサイズの正方形。

 魔法道具店の店主は苛立たしげにそれを突っついた。


「あーもー」


 人の言葉をまねるオウムのようにさっきからそればかり繰り返す。

 イツキは見兼ねて口を出す。


「何かあったんスか?」


 店主がギロッとイツキを睨む。……『よくぞ聞いてくれた!』という反応は別に期待してないけれども、普通睨むかぁ? とイツキは心の中で突っ込む。


 店主が不機嫌なまま口を開く。


「……業者と連絡付かねえ」


「業者?」


「魔法道具の仕入れ先」


 イツキはなるほどと頷いてから、止まった。


「……連絡付く必要あります? この店どうせ大して道具売れてないでしょ」


 ビュンと奥の机の横にあった旅行鞄がイツキの方に飛んできた。

「あっぶね!」と叫びながら現役バスケサークル部員の素早さを駆使して避ける。


 理不尽に旅行鞄を投げてきた店主は既に机の上の針山を指で突っつく作業を再開していた。

 イツキはその様子を訝しげに観察していて気付く。


 ……もしかしてあれが通信手段か? 布型携帯電話っ!


 と、そこで店主が顔を上げた。


「なあ、イツキ。お前は俺の弟子だよな?」


 わざわざ確認を取ってくる店主は笑顔だ。


 嫌な予感しかしない。イツキは回避する方法をいくつか考えて、しかし店主に言いくるめられる図しか浮かばない。


「仕入れ先の業者、ちょっと探して来てよ」


 面倒事をイツキに押し付けてやれ、と書かれたその顔をいい加減見慣れ始めていた。




 イツキは店主がざっくりと説明したことを頼りに路地を進む。

 丁度、小学生の下校時間と重なってしまったらしくランドセルを背負った小さな背と何度もすれ違う。


 その中に黒いランドセルを背負い一人で歩いている子供がいた。

 一定のリズムを刻み無表情で歩く不思議な子なので目に留まった。大きな瞳で一見女の子に見えたが、胸ポケットに下がる名札には『小学二年生 荒井ともや』の文字があるので男の子だろう。


 とそこで、不意に訪れた違和感にイツキは首を傾げる。

 そして思い出した。


 以前、魔法道具店に依頼に来た客の中に荒井ヒロシというおじさんがいた。イツキは直接面識がなかったが、この子がヒロシの息子なのだろう。

 トモヤ本人は知らないが、この子は人間界の中で暮らす珍しいドワーフの少年だ。


 イツキはトモヤ少年が通り過ぎる前に呼び止めた。


「ちょっと、ごめん。いいかな?」


 トモヤは不思議そうに立ち止まった。

 ぼーっとイツキの顔を見ているのは何の要件か考えているのだろう。確かに以前父親のヒロシが言っていたようにマイペースな子なのだろうとイツキは実感した。


「あー、えっと。この人を探してるんだけど、分かる?」


 イツキはしゃがんで持っていた写真をトモヤに見せる。トモヤは「あ、」と呟いて、


「ゴミ屋敷の人だ……」


「えっ、ゴミ屋敷?」


 トモヤはコクッと頷いて路地の左を指差した。そっちにあるから行ってみろ、ということらしい。

 イツキはトモヤの意を汲んで頷き返した。


「ありがとね、ほんと助かった」


 とイツキが笑うと、トモヤは首を横に振りながら照れたように少し笑った。

 トモヤは無表情な子だという印象だったため子供っぽい笑顔に驚かされる。


 以前、魔法道具店の店主からドワーフは人間のような感情表現をすることが難しいのだと聞いた。加えてトモヤの種族は身近な人に不幸を呼ぶ特性がある。

 いかに人間と共に暮らすことが難しいかイツキでは測り切れない。それでもここでトモヤは暮らしているのだ。


 ランドセルが見えなくなるのを見送ってから、先程トモヤが教えてくれた路地を曲がる。

 そして、ゴミ屋敷の意味はすぐに分かった。





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