7-3 小鳥とスノードーム


 五十年前、日本に来て魔法道具を売りつけてホテルに帰ってきたバッカスの肩に小鳥が止まった。


 真っ白な鳥だが鳩ではない。雀と同じサイズだ。これはコルリという種の鳥だ。

 スズメ目ヒタキ科で、普通はオスの背は青くメスは緑褐色をしていて胸元の羽毛だけが白い。しかし、この鳥は突然変異か真っ白だった。


 いづれにしてもバッカスにとっては鳥の種類などは些細なこと。


「なんて無垢な姿をしているんだ。美しいな!」


 ワインのつまみに持ってきたナッツの塩気を払って、「おいで」と小鳥に差し出す。

 小鳥がちょんちょんとナッツをつつく度、くちばしがバッカスの手のひらにも突き刺さる。


「いたっ。痛い! いてっ!」


 逐一悲鳴を上げながら、それでも美しい小鳥を嬉しそうに眺めていた。


 バッカスは小鳥が妙に悲しそうな目をしていることに気付く。


 事情を聞くと、小鳥は暖かいうちに越冬するはずが急に寒くなってきて空を飛ぶ体力が尽きてしまったという。

 コルリは夏季を日本や中国北東部で過ごし、冬季は東南アジアへ南下し越冬する。このままでは冬を越せない。


「それは大変だ! よし! 俺はお前の行きたいところまで連れて行ってやろう!」


 バッカスは両手で小鳥をそっと包んだ。

 ふわふわに見えた白い羽は指の腹で撫でると温かくてすべすべしていた。小鳥はくすぐったそうに嘴で羽をつくろう。


 バッカスはとっくにこの小鳥に魅了されていた。



 青い光に包まれた直後、イツキが恐る恐る瞼を持ち上げると古びた地下の神殿にいた。

 さっき店主が使った時計のような魔法道具は瞬間移動するために以前も使ったことがあるものだ。


 神殿の奥には何かの儀式に使うのであろう石の台があり、松明の火が壁や円柱状の柱のところどころに灯っている。

 ひゅおおと風が精巧な装飾の施された壁や天井を通り抜けて反響する。魔物の吐息だと言われれば納得いくだろう。


 その不気味な光景の真っ只中にいることを認識してイツキがうんざりした。


「俺、もうこのパターン慣れてきました……」


「それは良かった」


 店主が棒読みで返す。

 イツキは気を取り直して、というか割り切って尋ねる。


「ここ、どこっスか? 地獄の入り口とか?」


「あながち間違いじゃねえな。人間界と異界の狭間だ」


 バッカスはきょろきょろ見回して「ほうほう」とか「へええ」とか「おっ!」とか感心した声をあげている。


 ……余計なものを触って余計なことを起こさなきゃいいが。とイツキは思った時には、それが思いっきりフラグだったと後悔することになった。


 突如、イツキたちが立つ五メートルほど先の床に亀裂が走り、ごおおぉと炎が湧き出した。

 赤く白く形を刻々と変え、意思を持っているかのように吹き上がる炎。

「あっつ!」と腕を払ったイツキの背後にも火は回り込む。


 店主がどこから取り出したのか黒いマントをイツキとバッカスの頭に放り投げる。

 あっぷあっぷしながらマントを被ると熱さが消えた。


 しかし、バッカスの様子がおかしい。


「ああ、あの子だ……。あの小鳥だ……」


 呆然としたまま火の渦に歩み寄るバッカスの腕を店主が掴んで引き止める。


 炎が吹き荒れ、イツキたちの周囲、視界の全てを取り囲んだ瞬間に集束する。

 直径三メートルほどの炎の球体が宙に浮いたかと思うと、はらりと蕾が広がるように解けた。


 花びらのように見えたそれは巨大な炎の鳥の翼だった。

 鶴のように長い首をもたげると、白く燃える瞳とすっと伸びた嘴がイツキたちを正面に貫くようだった。


「今更……」


 女性の声が響く。

 それが火の鳥から発せられていることにイツキが気付いたのは数秒後だ。


「……今更、何の御用ですか……? 私はあなたのせいで地獄に落ちたのですよ⁉」


 火の鳥が纏うのはバッカスへの憎悪の炎だった。

 バッカスはわなわなと震えた。目の前の変わり果てた小鳥の姿に怯えているのではない。

 自身の過ちで小鳥を苦しませたことに怯えているのだ。


「どうして……。君はそんな姿に……」



 五十年前。

 小鳥はなぜか意思の通じる人間――バッカスに故郷に連れて帰ってくれた礼に肩に乗り、美しい羽をすり寄せた。


 小鳥は人間の年齢に照らせばおばあちゃんと呼べる。しかし、バッカスにはそんなことは関係ないらしかった。


 バッカスは羽が頬を撫でる度「いいんだよ、このくらいのこと」と嬉しそうに目を細めた。


 バッカスは暫くこの暖かい東南アジアの国に留まることに決めたようだ。


 小鳥はバッカスの元に通った。

 しかし、バッカスは半年と経たないうちにその国を発たなくてはならなかった。魔法道具を仕入れる仕事をして世界中というより異界間を飛び回っている身だからだ。


 バッカスの去った後、バッカスが借りていたホテルの窓辺で小鳥は寿命を全うし、冷たくなった。


 そしてその時、バッカスはその部屋に人間界には存在しない炎の火種を落としていたことは気付けていなかった。


 炎は小さな身体からいましがた飛び立った小鳥の魂に着火し、しろにした。

 小鳥の美しい純白を赤い炎が舐める。苦しげに身悶える不運な小鳥の魂は人間界と異界の狭間に落ちていった。



 現在、地下神殿。

 火の鳥の輪郭は彼女の怒りを表すようにパチパチと揺らいだ。


「出ていってください! どうせあなたは私を救えないでしょう⁉ この憎しみの炎はもう手の施しようのないほど私の魂に溶け込んでしまいました……。あなたのせいです……あなたの……」


 かつて小鳥だった魂の、斬り付けるような言葉に血を流したのは小鳥自身の心だったのかもしれない。それほどの絶望があった。


 ふらふらと後退ったバッカスが「……分かった」と声を震わせて、「え、ちょっ、いいんスかっ?」と慌てるイツキと共に青い炎に包まれて消えていった。


 残された店主は火の鳥と向かい合った。炎の揺らぎを瞳に映し、静かに問い掛ける。


「……バッカスを殺したいか? それとも自分と同じ苦痛を味わわせたい?」


 火の鳥がびくりと動かした羽が小さく爆ぜては形を変える。

 店主は火の鳥の心を覗き込むように一歩前に出た。


「それとも、もう死にたいのか? ……疲れたか?」


 火の鳥は「きゅるるるるっ!」と悲痛に鳴いた。美しい首を仰け反らせて泣き叫んでいた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る