6-2 ろくろ首と接着剤


 後日、ノゾムが会社に出勤すると何故かざわついていた。が、ノゾムがデスクに近付くとさっと皆が口を噤む。


 最初は、いじめか? と怪訝に思っていたが、半日続くうちに酷く不安になった。

 それに上司の池首の姿がない。


 午後になって漸く思い切って隣に座る女性に話し掛けてみる。


「あの~、池首さんってどうしたんでしょうかね?」


 女性は不自然に肩を跳ねさせた後、さっと顔が青ざめた。


「……知らないんですか?」


「あ、はい。何が……?」


「自殺されたのよ……。今朝、ご自宅で首を吊ったのが発見されたって……」


「は?」


 自分の耳を疑った。ノゾムは狼狽えるまま女性にせっつく。


「え、何でなんですか……?」


 今、ノゾムは人生上最も情けない顔をしているだろう。


 女性は視線を泳がせて、不格好に話を逸らせた。

 それから誰に上司のことを尋ねても似たような反応が繰り返されると分かると、流石にノゾムも察せてくる。


 俺が池首を自殺に追いやったって言いたいのか……?


 誰しもの見る目がその疑いを孕んでいることを物語っていた。


 そんなわけない。俺が悪いんじゃない。そう心の中で叫ぶ一方で、もしかしたらという懸念が渦巻く。

 もしかしたら上司の悪口を自分が触れ回っていることが上司の耳に入って、追い詰められて自殺……。


 いや、そうだとしても死んだ方が悪いだろ。あんたのせいで今、俺がどんだけ最悪な状況か……。あんたは死んでも俺をいじめたいのかっ……。




 一か月後、ノゾムは会社の屋上に来ていた。フェンスの向こうを見下ろす。


 死のうと思ってここに来た。この一か月で針のむしろの意味を実感した。

 会社内でノゾムが池首を殺したとまで囁かれたからだ。根拠のない噂の出処はもう分からない。


 膝を抱えて座り込み、沈む夕日を見ていた。

 太陽が沈み切ったら俺はここから飛び降りる、とだけ唱えた。空っぽすぎて涙も出ない。


 その時、背中に声が降ってきた。


「何してんだ尾木、こんなところで」


 あまりに聞き覚えがある投げ掛け。

 ノゾムはガバッと振り返った。


 そこにはひと月前に自殺したはずの上司、池首が怪訝そうに立っていた。

 池首の髪がない頭のてっぺんは夕陽を照り返し、両サイドに残る髪の毛はビル風に揺れていた。

 小柄な体格なくせにさらに背を前屈みにしていることすら以前と変わらない。


 ノゾムが混乱している間に、池首が「よいしょ」と隣に座った。


「……え、何でいるんですか……? えっ、幽霊ですか?」


「ちょっと違うな。俺は……ろくろ首って言ったら分かるか?」


 ノゾムはかっと頭に血が昇った。

 何ふざけてるんだと問い質そうとした時、池首の首がにゅううと伸びた。蛇の胴体のようにうねってぐるりとノゾムの目の前に池首の顔が来る。

 池首の身体本体はノゾムの隣にいる。


「うわあああぁっ⁉」


 大分情けない悲鳴を上げてノゾムはひっくり返った。

 

 暫く経って落ち着いてから池首から事情を聞くと、池首が自宅で天井の埃が気になって首を伸ばした時に偶々窓の外から発見されて、その人には天井から首が吊り下がっているように見えたらしく、首吊り自殺だと思われたという話だった。


「はああ……。そうだったんですね……!」


 ノゾムの中では池首がろくろ首ということへの恐怖より自分が人を自殺に追いやったわけではないという安堵の方が大きかった。

 初めて晴れやかな気持ちで上司に向き合った。


 池首は蜷局とぐろを巻いていた首を元に戻すと、「いやあ、すまないね」と歯を見せて笑った。

 それから池首が屋上の床から立ち上がったので、つられてノゾムも立ち上がる。


 池首の頭がまたもや、うねぇーと今度は夕暮れの空に向かって真っすぐに伸びていた。


 ノゾムは思わずそれを見上げる。見上げる程にぐんぐんと首が伸びる。


 池首がニタッと笑ったが逆光でノゾムは気付かなかった。

 さらには「嘘に決まっているだろ……」とろくろ首の赤い口が発した声も味気ないビル風に掻き消された。




 池首と再会し、彼がろくろ首である衝撃の事実を知って数日、社内では池首の自殺に関するノゾムの噂は立ち消えていた。


 ノゾムはまあまあの勇気を振り絞って、前から目をつけていた社内で美人の女性社員を食事に誘った。

 美人の彼女がいることはかなりのステイタスになる。是非とも自分の社内の立場の安全確保に利用したい。


 今日は香水が特に臭いから不快だが、それをおくびにも出さずにノゾムは彼女を褒めそやし口説いた。

 彼女は「ごめんなさい」と少し強張った顔で断ってきた。


 おかしいな。これまでの経験上は誘いに乗ってくれる流れだったのに。

 しかし、体調でも悪かったのだろう、とあまり気に留めなかった。


 そういった些細なすれ違いが続いた。


 ある日、休憩時間に後輩社員の企画をチェックしていた。自分のデスクでパラパラ資料に目を通す。


「うっわあ、地味。面白くねえなあ。まあ、面白くないけど……企画自体はちゃんとしてるか。予算内だし」


「あの……」


 背後に声が掛かって咄嗟に、しまったと思った。

 声を掛けてきた彼女が、たった今ノゾムが文句をつけた企画を持ってきた後輩その人だったからだ。

 彼女は申し訳なさそうに上目遣いをした。


「尾木さんって意外と毒舌なんですね……」


 それから不思議な縁で、彼女とはよく話すようになり、恋人になった。プロポーズして一緒に指輪を買いに行った。

 

 後になって彼女はきっと初めて本音を聞かれた相手だったと気付いた。

 普段ノゾムは友人の笑いを取るため話を誇張したり、場を切り抜けるため迷わず心にないお世辞を言っているからだ。


 本音を見せるとこんなに楽になるのなら、もっと早く自分の心に従って生きようとすれば良かった。

 取り敢えず今、ノゾムは幸せの中にいた。



 いまだに染めたことのない地味な黒髪を指先で弄る。

 隣のベッドに呑気に伸びている婚約者のノゾムを見て、暗く呟いた。


「……こんな地味な私に振り向いてくれたのはあなただけだった。これからだってそうだと思う……。プロポーズされた時、私にはイエス以外の選択肢はなかったのよ……。

 一時いっときの夢をまだ見ていたい……。例えあなたがもう何年も前に死んでしまった人だとしても……」





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