6-1 ろくろ首と接着剤

「……でさ、ゴミ箱の横からゴキブリが出てきて、思わずうおって言ったんだけど、そしたら池首いけくびが『女みたいに悲鳴を上げるな』だって!」


「うっわあ、男女差別じゃんそれ」


「人として有り得ないわ」


 友人二人の合いの手に気を良くして、尾木おぎノゾムは声のトーンを一段上げた。


「だろ? あいつが上司とかほんと辛いわ俺。辞めようかな」


「ええー悪いの向こうじゃん。お前が辞めるとか理不尽」


「向こうを辞めさせるのが筋じゃねぇ?」


 ノゾムはテンプレート通りに上司の悪口を吐きながら友人二人と路地を行ったり来たりしていた。

 友人たちとは三十歳手前の今でもよく飲みに行く仲だ。


 ネットの噂で見つけた『魔法道具店』。実在するのかもあやしいが休日にやることもなかったのと噂の場所が割と近所だったので友人たちと悪ノリして探しに来たのだ。


 ノゾムはふとさっきまで気付かなかった細い路地に目を留めた。


「あ、おい。ここ怪しくね? ちょっと行ってみようぜ」


「え、ここってどこ?」


 一歩踏み出すと、友人の呼び止める声と姿が消えていた。不思議には思ったが元来行き当たりばったりの性格だ。

 気にせずそのまま進んだ先に『魔法道具店』の看板が下がった喫茶店があった。


「おお、すげー。実在した」


 独り言を言いながら扉を開けると、目の前を本が横切った。


 渡り鳥のように整列した本たちがパタパタと空中を飛び本棚で戯れる。

 足元のケージからは頭が三つある犬が六つの目玉でぎろりと睨み、肉食植物は伸ばした弦を鞭のようにしならせ、ノゾムの脛をバシッと叩いてきた。


「いって!」と声を上げると、店の奥に二十代に見える男がいる。この店の店主だろうか。

 窓辺のソファーには大学生ぐらいの青年がいて、ノゾムを遠巻きにしている。


 ノゾムはいくつかの質問を店主に繰り出してみたが、どれにも素っ気ない答えが返ってくるだけだ。

 ノゾムの要求は職場の嫌な上司、池首をどうにかしてほしいという簡単なものなのだが。

 加えて、横から口を挟む青年――イツキがうざったい。


 ノゾムは上司の愚痴をつらつらと語り、最後にこう結ぶ。


「うちの上司をどうかする道具ってないんですかね?」


「どうかって?」


 店主の男が心底詰まらなそうに訊き返す。


「ちょっと懲らしめてぇ、あ、出来れば仕事辞めて欲しい。辞職、辞職」


 いっそ軽蔑するかのように店主がノゾムを横目に見上げた。


「それ、わざわざうちに来る必要あんの? つーか直接言えよ、その上司に。辞めて下さいって」


 店主のぞんざいな態度に、ノゾムはつい敬語も忘れて声を荒げる。


「言えるかよ! 言って向こうが、はいそうしますって聞くわけないだろ。聞いてなかったのかよぉ、俺の話。あの上司は独善的でこの間だって……」


「その話、いつまで続く?」


 これ以上ないほどげんなりした声音で店主が机についていた肘を入れ替える。

 欠伸を噛み殺しながら、


「ま、とにかく、あんたに店の道具は売らねえよ。帰れ」


 はあぁっ? わざわざ店を訪ねて懇切丁寧に事情を説明して、売ってくれって頼んだ後の反応が「帰れ」だと? いやいやいや、おかしいだろ!


 ノゾムが「ふざけんなよ」と怒鳴ろうとした時、店主が無造作に人差し指をピンと弾いた。


 ギュインと背中を引っ張る急激な引力を感じた。

 ノゾムが、誰だ人の服を掴んだ奴は、と振り返ると、いなくなったはずの友人二人が驚いた顔で固まっていた。


 いつの間にか周囲は元の路地に戻っている。そして、『魔法道具店』に続く細道は跡形もなく消えていた。



 魔法道具店。

 三十代手前の会社員らしき男、尾木ノゾムを追い出した後。森野イツキはソファからひょいと顔を出した。


「あの人がここを訪ねて来れたってことはあの人自体が人間界のものじゃないんスよね? ほら、ホノカの時みたいに」


 この魔法道具店に立ち入ることが出来るのは人間界の外に存在するような魔物やら妖怪やらの類やそれと関わりのある者だけだ。

 だから尾木ノゾムはただの人間ではないか、人間でないものに憑りつかれているかということになる。


「ああ、それな……。あいつはきっと知らないんだろうね……」


 歯切れ悪く呟いた店主は、顔を顰めたまま木箱の引き出しに手を掛けた。





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