5-6 透明人間と包帯


 イツキに抱き上げられている。

 あの時、そのことだけで十分に幸せだった――。


 ホノカが意識を取り戻すと身体中に包帯が巻きつけられているのを肌で感じた。

 特殊な薬が塗られているようで自身がまだ傷だらけだと分かるのに痛みがない。


 ぎこちなく腕を動かすとどこかのベッドに寝かされているらしいと気付く。

 だが、その動作だけで疲れてしまった。

 最後にそっと目元を覆う包帯に触れてから、だらんと腕を元のように下した。



 イツキは店主に魔法書を手渡した。

 これはホノカの家から探し出して持ってきたものだ。


 ホノカは以前魔法道具店を訪れた時にこっそり魔法書を持ち出していたらしい。

 店主に売ってくれと交渉しても無駄だと学習していたからだろう。


  おそらく魔法書を持ち出した時にはホノカは自身の狼人間としての変化に気付いていて、それをどうにかしようと藁にも縋る思いだったはずだ。


 そして魔法書の中に「願いを叶える人魚の涙」を見つけた。

 最初はホノカ自身のために使うはずだったそれを、イツキの存在を食べてしまったためにイツキの存在を取り戻すことに使わなければならなくなったのだ。


「イツキ、ホノカが何でお前を頑なに家に帰さなかったか分かるか?」


 店主の投げかけにイツキは戸惑う。


「え、いや、さっぱりっス」


「ホノカはお前の存在を喰ったつったらしいが、正確にはお前の心の実体と世界に現出している身体を喰い千切ってしまったわけだ」


 イツキが疑問符を浮かべるのを分かっていたように店主が解説する。


「ああほら、幽体離脱ってやつ。もしお前がホノカの制止を無視して家に帰ってたら、仮死状態の自分の身体を見つけることになっただろうな」


 だからホノカはあんなにも頑固にイツキを家に帰らせなかったのだ。

 イツキがピクリとも動かない自分の身体を見つけた時にどれ程のショックを受けるか想像し、ホノカはイツキに何も知らせず一人で事態を解決することを選んだ。


「だけどホノカは自分の存在は喰い殺してるんだよ。つまりこの人間界で自分という存在を完全に消し去ったんだ、意図的にな」


 店主の言葉が浸透すると、イツキの瞼の裏にパッと残像が思い起こされた。


『私の存在が消えても、誰も、何も変わりませんから……』


 そして、両親の育児放棄の話だ。


 ……もしかしたらホノカは全ての希望を潰すために自らの存在を跡形もなく食い殺したのかもしれない。


 もしも何も告げずに娘が行方不明になったら、親は警察を呼び、嘆き悲しみ、必死になって娘を探すだろうと大抵は想像する。


 でも、ホノカの家はそうじゃないかもしれなかった。娘がいなくなったところでホノカの両親は何も思わないかもしれない。

 むしろ、いなくなったことを喜ぶかもしれない……。


 そうしたら。そうなってしまったら、それはホノカのことを本当に愛していないことの証明になってしまう。

 どんなに子供にとって――ホノカにとって恐ろしいことだったか。


 だから人間界から自分の存在を消したのだろうか。

 ホノカがいなくなっても両親が悲しまないのは当然だ。だってそもそも娘がいた記憶すら存在しなかったことになるのだから。

 両親がホノカの不在を悲しまなくても、それは両親がホノカを愛していないことの証明にはならない、と言い聞かせたいがために。


「イツキ、多分お前の考え半分は外れてるぞ」


「もう! 心を読まないで下さいよ!」


「心読む能力とか無ぇよ。顔にだだ洩れだっただけだ」


 ほんっとに嫌味な人だな。

 イツキは口を尖らせて、


「じゃあ、残りの半分は何スか?」


「お前だよ」


「は?」


「ホノカが心の底から恐れてたのは、自分がいなくなってもイツキは何とも思わないかもしれないってことだ。お前が助けに来てくれるのにほんの少しでも期待してしまう可能性を潰すために自分の存在を消した。

 まあ実際は、一度人間界の外に出てるお前の記憶までは消えなかったようだけど」


 イツキが海岸にホノカを探しに行った時、ホノカは嬉しそうだった。

 身体中が痛みを訴え、目の光を失ってもなおおどけてみせたりした。


 一年以上前、イツキはホノカの告白をすげなく断った。

 もしかしたらあの時、両親の育児放棄に耐えかねてやっと発したホノカのSOSをイツキは振り払ったのかもしれなかった。

 今回だってそうだ。イツキの苛立ちを前にして委縮していたホノカがどれだけ辛いかなど考えもしなかったのだから。


「おい、先輩」


 店主がイツキを『先輩』と呼ぶのは揶揄う時か馬鹿にする時だ。


 イツキがうんざりしながらも「何スか」と顔を向けると、


「ちゃんとホノカを口説き落とせよ」


 ……今まで見たことがないほど優しく穏やかな目で店主はイツキを見ていた。


「……余計なお世話っス」


 あんたに言われなくてもそのつもりだ、という意味を込めて真っすぐに見返した。


 次の瞬間には「あっそ」と素っ気なく肩を竦めてどっから持ってきたのか分からないパペット人形を弄り始める店主。


 とそこで、イツキが湧いてきた疑問を口にする。


「でもこの店潰れるかもしんないんスよね?」


「あー、それね、まあ大丈夫になった」


「何で?」


「魔法使い業って慢性的な人手不足なんだよねぇ。で、俺が新しい弟子を雇っただろ? 弟子の指導があるっつったら謹慎も免除になって無事通常営業に復帰。

 あれだ、魔法使い事情も世知辛いもんがあんだよ」


 新しい弟子とはイツキのことなのか。ということは店を再開する名目にイツキを使ったのか。というか今まで真面に魔法道具売ったことあんのかこの店は。


 いくつか湧いてきた疑問に結局は深い溜息を吐いただけだった。


「じゃあ俺、ホノカのとこ行くんで」


 イツキはあっさり宣言して、ブチ猫をひと撫ですると、カランカランと涼しいドアベルを鳴らしながら魔法道具店を立ち去った。



 イツキが去った後、店主はパタパタと宙を舞う本の背表紙をトントンと指先で触れていった。

 本たちは次々と店主の手の中に収まっていく。

 店主は面倒臭そうに顔を顰めた。


「ったく、忙しくなるな……」


 店主の肩に飛び乗ったブチ猫が嬉しそうに頭を店主の頬に擦り寄せた。

 不老の魔法使いはけだるげに、後でイツキに手渡すための本をまとめた。口元は僅かに緩んでいた。





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