4-7 マネキンと魔法石
不意に背後に降り立った人物がいた。魔法道具店の店主だ。
店主が一瞬で状況を察し眉を寄せた。
「……だーから、俺は言っただろ。馬鹿なことを考えんなって。ったく、面倒を増やしやがって」
淡々と悪態をついた店主の足元から、ひょいとブチ柄の子猫が顔を出した。赤い魔法石を
ブチ猫はトントンとミカンに駆け寄り、先程アボカドの腕が貫通しバラバラになりかけたミカンの胸元に魔法石をはめ込んだ。
夕焼けよりも赤い光が迸ると同時に、ミカンの体が修復を始めた。
レモンとアボカドは目を見開き、それを眺めているしかない。
ミカンの体が完全に修復しスヤスヤと穏やかな寝息を立て始めたのを、店主は確認して言い放った。
「レモン、俺はこの一件を魔女裁判所に報告した。これがどういうことか分かるな?」
レモンははっと青ざめる。
「で、お前たちの処分が決まった。
レモン、お前は全ての魔力と魔女としての資格を剥奪する。
アボカド、お前は人間で無いものでいた期間が長すぎる。だから人には戻れん。二度と人間界に足を踏み入れることも許さない。多くの制限が付く。
そして、お前たちには監視役を付ける」
店主がミカンの方に顎を煽った。
「監視役はミカンだ。ミカンには多少の魔力を与えておく。お前たちにはこれからも永遠を生き続けて罪を償ってもらう。いいな」
驚きに固まっていたレモンが呟いた。
「……それって、アボカドと一緒に生きていいってこと……? ミカンとも一緒にいられる……?」
店主が渋い顔をして髪を掻いた。
「……結果的にそうなるとしても、それは罪を償わせるための措置だ。履き違えるな」
「あんたって、偶にそういう奴よね……」
レモンは震える息を吐き何とか冷静さを取り戻そうと頭を振った。
「うるせえ」
店主は嫌そうに顔を顰めて、しかしすぐにアボカドに視線を移した。
アボカドはゆらりと立ち上がっていた。まだ感情に思考が追い付いていないからか、仮面のような無表情だ。
レモンはアボカドに向き直った。何か言わなければ。必死に声を出そうとする。
「ごめん、ごめんなさいっ……。あたしが、全部悪いの。……あなたの“心”を奪い、あなたをずっとずっと苦しめてしまった……。ごめんなさい……。許さなくていいから……、許さないで」
アボカドがレモンを向いた。夕日を背にしたアボカドの落とす影はあまりにも暗い。
「許さない。私から“心”を奪い、人としての生き方を奪った君を許さない……、と私が言ったら君は楽になるのだろう?」
「あ……」
「私に責められることが償いになると思っているのだろう、レモン」
噛み含めるように呟く。空虚な目が、声も出せずアボカドを凝視するレモンを覗く。
レモンを非難する色合いが欠片も無いだけに、事実を淡々と突き付けているだけに、残酷だ。
「そうして君はまた楽になった自分を許せないと責め続けようとするのだろう」
レモンが目を見開いたまま後退った。
アボカドに何もかも見透かされている気がする。おそらくアボカドの言う通りなのだ。
この世で最も愛しているアボカドに憎まれることが自分の償いになる、とそう自分は考えていたのだろう……。
レモンは魔女になった時、両親を亡くした。けれど、アボカドを求めた気持ちを後悔したことはない。例え全てを失ってもアボカドと生きることを優先するだろう。
しかし、その罪をアボカドが責めてはくれないというのなら……。
ではどうすれば……? どう償えばいいのか……?
レモンの瞳に絶望の芽がじわりと伸びる。
アボカドはレモンが事実から目を背けることを許さず、ひたと見つめ続ける。
「……私には君を責める資格も君を許す資格もないよ。私は君を憎まない……。君がどれだけ望んでも君を責めてはあげられない。レモン、私が君を愛する限り、君は君自身を決して許せない……」
アボカドがゆっくりと笑みを作った。美しい微笑。愛おしげにレモンの頬に手を添える。
レモンはどうしても声にならない。絶望が根を張ったように目を離せない。
「愛している」
レモンの肩がビクリと跳ねた。
「愛しているよ、レモン」
「あ、あ、ああ……」
レモンがふらりと下がると、アボカドが一歩前に。
「私は君を愛し続ける。……永遠に君の隣で。それが私の“心”を奪ったことに対する、君への復讐だ。……そして、私が君を愛することは誰も許さないだろう。君と共に私も責めを負う。君のしたことの罪を共に背負う。だから君を愛し、君のそばで生きることが、私の永遠の償いでもある」
アボカドは最後の台詞を呟いた後、その場に崩れるように膝をついた。押し殺したか細い悲鳴が混じる。
「……すまないっ……。愛しているんだ。君を憎もうと、いっそそうしようと考えても、私にはできないんだっ……。君の隣に、これからも君のそばに居られる理由がこれしか見つからないんだっ……。愛している。私は卑怯だ。すまない、レモンっ……」
肩を抱き泣き叫ぶアボカドは昔と何も変わらない。何よりもレモンを愛し、“心”までも差し出したあの頃と……。
「ああ……」
レモンは気が付くと膝をついていた。
そしてぎこちなく、愛しているとすまないを繰り返すアボカドの肩を抱いた。自分自身を永遠に許さない覚悟をして。
アボカドは固く瞼を閉じレモンの肩に顔を埋めた。
二人は百年近く孤独に冷え切っていた互いの“心”を抱き締めた。
やがて顔を上げた二人はミカンに視線を向けた。
レモンは唇を噛み締め、穏やかな寝顔を見せるミカンの髪をそっと撫でた。
「うっ……く……」
撫でるうちにぽろぽろと涙が溢れ始めた。
あたしはこの子になんてことをしたんだろう。“心”のあるこの子を“もの”として扱ったんだ……。それでもこの子はあたしを庇って……。
人としての感情を見失っていたのはアボカドだけではなかったのだろう。魔力を手に入れてからの長い生は空虚なものだったと今気付いた。
永遠の夕焼けが傷を抱えた者たちを照らしていた。
レモンとアボカドとミカンと店主、とブチ猫は瞬間移動の魔法道具でレモンの家の真ん中に転移した。ホノカはぎょっと飛び退いたが、イツキはもう慣れてしまっているようだ。
「……もう何もかも解決したって感じっスねー」
棒読みでイツキが労うと、店主が鬱陶しそうにしっしっと手を振った。
と、そこで三人の子供たちが目を覚ました。
「アボカド団長……」
と黒いリボンで髪を結った少女が呟いた。もう笑顔が縫い付けられた人形の顔ではない。アボカドが数歩子供たちに歩み寄り、片膝をついた。
「……すまない。私は君たちに取り返しのつかないことをしてしまった……」
アボカドの声が震えている。子供たちは互いの顔を見合わせた。そして、ゆっくりと困ったように笑った。くせ毛の少年が床についたアボカドの手を取った。
「アボカド団長。あのね僕、最初は怖かった。僕には父さんも母さんもいなくて、それで生きててもずっと寂しくて……。アボカド団長に拾われて、ピエロ人形になって、ずっと笑った顔のまんまになって、怖いのに怖いって言えなくて。
でも団長と一緒に暮らして、他の二人もサーカスに来て、お客さんがすごいって笑っているのを見ていたら僕たちが皆を楽しませているんだって気付いた。僕は人間界にいた時ずっと寂しいって思って笑わなかったし、笑ってくれる人もいなかった……。なのに団長といたら楽しかったんだ」
「私も、楽しかったよ……」
噛み締めるように少女が同意した。
「僕も……。アボカド団長と一緒にいろんな世界を見に行ったよね。団長、エルフに追われてたユニコーンとかすぅぐ拾ってきちゃうし」
おどけて言った短髪の少年の口調は、けれど柔らかい。
「それでサーカス団に入れちゃうしね」
「どんどん私たちのサーカス団が大きくなって、お客さんも増えて、賑やかになって……」
思い出を語る子供たちはそれぞれに痛みを秘めながらもくすくすと笑い合った。その輪に誘うように少女がアボカドに手を差し出した。
アボカドは目を見開き、唇を噛んで俯きかけて、手を伸ばしかけて、一度細く震える息を吐き、伸ばした指が少女の手に触れて、――少女がそっと握った。
「……私はどうしたら君たちへの償いになるのか、分からない……。けれど、私にとって、きっと……君たちといた時間は、とても温かいものだったと漸く思うよ……」
アボカドが切なく微笑んだ。ピエロをしていた頃の虚しい笑みはなく、苦しみを背負いながら穏やかな安堵と決意を漂わせていた。
レモンはその表情に幼い頃のアボカドの面影を重ねながらも、アボカド自身が償いの生を歩み始めようとしていることを知った。レモンと同じ決意をしたことを。……子供たちはアボカドの行いを責めてはくれない。だからアボカドは一生自分を責め続ける。
レモンは皴の刻まれた手首をもう片方の手で強く強く握った。
レモンの家があるのは夜の階層。夜空には三日月と星々が仄明るく輝いていた。
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