4-6 マネキンと魔法石


 オレンジ色が辺りを支配する夕暮れの階層。

 レモンは再度、サーカス団の滞在している館の前に来ていた。

 ベルを鳴らすが誰も出て来ない。扉の鍵は開いている。中に入り階段を上る。


 ある戸の前で話し声が聞こえた。

 聞いた瞬間にミカンと、そしてアボカドのものだと分かった。

 ドッドッ……と心臓が高鳴る。懐かしさと申し訳なさが溢れてくる。


 二人の会話。昔より大人びたアボカドの声。


「レモンと私は幼馴染だったんだ……。もう百年も前のこと……」


「レモンは……昔から優しかった?」


 あどけないミカンの声に、アボカドがふふっと低く苦笑を漏らす気配。


「あぁ優しかったと思うよ。でも自分で決めたことを押し通そうとして頑固だった……。結婚しようって……。子供の頃のことだ……」


「僕も言われたよ。結婚しよう、一緒に生きようって、たくさん」


「そうか……」


 疲れたように続くアボカドの無声音。


「アボカド団長、身体痛むの? 少し休む?」


 ミカンの気遣う言葉。あまりにも温かいだけの会話……。


 レモンは漏れそうになる嗚咽を噛み殺して、――館の全てに数十年かけて編み込んできた魔方陣を張った。

 ミカンの“心”をアボカドに置き換えるために必要な手順だ。

 魔法には代償が伴う。レモンは体が弾け飛びそうな激痛に耐えた。


 レモンが呪文を唱えた途端にガシャンと窓硝子が割れる音が響き、館の壁が、床が、階段がぐじゃりと潰れた。

 ぎゅうぎゅうと収縮し、しゃぼん玉が弾けるように館が消えていく。


 やがて館の建っていた場所は更地になり、そこにレモンは立っていた。


 レモンがこの魔法の発動に支払った代償は「アボカドに釣り合うほど若く美しくありたい」という望みだった。

 レモンの手や首に血管が浮き出て、老婆のような皴が刻まれていた。顔や体格は若いまま。そのアンバランスさはきっと相当に不気味な姿だろう。


 数メートル先。

 アボカドはミカンを抱きかかえて、呆然とレモンを見詰めている。アボカドの銀髪が夕焼けに照らされ、風に揺れるたびに不思議な色合いが生まれた。


「レモン……」


 名を囁いたアボカドはレモンがこれからしようとしていることをもう全て知っているようだった。


「アボカド……久しぶりだね……」


 それだけ言って、次の言葉に詰まった。


「何でッ……」


 代わりに漏れたのは涙混じりの非難。


「何で、出て行っちゃったのよ⁉ あの時っ。何であたしを捨てたのっ……? 嫌いになったの? なら、どうしてあなたは“心”を求めたの? 今も求め続けているの? あたしのためじゃないの……?

 もう……もう、結婚してって言っても、答えてくれないの……⁉」


 アボカドは悲しそうに目を伏せた。


「すまない、私には分からない。君がなぜ怒っているのか……。でも君が、私のために誰かを、いやミカンを傷つけるというのなら、それは決していけないことのような気がするんだ……」


 “心”を求め、三人もの子供の感情を奪ったアボカドが答えた。

 地面にはレモンの魔方陣が発動し続けている。

 アボカドがそれに一歩近付いた。


「……だから終わりにしてしまおう……。私たちがこんなことにならなければ互いに十数年前には人間としての寿命が尽きていたはずだ。全部無かったことにしよう。

 私はこれから君の魔力を全て奪うっ!」


 アボカドはレモンに向かい一直線に走り出した。黒ヒョウが駆け抜けるように。

 レモンの心臓、魔女としての力があるはずの部分に腕を突き立てようとする。


 しかし、そこに覆い被さった人影があった。


「……ミカンッ⁉」


 アボカドはミカンの背中に腕を突き通した。

 腕はプラスチック製の体を貫通し、ミカンの胸に嵌っていた魔法石を粉砕した。

 魔法石の黄色い欠片が夕日にきらきらと輝き、飛び散って、……いや、アボカドの体に吸収されていった。


 アボカドに“心”が戻った。

 正確にはミカンの感情が、アボカドの“心”として組み込まれ、それを失う以前のアボカドの人格が復活した。


 ミカンの体は意思を失い、ガラガラと地面に落ちた。


「あぁ……あああああっ⁉」


 アボカドが頭を抱えうずくまった。髪が以前の金髪に戻っていく。

 虚ろに俯き悲鳴とも呻きともつかない声を吐く。


 “心”を取り戻したことにより、過去の記憶が再生されているのか……。


 怯える孤児の子供を押さえつけ、感情を奪った記憶。

 恐怖に引き攣っている子供たちの顔。

 それに何も感じなかった自分。

 子供たちに笑顔を縫い付けていくおぞましい作業。

 それを何十年も繰り返したこと。

 それらがアボカドを苛む。


 レモンは倒れたミカンが一瞬、切なそうに睫毛を震わせたかに錯覚した。


「や、やったよ……。やった、成功したのよ! ねぇっ、アボカド? これであたしたち結婚でき……」


 レモンの言葉は途切れた。

 誰も受け答えてくれる相手がいなかったからだ。

 目の前には横たわるマネキンと、うずくまり震える元人間。


「あ……」


 夕日の反対にバラバラと伸びる影。

 レモンは目の前の光景が受け止めきれずに立ち尽くした。





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