4-5 マネキンと魔法石
*
百年前、“心”を失ったアボカドが行方不明になった。レモンが魔力を手に入れて数か月が経った頃だ。
店主とレモンの隙を突き、魔法道具店を抜け出してしまったらしい。
レモンはアボカドが感情を失くしてから、何を思考しているのかすら分からなくなってしまっていた。だから、突然自分を捨てて出て行った理由も分からない。
手を尽くしてアボカドを探したがこの百年近く見つけることは叶わなかった。
レモンはいつの間にか成長し、大人の女性という体つきになった。そして、若く美しい姿のまま成長は時を止めた。
『あたし、若くて美しい魔女になるの』それが幼い頃のレモンの願い。
なぜ自分がそんなことを願ったのか思い出す。
――レモンの家柄は貴族身分とは言えないまでも多少は裕福だった。
広いキッチンで簡素なドレスを着た母親が召使いの女性と向かい合って何事か相談している。
母の背中しか窺えないが重々しい気配は受け取れた。
「あの子があんなことを言い出すなんて……。もう夫はあの子の婚約者を決めてしまっているというのに、あたくし……」
「奥様、落ち着いてくださいな。大丈夫ですよぉ。お嬢様もまだ幼くていらっしゃるでしょう?
あのアボカドという子のことも、きっと大切なお友達でしょうからそんな風に言って気を引きたいのでしょう」
「そうかしら……。でもあの子はもう十一よ、そろそろ恋をしてもおかしくない年頃だわ。あたくし、あの子に良くない魔女が憑りついているような気がしてならなくなるの……」
母親はレモンが聞き耳を立てていることに気付かず話し続けた。
しんと冷えるキッチンの戸の前でレモンは立ち尽くしていた。
その時から魔女になればアボカドに恋をしていても許されるのではないかと考えるようになった。
だが、実際に魔女になった今。両親と家を失った。そして、アボカドと共に生きたいという本当の願いは叶わなくなっていた。
成長が止まり、老いのない体になったと知った時、魔法道具店を去ることに決めた。
レモンがそう切り出した時、店主の反応は「あっそ」だった。らしいと言えばらしい。
十年近くは共に暮らしたはずだが特に何の別れの挨拶も交わさなかった。
レモンは行方不明になったアボカドを見つけ出し、“心”を取り戻すことが罪滅ぼしだと思ってきた。
それを叶えるために多くの準備をしてきた。アボカドの“心”を作り直しを願うのに精一杯だった。
それが再び禁忌を犯すことになることや、そのために何が引き起こされるかについて一度として考えなかった。
――現在。
イツキとホノカに元ピエロ人形の子供たちの世話をさせている間、レモンと店主は魔法薬の保管に使っている部屋にいた。
「レモン、分かってんだろ」
疑問形じゃない。諭す口調だ。
レモンはぐうっと喉で呻いた。
「ミカンっつうあのマネキンを回収したら俺はすぐに魔法石を返してもらう。……お前が何を企んでいてもな」
「ま、待ってよ。でもアボカドに“心”を戻すにはっ……」
はぁと呆れたように、疲れたように店主が溜息を吐いた。
「お前は本気でアボカドが大切なのか?」
普段の店主とは似ても似つかない痛々しげな眼でレモンを見た。
「……アボカドが感情を取り戻した時に、それまでの自分と同じように“心”を失ったミカンを見て何を感じる? そして、そんな真似をしたのがお前だと知ったら?」
レモンが息を呑んだ。
アボカドが“心”を取り戻すということは、つまりミカンから“心”を失われるということ……。そうだ、普通に考えたらそうだろう。
だが、レモンは今まで一度も思い至らなかった。
「確認するけどさ、お前は元の感情を取り戻したアボカドと一緒に生きたいんだよな?」
店主は丁寧すぎるほどに丁寧な確認作業をして、レモンを追い詰める。
レモンは暗い顔で頷くしかない。
「なら、もしお前がミカンの“心”を奪えばアボカドはどう思うんだよ? アボカドはどんな人間だった?」
きっとあの人は罪悪感に苛まれて……。きっとアボカドは、ミカンは元々“心”を持たないマネキンだったんだから感情を奪って構わない、とは決して言わない。レモンの知る、あの人なら。
自制が効かずレモンの肩が震えた。
「……分かったんならもう馬鹿なことを考えるな。魔法は万能じゃない。この数十年で思い知ってるだろ。アボカドの“心”は諦めろ」
店主は念を押すように諭し、魔法薬の保管室を出て行った。
残されたレモンはその場にしゃがみ込んだ。
「でも……それでも、あたしはっ……」
あたしは諦めるわけにはいかない。アボカドの“心”を取り戻すために、そのためだけに生きてきた……。どんなに手を汚しても、それだけは……。
レモンはふらふらと立ち上がると、魔方陣を作りアボカドとミカンがいる館に自分の体を転移させた。
*
「ねぇイツキお兄さん! 折り紙知ってる?」
「知ってるけど鶴くらいしか折れないな」
先程からイツキはわあわあせっついてくる子供たちを捌いていた。
ホノカが折り紙の折り方をいくつか教えたらしい。
子供たちがアボカドというサーカス団の団長に拾われたのは今から数十年前のことだというから、折り紙自体見るのが初めてなのだろう。
そこに店主が戻って来た。
子供たちの甲高い笑い声に顔を顰める。
店主が口を開きかけた時、突然に部屋の照明が暗くなった。
店主の目の前の空間に赤い文字が浮かんだ。以前、魔法道具店の飼い猫が残した文字と同じだ。
何か緊急事態っぽいことはイツキにも分かった。
店主は苛立たしげに舌打ちをして、
「イツキ、ホノカ、その子供らを見てろ」
「えっどっか行くんスか?」
「まあな」
店主は素っ気なく答えると、青い光に包まれ瞬間移動していった。
イツキたちは暫く子供たちの相手をしていたが、遊び疲れたのか三人とも眠ってしまった。
実質ホノカと二人きり。さっきのこともあり割と気まずい……。
「あ、あの、先輩って大学は法学部入ったんでしたっけ? あっ、ほら前に遊園地言った時あんまりちゃんと聞けなかったから……」
「ああ、うん。憲法とか法律とかめっちゃ勉強してる」
イツキはどう受け答えるのが正しいのだろうと悩んでいた。
ホノカは高校のバスケ部の後輩の一人だったが、直接話したのは挨拶くらいだ。イツキは高校時代かなりモテたので大抵数人の女子に囲まれていた。
しかも前に、惚れ薬飲まされかけたんだよなあ。
「あー、ホノカは? 今年受験だろ?」
「あっはい」
「大変そうだよな。俺まだ一年しか経ってねえのにもう懐かしいとか思ってる」
ホノカは口元に手を当ててくすくすと笑う。可愛いと言えなくもない。
何でホノカを振ったんだっけ? ……ああ、あの頃は受験勉強でそれどころじゃなかったんだ。特に彼女が嫌いという訳ではなく単に興味がなかったのだ。
勿体ないことをした、なんて失礼すぎるようだからぐっと胸の奥に押し込んだ。
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