4-4 マネキンと魔法石


 ――現在から百年以上前。レモンとアボカドが子供の頃。


「ねぇアボカド。あたし魔女になりたいの」


 レモンが秘密を打ち明けるように囁いた。


「……どうして?」


 アボカドは聞き返す。

 アボカドは十三歳、レモンは十一歳。

 二人がいるのは路地裏の広場。そこは見つけた時から二人の遊び場だった。


「だって、魔女は異端。それならあたしが魔女になれば面倒なおうちのしきたりに縛られずに生きられるってことよね?」


「ベファーナみたいな?」


 ベファーナというのはクリスマスイブに良い子の靴下にはお菓子を悪い子の靴下には炭を入れていくと言い伝えられている魔女だ。

 アボカドは、レモンが醜い老婆に変身することを想像してムッと顔を顰めた。


「ううん、もっと若くて美しい魔女よ。そうしてアボカドと結婚する!」


「……また、その話なのかい?」


 アボカドは顔を曇らせた。

 レモンは真面目な顔になって、


「そんなこと不可能だって、また諭すの?」


 アボカドは切なく苦笑いをした。レモンがぎゅっとアボカドの手を握ってきた。アボカドは結局、拒絶できずに握り返していた……。




 幼いアボカドとレモンは「魔法道具店」と書かれた看板が下がる店にいた。

 素朴だが体裁の整った店内にレモンは若干期待外れのようだ。


 店の奥から男が一人出てきた。

 途端にアボカドとレモンは緊張した。


 この人は魔法使いなんだろうか? そもそもレモンが言うように魔法使いという存在がこの世にいるのか?


「君たち、何か用?」


 ぶっきらぼうに投げ掛けたこの店の店主らしき男。

 レモンが勇気を振り絞って一歩進み出た。


「あ、あたしを魔女にしてください」


 店主はレモンをじろりと一瞥し、


「無理だね。子供は早く家に帰ることだ」


「なっ⁉」


 レモンが怒って顔を赤くするのを、アボカドは何とか宥めようとする。


「何でよ! あなた魔法使いなんでしょ! 何でも出来るんじゃないの⁉」


「勘違いしてるな、君。魔法は万能じゃない。こっちとしてもただの人間に魔力を与えたり出来ないんでね。どんな悪事に使われるか分かったもんじゃない」


 レモンが傷ついたように口を噤んだのを見て、アボカドは思わずレモンを庇うように前に出ていた。


「レモンは魔法を悪事になんて使わない、絶対に!」


「どれだけ頼まれようが、君たちに魔法道具を売る気はないよ」


 店主は冷酷にアボカドとレモンを見下した。


「……レモン、行こう。この人にいくら言っても無駄だ」


 唇を引き結んだままレモンが頷いた。




 アボカドとレモンが魔法道具店を訪れてから数日後。

 アボカドはレモンの家から火の手が上がっていることに気付いた。アボカドは初めて血の気が引くという思いをした。


 夢中でレモンの家に飛び込む。

 煙が舞う中、普段なら固く閉じられているはずの地下室への扉が開いているのを見付けた。

 アボカドが直感に従い階段を駆け下りると、レモンが倒れ、苦しんでいた。


「レモンッ……!」


 レモンの様子がおかしい。煙を吸って倒れただけではない。

 瞳が黒く光っている。普段はあたたかなブラウンの髪と目なのに。


 アボカドは駆け寄り、レモンを抱き起す。頭の中に声が響いた。


『代償を支払え。魔力と引き換えに代償を差し出せ』


 考える前に叫んでいた。


「レモンが楽になるのなら何でも支払う! レモンを助けて!」


 直後、ごおぉぉと炎を煙がアボカドとレモンを取り囲んだ。

 アボカドの鮮やかな金髪が暗く光を反射する銀髪へと変わる。

 そこで、アボカドは意識を失った。




 次に目覚めた時、目の前に木の天井があった。

 ベッドの隣には心配そうにアボカドの顔を覘き込むレモンがいる。


 アボカドが起き上がると、扉の近くに魔法道具店の店主がいた。

 店主が不機嫌そうに説明してくれた。


 レモンの家の地下室には魔法石が封じられていたらしい。何百年も経つうちに封じられていることすら忘れ去られていった。

 その封印をレモンが解いてしまったのだ。

 レモンの家は全焼し、家にいたレモンの両親と召使い数人は皆亡くなった。


 レモンは魔女になることを望んだが、その代償としてアボカドは“心”を奪われた。アボカドのレモンを大切に思う気持ちすらも全て失った。

 レモンが本当に望んだことはアボカドとの結婚。それはもう叶わない。


 それから、身寄りのなくなったアボカドとレモンは魔法道具店で数か月を過ごした。

 レモンが一生懸命にアボカドに温かく接しても、アボカドの感情は動かない。アボカドはあの日からにこりとも笑わない人形のようになってしまった。


 店主やレモンと三人で歩いている時、酒場の外壁にサーカスの広告が張り出してあるのを見かけた。

 レモンが感心したように「へぇ~」と目を輝かせた。久々に見るレモンの無邪気な様子。


 そうか……、サーカス……。レモンを楽しませることが出来れば自分も少しは“心”を取り戻せるかもしれない。


 そして、アボカドはレモンに一言も告げず魔法道具店を去り、サーカスを始めた。

 だが、いくらピエロとして無理に笑顔を作り人を楽しませても、感情が戻ってくることはなかった。


 サーカスの公演をした帰り。

 薄汚れた衣服で蹲る少年がいた。五、六歳だろうか。元々くせ毛なのだろうが随分と髪を洗っていない蓬髪。


 声を掛けると、怯えた。

 アボカドが簡単な手品をすると、興味を引かれたように身を乗り出す。キャンディーを手渡すと、驚きに目を見張った後、満面の笑みを浮かべた。


 アボカドは、その感情が自分に欲しい……、と思った。自分の中からそれが湧き起こって来ないのなら誰かから奪うしかない。


 アボカドは少年を誘拐し、“心”を奪った。

 恐怖に顔を引き攣らせ後退る少年の髪を掴み、人間としての感情を吸い取った。

 だが、満たされない。まだ、足りない。

 少年は人形にして顔には笑顔を縫い付けることにした。


 そんなことを三回、繰り返した。

 二人の少年と一人の少女をサーカス団のピエロとして傍に置いた。

 アボカドには惨いことをしているという意識はなかった。少年たちの感情が分からなかったからだ。




 そして最近、ピエロの少女がミカンというマネキンを連れて来た。かつての自分と似た金髪。

 アボカドはミカンを自室に呼んだ。


 ミカンが窺うようにアボカドを見る。


「なぜマネキンだった君が自我を持つようになったんだい?」


「それは、レモンが一緒に生きようって、結婚しようって……」


 アボカドははっと息を呑んだ。

 かつて愛しかったはずの幼馴染の名をここで聞くことになるなんて。ただ懐かしいという感情すら湧かないことが虚しい。


 アボカドは「少しじっとしていて」と言いながらミカンのシャツのボタンを上から丁寧に外した。胸元に埋まった黄色い魔法石。


 アボカドはそれを見ただけで、レモンがやろうとしていることを察してしまった。

 ミカンのプラスチック製の肌をすっと撫でる。


 レモンはアボカドの“心”を取り戻そうとしている。正確にはミカンの“心”を利用し、アボカドの“心”を作り直そうとしている。どんな禁忌を犯しても……。


 不意に、胸が詰まったように苦しくなった。

 アボカドがかつて少年から奪ったはずの“心”の一部が失われるのを感じた。経験したことのない激しい発作に胸を抑える。


「大丈夫?」


 アボカドが、ミカンが心配そうにアボカドの手に触れたことに気付いたのは、声を掛けられて数秒後のことだった。


 夕日に映えるミカンの金色の瞳と髪。

 恐る恐るというようにミカンはアボカドの銀髪を撫でた。背の高いアボカドの頭に苦労して手を伸ばす、優しいマネキン……。


 その発作はアボカドが今日のサーカス団の公演を終え、館に戻ってきた時に再来した。


 心臓を誰かに捕まれているような激痛が走った。息が出来ない。床に倒れ込む。手足が痙攣しているのが見えた。痛みは全身に広がり、感電したように痺れる。


 百年かけて奪い集めて来た“心”が全て消えていく。

 元の持ち主に戻ったのだと分かった。アボカドがサークルのピエロ人形に変えてしまった少女、少年たちが人間に戻ったのだ。

 戻したのは、おそらく、


「レモン……、君なのかい……」


 レモンはミカンを使い、アボカドに人としての“心”を取り戻させようとしている。ではなぜ、アボカドがこれまで必死に集めて来た“心”を取り上げるのか。


「団長?」


 扉の向こうからノックがあった。ミカンの声だ。

 アボカドは返事が出来ない。

 扉が開いた。ミカンはアボカドの姿を認めると、ぱっと駆け寄った。


「アボカド団長っ、大丈夫っ……?」


 ミカンは心配そうに瞳を潤ませ、うつ伏せのアボカドの背を不器用に擦り始めた。


「ミカン、君は何でそんなに深刻そうな顔をするんだい……?」


「だ、だって、辛いでしょう、団長。どうすれば苦しいのが治まるの? 教えて。僕は何をすればいい?」


 ミカンの様子は“心”を失ってすぐレモンがアボカドを気遣って振る舞う姿とだぶった。


 ……ああ、この子には“心”があるのだなあ。


 はたと思った。

 この子はどうなるのだろう。もしレモンがしようとしていることが成功し、アボカドに感情が戻ったとして、ミカンは“心”を失い、無機物に戻るのだろうか。それとも自分と同じように“心”を失ったままの永遠を彷徨うのだろうか……。


 トクンと何かがアボカドの中で震えた。

 この子の“心”を奪いたくない、と思った。これまで散々惨いやり方で身寄りのない子供たちの感情を奪ってきたくせに。


「……そのまま、もう少しだけ……、撫でていてくれるかい……?」


 アボカドの頼みに真剣な表情でミカンがこくんと頷いた。

 アボカドが起き上がれるようになるまでの数時間、ミカンはアボカドの背を撫で続けてくれた。





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