4-3 マネキンと魔法石


 イツキたちはサーカス団が泊まっているらしい館の前に来ていた。

 そこは夕方の階層であるらしい。夕陽が辺りを不気味に照らしている。空を見上げると一つ上の階層の煉瓦造りの通りが見えたり消えたりしている。


 大きな鉄製の扉に吊り下がっている呼鈴を、店主が乱暴な手つきで鳴らした。


「っていいんスか、こんな真正面から行って⁉ 相手、誘拐犯でしょ⁉」


 イツキが突っ込むのをよそに、扉が開いた。

 五、六歳の見た目の少年の人形が首を傾げて立っている。くるくるしたくせ毛がキューピットを連想させる。


「どちら様ですかー?」


「マネキンとうちの猫を返してもらいに来た」


「んー?」


 少年はますます首を傾げて、というかぐるんと首が逆さまになった。

 イツキがぎょっと後退る。

 首がぶらぶらと揺れたところで、少年は思い至ったように「あっミカンのことだね!」と声を上げた。


「でも、ごめんねー。ミカンはもう僕たちの仲間だから返せないよぉ」


「そうかよ。んじゃあ、うちの猫だけ返し……」


「「ちょっと待ったぁ!」」


 イツキとレモンが同時に叫ぶ。店主が鬱陶しそうに睨む。


「あたしのミカンをこいつらに奪われたままにしておけるわけないでしょ⁉」


「あの魔法石? って大事なんじゃないんスか⁉ 前回行きたくもない遊園地行かされたみたいにまた俺一人駆り出されるの嫌っスよ!」


 店主が騒ぐイツキたちを横目に見ながらチッと一つ舌打ちをして、いきなり人形の少年を攻撃した。


 店主は野球ボールサイズの球体を空中にばら撒くと、少年のいる方に腕を振り下ろす。

 赤い球体が少年の身体に高速で向かうが、少年は軽やかに躱した。まるでサーカスだ。いや、サーカスか。


 球体は館の床や壁に当たると小爆発を起こす。


「ってぇ⁉ 何やってんスか⁉」


 イツキが怒鳴ると、「あの人形を捕まえるんだよ」と平然と返される。


「訳分かんねぇ……!」


 イツキがぼやく中、レモンがそれまで見たことのない険しい表情をして魔方陣を展開していた。


「外に網を張ったわ! イツキ君、そのピエロ人形を館からおびき出して!」


「はあっ⁉」


「イツキ、さっさとやれって」


 魔法使い二人から急かされて、イツキは仕方なく少年に向かい走る。

 店主の攻撃で数歩イツキに近付いた少年の手を思い切り掴み、館から引っ張り出した。


「こっ、これでいいんスか⁉」


「まあ上出来か、イツキにしては」


 淡白に言いながら赤い球体を手の中に戻す店主。

 手のひらに吸い込まれるように球体が消えると、建物の壊れた箇所や抉れた地面が何事もなかったかのように元通りになっていた。


 それと同時にレモンが「囲め」と唱え、魔方陣が発動した。

 人形の少年を捕らえる。

 魔方陣の中に閉じ込められた少年は眠るようにふっと気を失った。


「よーし。こいつ連れて一旦逃げるかー」


 店主が何の緊張感も感じられない様子でやれやれと首を振った。


「というか、結局何がどうなってこうなったんスか⁉」


 イツキが思いっきり怒鳴った。




 イツキたちはレモンの家に戻った。

 先程から店主は旅行鞄から次々と取り出した粉やら何かの実を磨り潰していた。


「で、どういうことかの説明は?」


 館から帰ってから、イツキはずっとせっついているが、店主にはぐらかされ続けている。


「まあ黙って見てろよ。……完成だ」


 店主が持つ器には透明な液体が。

 それを何の躊躇もなく、横たわるくせ毛が特徴の人形の少年の体にぶっかけた。


「えええっ⁉ 何やってんスか⁉」


 じわじわと液体が少年の体に浸み込むと、少年の体が生身の人間の肌に変わった。 

 少年は一瞬、苦しそうに眉を寄せたが、すぐにパチパチと瞬きをして目を開けた。


「ここは……?」


 意識を取り戻した少年はひどく怯えていた。先程とは全く性格が違っている。


 イツキが苦労して事情を訊き出すと、彼はサーカス団に誘拐されてから数十年ピエロ人形をしていたらしい。アボカドというサーカス団の団長に“心”を奪われて。


 アボカドというその人物は身寄りのない子供や行き場のない動物を誘拐し、“心”を奪い、操り、サーカスの見世物にしてきた、という。


 話を訊き出す間、レモンが段々と青ざめた顔になっていった。


「アボカド……、あの人が……あたしのせいで……」


 店主が苛立った様子で髪を搔き上げた。その仕草にどこか自責の念が滲んだ。


 イツキは「知り合いなんスか?」という台詞を飲み込んだ。この場は黙った方がいいような気がしたのだ。


 店主が空気を切り替えるように、息を吐いた。


「イツキ、子供の世話をタダでしてくれそうな知り合いいるか? つーか、ホノカでいいか」


「何なんスか、いきなり。てゆーか、事あるごとにホノカ呼び出させるのやめてくんない」


 ホノカというのは以前イツキがふった後輩だ。


「部外者にいちいち事情説明すんの面倒だし」


 という店主の横暴でホノカを人間界から召喚し、「何で私、呼ばれたんですか⁉ えっ、ここどこですか⁉」と困惑する声を無視し、元ピエロ人形の少年と留守番させて、イツキと魔法使い二人はミカンとブチ猫を取り返すべく再び出掛けた。




 館からおびき出した人形の少年と少女。その二人に追いかけられているイツキ。

 短髪のピエロの少年は直径が人の身長ほどもある大玉に乗っている。黒いリボンで長い髪を結わえた少女は猛獣を操る鞭を持っている。


 現役大学生(バスケサークル所属)のイツキは全速力で走っているが、少年と少女は楽しそうにワイワイ追いかけてくる。イツキは後ろから放たれる攻撃を躱すのがやっとだ。


 遂に壁際に追い詰められた。裏路地と言うのか空き地と言うのか迷う無人のスペース。


「もう逃げられないよ、お兄さん! 観念して僕らと一緒に行こうよ!」


「大丈夫。アボカド団長がお兄さんを私たちと同じピエロ人形にしてくれるよ! そうしたらミカンと一緒の仲間になれる!」


 ピエロ人形たちは弾むような声で笑う。と同時に、イツキに一斉に向かってくる魔力の籠った攻撃。


 だが、もう少しだ。イツキは必死に足を踏ん張り、ピエロたちを見据える。


 彼らが一歩足を踏み出した瞬間、罠にかかった。

 裏路地一帯の地面に魔方陣が浮かび上がり彼らの体をしゅるるっと拘束した。


「って、何で俺まで⁉」


 ついでに近くにいたイツキまで拘束した。店主が微塵も悪びれずに倒れたイツキを見下ろす。


「あー、悪い。レモンがミスったな」


 しかも、人のせい。




 再びレモンの家に戻って来たイツキたち。


 ホノカと元人形の少年がいる奥の部屋から歌声と少年のはしゃぎ声が聞こえてきた。歌は「みかんの花咲く丘」、子供の頃によく歌った手遊び歌だ。


 みぃかんーのはーなが、咲ぁいてーいるー。


 歌を少しずつ覚えてきたらしい、少年が少々拙く、けれど楽しそうに口遊む。


「イツキ君?」


 とんっと肩を叩かれた。


「何スか、レモンさん」


「イツキ君はぁ、あのホノカちゃんって子が好きなんだぁ?」


 相当意地悪く笑った魔女に、イツキは呆れながら返す。


「違いますよ。何言ってんスか」


 店主が先程と同様に完成させた薬を人形の少年と少女にぶっかけた。

 液体がジワリと浸み込むと、二人の体が人間のそれに変わった。血の気が通うとでもいうように。


 さっきまで歌を歌っていたホノカたちが、イツキたちが帰ったことに気付いて顔を出した。


「あれ、何やってるんですか? あの子たちって……?」


 ホノカの問いをレモンが遮って、


「イツキ君ってぇ、ホノカちゃんが好きなのかしら? ね、ホノカちゃんはどーなの?」


 と興味津々に身を乗り出した。


 ピシッと場の空気が強張る。

 店主は自分は一切関係ないですという顔でしらっとしている。レモンは突然変わった空気に「えっ、何?」と戸惑っている。気まずい。


「あの私、私以前、イツキ先輩に告って、……もうちゃんと振られているので。それはもう終わったことなので……。すみません……」


「えっそうなのっ⁉ ごめんっ……」


 レモンが謝り、最悪の空気が漂い掛けたタイミングで、先程の少年と少女が目を覚ました。多くの人に囲まれているからか困惑し怯えている。

 ホノカが二人に近付いた。


「大丈夫だよ。何も怖くないから。びっくりしちゃったよね……」


 そのうちに子供たちは段々と落ち着いてきた。

 いつの間にか三人の元ピエロ人形とホノカが随分仲良くなっている。


「子供らさぁ、もう面倒だからホノカに引き取らせればよくない?」


ホノカを遠目に眺めていた店主がぼそりと言って、


「いや、ダメっしょ⁉」


 全力でイツキは突っ込んだ。何だか叫んでばかりな気がする……。





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