4-2 マネキンと魔法石
*
レモンはふわふわと宙に浮かぶクッションに腰掛けたマネキンに詰め寄っていた。
「あなた名前を付けましょう! あたしが付けてもいい?」
「あっ、うん……」
マネキンは着せられた小綺麗なシャツの裾を不安げに引っ張っている。
「ミカンでいい?」
「あ、うん」
「あたしと結婚してくれる?」
マネキン改めミカンはコテンと首を傾げて「結婚……?」と呟いた。
「そう! あたしと一緒に生きてくれる? って急にいっぱい言っちゃってごめんね」
レモンがミカンを窺うと、鮮やかな金髪を揺らしてくすっと笑った。
「レモン……は優しい人、だね」
「じゃあ、あたしのそばに一生いてくれる?」
こくんとミカンは頷いた。
レモンはミカンのプラスチック製の皮膚をすっと撫でた。
静かで優しい夜の気配が、レモンの後ろめたさを覆い隠してくれていた。
“心”を失ってしまった想い人――アボカドに新しい魂を入れ直す。
そのために必要な媒介がこのマネキンだ。ミカンに自我を入れた。あとはレモンの記憶に残っている限りのアボカドの思考パターンを組み込むのだ。
それは禁止されている魔法でもあった。
「そうすればもう一度あたしと一緒にいてくれる。あたしと結婚してくれるよね……」
ミカンがすやすやと寝息を立て始めた。
レモンはミカンの身体をふわりと魔法で浮かせてベッドに寝かせた。
魔法道具店で飼われているブチ柄の子猫も今はミカンの隣に体を丸ませる。
「ふう……」
少し息を吐いたつもりがそれは重たい溜息になった。
そして、レモンが寝室を立ち去った後、窓から忍び込む人影があった。
サーカス団のピエロの一人、人形の少女だった。長い髪を黒いリボンで結わえている。
「あっ見つけた! ねぇあなた、私たちの仲間でしょ?」
「なかま……?」
眠そうに目を擦ってミカンが起き上がる。
少女がミカンの手を引いて窓際に誘った。
「どこに行くの?」とミカンが足踏みすると、
「楽しいところよ、私たちのサーカス団!」
「ニャンッ」とミカンに警告するようにブチ猫が鳴いたが、引き止められなさそうだ。
ブチ猫は首を傾げてから、もう一度「ニャァン」ひと鳴きした。
その声がぼんやりと魔力を宿した赤い文字になって空中に残った。
『人形の少女。ミカン。誘拐。サーカス団』
ブチ猫は尻尾を翻し、少女とミカンを追った。
*
魔法道具店の店主が時計か方位磁針か分からない魔法道具を取り出し、胸の前に掲げた。
「あ、それ前に見たことある。瞬間移動の奴っしょ?」
店主がイツキの視線を払い退けるようにしっしっと手を振った。
途端にボアッとした青い光が店主とイツキの体を包んで……。
イツキが目を開けると、童話に出てきそうな木製の家の中だった。
窓の外は真っ暗。夜のようだ。ちなみに魔法使いの国は階層ごとに時間帯が異なるらしい。朝の階層はずっと朝、夜の階層はずっと夜というように。
「なっちょっと! こんなとこまで追ってきたの⁉」
泡を食ったレモンが目の前にいた。
イツキたちが瞬間移動してきたここはレモンの家らしい。
店主が不機嫌さを微塵も隠さず、
「当たり前だ。うちの猫返せっての。あと魔法石も」
レモンがぐっと言葉に詰まり、目を泳がせた。
「何かあったんスか?」とイツキが切り込むが、
「それは……あの……」
中々話し出さないレモンに、店主が業を煮やした。
「さっさと話した方がいいんじゃない? 俺を怒らせたくなけりゃ」
流石にイツキは内心ヒヤヒヤする。レモンは観念したように目を閉じ、店主の前に手を翳した。
すっと空中に赤い文字が浮かぶ。『人形の少女。ミカン。誘拐。サーカス団』
「これ……あんたんとこの猫が残してってくれて……」
店主がこの事態を想定していたようにあっさり身を翻した。
「イツキ、行くぞ」
「待って、あたしも行く。こうなったのあたしのせいだから……」
「当たり前だ。お前のせいだよ」
冷徹に言い放つ店主を「ちょっと」とイツキが咎める。
「それ今言っても意味ねえっしょ。あのマネキンと猫を助けに行くんスよね?
……サーカス団ってさっき見た、あのサーカスなんスか?」
「……まあ、十中八九そうだろうな……」
何か引っかかりを覚える呟き方をした店主は、ちらりとレモンに目をやった。
*
アボカドが“心”を失ってから百年以上が経った。自分が元々は人間だったことが信じられないくらいだ。
自分がレモンに魔女の力を与えるためにしたことは……。
アボカドはピエロの仮面を放り投げて椅子に倒れ込んだ。
毒々しい夕焼けがアボカドの影を濃く伸ばす。鏡に映るアボカドの目はどこまでも空虚だった。
唐突に扉の向こうから少女の声がした。
「アボカド団長ー。いるー?」
サーカス団のピエロ人形の一人だ。
「いるよ。……入っておいで」
開いた扉の先に立っていたのは少女ともう一人。
鮮やかな金髪に小綺麗な服を着たマネキンだ。
彼もしくは彼女は戸惑い気味にアボカドを見詰めた。
「……君は?」
「ミカンだよ! 私たちの仲間!」
代わりに少女が答える。笑顔を縫い付けられた顔で。
「そうか……。歓迎するよ」
アボカドは微笑みかけたつもりだが、ミカンは怯んだように目を伏せた。反対に、足元でブチ柄の子猫が見定めるようにアボカドを見上げた。
アボカドはすっと笑顔を消し、少女にミカンの部屋を用意するよう指示を出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます