5-2 透明人間と包帯


「はい! 海老とカリフラワーと妖精の羽を煮込んだハヤシライスね」


 レモンが得意気に差し出した料理に、アボカドは仰け反った。


「随分……斬新だね」


 元魔女のレモンはトレードマークのトンガリ帽子をもう被っていない。魔力も全て失った。

 レモンのあたたかなブラウンの髪が本人の性格を表すようにあちこちにぴょこんと跳ねている。


 アボカドは困った顔で眉を下げて、窓から差し込む朝の白い光に透けた自身の短い金髪をクシャッと握る。

 一度、天井を向いてから覚悟を決めてハヤシライスをぱくっと食べた。


 そこに声が掛かる。


「レモン! 僕が作るのに」


 申し訳なさそうにキッチンから顔を覗かせたのはミカンだ。


 命を与えられたマネキンであるミカンのプラスチック製の肌が覆う胸元には赤い魔法石が埋まっている。中性的などこか幼い顔立ち。

 現在は罪を犯したレモンとアボカドの監視役として二人の側にいる……のだが。


「いいのよぉ」


 レモンはニッコリ笑って愛おしげにミカンの頭を撫でた。

 ミカンはレモンにされるがまま、アボカドとよく似た肩までの鮮やかな金髪をさらりと嬉しそうに揺らした。


 そのまま料理の続きをしようと連れ立ってキッチンに戻るレモンとミカン。


 アボカドはそっとレモンだけを引き留めた。

 レモンが不思議そうに首を傾げるのも構わず、彼女の手の甲に労わるように口づけた。

 消え入るような声でアボカドは呟く。


「……愛しているよ」


 レモンははっと針で刺されたかのように眼を眇めた。彼女はあまりにぎこちなく口角を上げる。


「知ってるわよ」


 声を震わせまいとおどけた様子で、なんでもないことだと言い聞かせるように、ポーズだけの伸びをした。


 レモンの顔や体格は若く均衡のとれた印象を保っていながら、服から見える首や手には醜い老婆のような皴が刻まれていた。

 そのバランスの悪さにきっと誰もが後ろ指を指し不気味な姿だと罵るような。


 レモンは逃げるようにキッチンに消えた。

 アボカドは悲しそうに微笑し、食事を再開した。




 レモン、アボカド、ミカンの三人が生活を共にするこの家は魔法界、人間界、その他のあらゆる世界から隔離された場所だった。


 一ミリも動かない朝日が、変わらず家を照らしている。

 家のすぐ横には大木と言って差し支えない立派な木が青々とした緑を茂らせている。その周囲は何もない草原だ。草原を進むとどの方角の向かおうとも必ず森に辿り着く。その森に向こう側などない。


 その森までがこの箱庭の全てだ。しかし、この箱庭の『世界の果て』に辿り着くことは出来ないようになっている。


 三人以外の生き物はここにはいない。入ったらそれきり一方通行の箱庭。この場所で三人は永遠の時を過ごす。

 それが犯してきた罪への償いだ。


 レモンは百年前から望んでいた、アボカドとの何気ない日々を手に入れたことに喜ぶ自分の首を掴んで思い切り爪を立てた。



「なあ、家に帰りたいんだけど」


 イツキはもう何度目かも分からない控え目な希望を口にした。


 ホノカは迷う素振りを微塵も見せず、


「ダメです。人魚の涙を手に入れるまでは」


 ホノカは奥の扉を指差す。ホノカの部屋着は意外にもシンプルなシャツとジーンズだ。

 イツキはなんとなくホノカはもっとひらひらのスカートを好んで着るものだと思っていた。

 高校時代には制服か部活のユニフォームしか見たことがなかったから新鮮と言えば新鮮な感じがする。


「あそこがお風呂と洗面所です。夜になって両親が寝てから入って下さいね」


 イツキは「はあ」と気の無い返事をする。


 先程ホノカが唐突に家の中を案内し始めたのはもしかしなくてもイツキに、今日ここに泊まれと言っているのだろう。

 イツキは再度、げんなりした気持ちでホノカに進言する。


「ならせめて一旦、俺ん家に帰って風呂に……」


「ダメです」


 食い気味に否定したホノカはすぐに申し訳なさそうに笑った。



 夜。両親と、リビングのソファーにいるイツキが寝静まった後、ホノカは自室のベッドから緩慢に起き出した。


 灯りを点けるまでもなく室内にある物がくっきり識別できていた。

 鏡にホノカ自身の姿が映る。

 あたかも夜行性の動物のように黄色く光る自分の目をそっと覆った。


 音もなく歩き、机の引き出しを開けカッターナイフを取り出す。

 刃の先を親指の爪の間に滑り込ませた。

 ピリッとした痛みの後、血の滴が表面張力を保ったまま膨れてすーっと指を伝った。


 フローリングの床に滴り落ちる前にホノカは親指に口をつける。唇から浸み込んでくる血を少しずつ少しずつ舐めていく。


 血が止まると傷口を検分し絆創膏ばんそうこうを貼る。

 毎回「ちょっとさかむけした」という言い訳で通用する傷しか作らないように気を付けているが……。

 無意識に溜息が漏れていた。


「早く人魚の涙、見つけないと……」



 翌日、イツキとホノカは魔法道具店に来ていた。

 何故か扉が開かず、さっきからドンドンとノックし続けているのに何の反応もない。


 昨日ホノカは人魚の涙を探しているのだとイツキに告げた。魔法使いなら人魚の涙を当然持っている、とも。

 それならば魔法道具店に行って店主に話せばすぐにホノカの望みを叶え、イツキも透明人間状態から元に戻れると甘く考えていた。


 昨日一日はホノカが高校に行っていたので休日の今日漸くここに来ると「定休日」や「閉店」の看板もなしに店は閉まっているようだ。


 イツキが何とか窓から入れないかとかカーテンの隙間から中を覗けないかとか試行錯誤していたところにブチ柄の子猫が出てきた――魔法道具店の扉をすり抜けて。


「うお」とイツキは思わず飛び退く。

「わっ」と声を上げてホノカも固まっていた。


「この猫、たまにあちこちすり抜けて来るから」


 イツキがごもごもと口を開く。


「そ、そうなんですね。知らなかったのでびっくりしました」


「俺は何回見てもびっくりするけど」


 イツキはしゃがんで猫に手招きする。

 この猫が人間並みに賢く、こちらの意図を正確に理解していることは知っていた。


 ブチ猫は素直に近寄ってきて何? と問うように小首を傾げた。シャランと涼やかな鈴音が鳴る。


「かわいいっ」と呟いたホノカは置いといて、


「なあ、飼い主に俺が来たこと伝えてくんないかな?」


 ブチ猫は承諾の印にしっぽをくいくいと振って、再び扉をすり抜けて行った。


 一分後、カランカランと喫茶店のようなドアベルと共に魔法道具店の扉が内側から開いた。


「何? 寝てたんだけど」


 いつも通り不機嫌そうな店主が現れた。

 イツキとホノカを交互に見て「あー、そーゆーことね」と呟いて――扉を閉めようとした。


「ちょっ、ちょっ、ちょっ。待ってくださいよ! あんた今、俺の状態分かった上でスルーしようとしたろ⁉」


 イツキが全力で扉を押し止めながら叫ぶ。店主は面倒臭そうに顔を顰めた。


 ホノカは一歩前に出て店主を見上げる。


「あの、人魚の涙を売ってください」


 店主は少し意外そうに目を見開いて、根負けしたように背を向けた。


「……入れよ」




 店主はホノカの頼みをあっさり切り捨てた。


「無理。今うち営業停止中だから」


「は?」


 店主は机に肘をついて猫じゃらしで手遊びをしている。ブチ猫は仕方なくそれに付き合っている様子だ。


「まあ、あれだ。この前レモンとアボカドの事件でごたごたしたから、謹慎中? 魔法道具、勝手に売っちゃダメってさ」


「いや、ふざけんなよ。どうなるんスか俺⁉」


 思わずソファから立ち上がるイツキ。


「さあ?」


 …………。

 イツキは積もりに積もってきた苛立ちを懸命に静めて、


「いつ謹慎解けるんスか?」


「無期限。このまま店潰れるかも」


「はあ⁉」


 語気を荒げたイツキを宥めるようにホノカが身を乗り出す。


「じゃあ、お知り合いの魔法使いさんを紹介して下さい」


「やだよ、面倒臭い。レモンのとこにでも行けば?」


 イツキの堪忍袋もそろそろ切れかけて、店主の胸倉を掴み上げようとした、その腕をホノカがぱっと掴む。


「イツキ先輩、目を瞑って下さい」


「は、いきなり何」


 緊張気味にホノカがイツキの頬に手を添える。


「ちゃんと瞑らないと目玉が腐ります」


 イツキはこの一言に、自身の疑問も全て放り投げて間髪入れず目を瞑った。





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