3-3 鬼と義手


 約四十年前――。


「文恵! 早く儂に今日のお話を聞かせておくれ」


 無邪気に腕を絡ませてくる美しい若い女、織夢姫冴おりむきさ

 文恵はこの不思議な少女を妹のように思っていた。


 文恵は、はいはいと笑って今日の出来事を話し出した。


 お見合いがあった。両親から彦久保ひこくぼ家の長男、柊星しゅうせいという名の若者を紹介された。

 従姉が恋愛結婚をして、それへの憧れがあったものだから乗り気がしなかった。


 お見合いの席で両親同士がにこやかに話す中、柊星はずっと押し黙っていて、文恵は気難しそうな人だと感じた。

「後は若い二人で」という決まり文句と共に両親が退場した後、柊星はお茶を啜ってから「……お恥ずかしいです」と仏頂面のまま肩を窄めた。彦久保の御両親がしきりに文恵を褒めていた間ずっと気恥ずかしかったようだ。


 見かけによらず可愛らしい人、と思わず笑ってしまって、はたと年上の男の人に可愛らしいなんてと自分を恥じた。けれど胸が熱く居心地が良かった。


 鼻の先に天道虫でも止まっているようにじぃと姫冴は聞き入っていた。


「……文恵はその男に恋をしたの?」


「それは、その、どうかしら……」と口籠らせても頬にかあぁと熱が集まった。


 姫冴は文恵を水晶のような瞳で少し寂しそうに見上げた。




 数日の後、――文恵は髪を結わえてもらいながら、興味津々に化粧道具を覘く姫冴に問う。


「ねえ姫冴。どうして白無垢の衣装では頭に白い布を当てるか知ってる?」


「知らぬ。どうして?」


「女の人はね、怒ると鬼になってしまうという言い伝えがあるの。だからこれは角隠しなのよ。卑しい鬼女になりませんようにってね」


 姫冴の目にさあぁと翳りが差した。


「どうしたの、姫冴……」


 文恵が言い終えないうちに姫冴は立ち上がり、くるりと後ろを向いた。

 珍しく硬い声音。


「もう文恵には会わぬ。嫌気が差した」


「まあそんな……。どうして……?」


「あんな辛気臭そうな男の元に嫁ぐことがあるか。儂と話す時が一番楽しいと言うたのに。おまけに今日は鬼が卑しいなどと言う……。そんな文恵は嫌いよ……」


 赤ん坊がぐずり泣くのに似ていた。文恵はそっと後ろから姫冴の肩を抱いた。


「……ねえ、嘘ではないのよ。本当に姫冴と話をするのは一番楽しいの。私が嫁いだ後だってあなたはずっと私の大切な友人よ」


「嫌よ、嫁がないで。ずっと儂と一緒に居れば良い……」


 嫌気が差したと言ったのは強がりで、一緒に居て欲しいが本音だ。

 文恵は嫌々と首を振る姫冴の美しい黒髪を宥めるようにそっと梳いてやった。


 花嫁衣装の文恵よりも、何も着飾らない姫冴の方が何倍も美しいと知ったけれど、憎らしい気は一切起こらなかった。


 日差しが温かくなり始めた春の挙式はつつがなく執り行われた。



 ――姫冴が文恵の嫁ぎ先の屋敷を突き止めるのに数週間後もかかってしまった。

 歓喜に瞳を潤ませ息を吐いた。


「やっと、やっと見つけたぞ、文恵……」


 立派な屋敷の窓から文恵の姿を見つけ、駆け寄る。


 文恵は口元に手を当ててクスクスと笑っていた。

 ……隣には仏頂面の彦久保が紅茶を啜っている。仲睦まじい若夫婦そのものだ。


 ひゅうっと冷たい風が吹き込んだような気がした。

 

 文恵、文恵……。そんなに楽しそうにその男と話すのか。あなたはもう儂のことを忘れたか。それとももう儂は要らぬか。卑しい鬼は要らぬのか……。


 悲しみと憎悪と嫉妬と寂しさに荒れ狂う胸元をぎゅっと掴んで、姫冴は屋敷に背を向けた。




 それから数年後、文恵と再会した。


 田んぼを突っ切る形で伸びた道路。姫冴は電柱に凭れ掛かり所在無さげに足をぶらぶらとさせていた。


「姫冴……。姫冴なの⁉」


 商店街の方から通り掛かったのは文恵だった。

 買い物籠を下げ、すっかり若奥さんの容貌になっている。


 感極まったように文恵は覗き込んでくるが、姫冴はするりと目を逸らす。


「今までどうしていたの?」


 心配そうに質問を重ねる文恵。


「ねえ、姫冴。今夜うちに来ない? 柊星さんのご友人を呼んで小さなお食事会をするの。あ、姫冴は人が大勢いるのは苦手よね……。それならこれから一緒に帰りましょう? お食事会が始まるまでお話ししたいの」


 文恵の言葉が耳元を素通りして気付くと文恵に手を引かれ、彦久保家の屋敷に向かっていた。


 文恵が食事の支度をする傍ら、会わなかった数年の時間を埋めるようにお喋りをした。

 文恵は姫冴の姿が変わりないことを不思議がったが、それ以上に再会を喜んだ。


 彦久保家の食事会が終わる頃には降り始めた雨が激しくなっていた。


「今日は私の部屋にこっそりお泊りすればいいわ。ね、きっとそれがいいわよ」


 文恵に押し切られる形で姫冴は頷いた。

 それが過ちだった。

 


 ――現代。

 イツキが包み込んできた光の眩しさに覆っていた手を退けると、そこは遊園地のお化け屋敷の中ではなくなっていた。すぐ傍に店主と彦久保と姫冴がいる。


 ここどこ、という疑問を解消するべく辺りを見回すと、驚いた顔のホノカが立っていた。


「せ、先輩⁉ どこから湧いてきたんですか⁉」


 湧いてきたって……ゴキブリみたいに言うなよ、と突っ込もうとして景色が女子の一人部屋のように変わっているのに気が付いた。というか、女子の一人部屋だった。


「どういうことなんスか?」


 イツキがジトっと責めるように訊くと、店主は面倒そうに髪を搔き上げた。


「さっきホノカに電話したろ。そん時にホノカのいる座標に現在地を繋げたんだよ」


 店主は腰に下げている時計か方位磁針か判別のつかない道具を指差している。

 それも魔法道具の一種なのだろう。瞬間移動みたいなもんかな、とイツキは取り敢えず納得した。


「あ、あのっ! おじいさん、血っ、血がっ……」


 ホノカが彦久保の傷を指差してパニックになりかける。


「……もう傷はほとんど塞がっておる」


 彦久保が渋く答え、ホノカを宥める。

 店主は気絶したままの姫冴をちらっと見やってから彦久保に向き直った。


「なあ、じいさん。鬼退治は失敗したがあんたには選択肢が三つある。

 一つ目、このまま鬼を封印する。この場合、鬼を封印したものはじいさんの手元で管理してもらう。それなりにリスクはある。

 二つ目、うちで一旦鬼を引き取って人間界以外の地に拘束する。かなり危険度の高い人食い鬼だから場所は限られるだろうな。

 三つ目、鬼が襲う対象をじいさん一人に固定化する。これが多分、一番あんたの負担が大きい。ある程度鬼の力を弱体化して鬼があんた以外の人間を喰えないようにする。ぶっちゃけそうやって固定化すれば、じいさんが死んだらあの鬼も死ぬ。だから鬼はあんたを殺せない」


 彦久保は無言でカーペットに横たわる姫冴を見つめていたが、やがて苦々しく言った。


「……三つ目を選択しよう。頼めるかね?」


 店主はひょいと肩を竦めて肯定すると何やら作業を始めた。


 覗き込むイツキを店主が邪魔そうにしっしっと手で払うので、イツキとホノカは部屋の隅に追いやられる。

 というか、ここホノカの部屋だよな、今更だけど。

 神妙な顔で隣に正座する後輩の顔を見て、イツキは溜息を吐いた。





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