3-4 鬼と義手

 遊園地の騒動から数日後。

 窓の向きなのか何なのか朝日が差し込むことなく薄暗い魔法道具店、店内。


 イツキが入店するのと入れ違いに、根っこを足のように変形させた肉食植物が頭の三つある犬と散歩に出掛けた。


 店主がメモ書きを片手で弄んでいた。

 興味本位でぱっとイツキがそれを取り上げた。


『織夢姫冴を殺していただきたい。依頼料は二十万が上限。連絡先……』


 彦久保が最初に魔法道具店を訪れた時に置いて行ったメモだとイツキは気付く。


「結局、あのじいさんの依頼は義手を作ってくれ、じゃなく鬼を殺してくれだったんスね。じゃあ、あんたも最初からそのつもりで俺を一緒に行かせたんだ」


「まあ、否定しねえよ」


「始めっからあのお化け屋敷に仕掛けをしてたんでしょ。

 ……何でホノカまで呼んだんスか?」


「何でが多いなあ、お前は。何となくだよ」


 店主をちょっと睨んでイツキはそれ以上の問い掛けを諦めた。

 店主は悪びれる気配もなくキュッキュッとボルトを回している。


「……誰も幸せにならないんだよなぁ……結局……」


「は? 何言ってんの。その年で幸せがどうとか言ってんじゃねえよ」


 イツキは「ぐっ」と呻いて持ち堪える。


「お、俺、法学部だし。幸せになるにはどういう法律が必要かとかそういうことを考えたいんスよ! 悪いか!

 ……というか、全然関係ないんスけど『不老の魔法使い』って何スか? あんたは彦久保のじいさんよりずっと年上なんスよね?」


「……うるせえよ」


 店主が目に見えて不機嫌になった。続いて少し気まずくなったのか、あからさまに話題を逸らす。


「あー。幸せかどうかつったらあの二人、彦久保のじいさんと鬼はそうなんじゃねえの? 

 ……互いがこの世で最も憎んでいる相手はお互いで、この世で最も愛している相手は互いだ。互いのためだけに心を砕く。誰も割り込めないどころか干渉もできない。大袈裟に言えばどこまでも完結した関係、だからな」


 イツキは理由もなくゾッと鳥肌が立つのを感じた。

 その様子に、店主が意地悪く身を乗り出す。


「イツキ今お前、そんなの普通じゃないー、おかしいーって言おうと思っただろ?」


 この人ほんと性格悪いな、と呆れながら少し考えてみる。


「……いや、そうは思わないかも。てか多分、人間の常識や価値観に当てはめちゃダメなんじゃないんスか?」


 何だ残念、とでも言いたげに店主はフンと鼻を鳴らした。


 ……ほんと勝手だなこの人。


 完璧な人間関係というのは有り得ない、とイツキは思っている。

 時にすれ違ったり喧嘩したり、喧嘩にすらならなかったり、相手はそれほど自分を大切には思ってないことに気付いたり、親友だと思える相手が鬱陶しくなったり、片思いをしたり。

 それがきっと当たり前のことなんだ。


 一切の綻びがない完結した関係。それ自体はとても歪んでいる。


 イツキは先程から店主がせっせと調節し始めたものに目をやった。


 ぱっと見には本物かと見間違うリアルな肘から下の左腕の義手が、魔法書やらで散らかる机の上に載っていた。



 彦久保の妻と左腕が鬼に喰われてから数か月が経った頃のこと。


 織夢姫冴と名乗る鬼女は屋敷に住み付き、いやむしろ彦久保に憑りつき、馴れ馴れしく彦久保の名を呼ぶ。まるで妹のようにニヤニヤ笑い纏わりつくのだ。


 だが今朝から姿が見当たらない。

 この屋敷は一人ではあまりに広すぎる。

 妻の部屋に立ち入ると、姫冴が妻のベッドで寝ていた。あどけなくも美しい少女の寝顔。


 生まれたのは、殺意。


 以前は護身用の小刀を妻に持たせていた。箪笥の二段目に入っているそれを、物音を立てぬよう注意を払って引き抜く。

 殺せるか殺せないかなど考えなかった。ただ憎悪に駆られていた。


 そして。


「……文恵っ……」


 姫冴の漏らした微かな呟き。

 文恵、妻の名だ。瞼は閉じているので寝言だろう。

 迷子の子供が母親を探すように白く細い指が動く。


 彦久保は小刀を持つ右腕を振り下ろそうとして、――出来なかった。


 地元の歌なの、と妻が照れながら歌ってくれた手遊び歌。

 姫冴は時折、彦久保の後を憑いて回るのに飽きると、聞き覚えのあるその歌を小さく口遊んだ。


 妻を喰った憎い憎い鬼女。そのふとした仕草に愛しい妻の面影を見てしまう。

 姫冴に感じるのは嫌悪、懐かしさ、怨憎、愛おしさ、その全て。


 ――それから、妻と過ごしたよりもずっと長い時を鬼女と連れ添ってきた。

 三十年以上もの月日が流れた今に、あの日姫冴を殺さなくて良かったのだと思う。それなりの手順を踏まなくては鬼を殺すことは不可能だと今では理解しているが。


 鬼を、姫冴を殺してしまえばこの復讐が終わる。妻を喪った痛みを過去のものにしてしまうことが恐ろしい。


 魔法道具店に立ち寄って代金を支払うと、ついでにとばかりに店主が放って寄こした左腕の義手。

 それを付けてみると、まるで以前からその腕が己のものであったようにしっくりきた。まだ動かすとぎこちなく力加減が難しいがそのうちに慣れるだろう、と店主が言っていた。

 義手など作ってしまえば今回魔法道具店から請求され支払った額を優に超えるはずだ。


 彦久保はふっと口の端に穏やかな笑みを浮かべて、屋敷へ帰る道をゆっくりと歩き出した。



 鬼の力を弱体化されていて身体が怠い。姫冴は屋敷のリビングテーブルに腕を投げ出し突っ伏していた。

 角や鬼火を隠し外を出歩く体力もなく、彦久保の帰りを一人待たなくてはならない。


 思い出すのは文恵を殺したあの夜。


 文恵との楽しいお喋りの合間、ふと考えたのだ。

 明日の朝になればもう儂はここを出ていかねばならぬ。文恵との楽しい時間は終わって離れ離れになってしまう。


 ああ嫌だ。嫌だ……。

 ……そうだ。……喰って、喰ってしまおう……。文恵を儂の中に閉じ込めて、どこにも行けぬようにしてしまえば良い。そうしたら、ずっとずっと文恵と一緒にいられる……。


「ねえ、姫冴」


 そう優しく文恵が笑い掛けてきた時、姫冴は躊躇わず文恵の喉元に牙を突き立てた。そのまま少し力を込めただけで首の骨が折れた。

 ベッドに倒れた文恵の顔には困惑、驚愕、怯え……。


 文恵が助けを求めてか伸ばした手がさらりと一束、姫冴の美しい黒髪を梳いた。


 そして、それでお終いだった。文恵はぴくりとも動かなくなってしまった。

 姫冴は文恵を喰った。寂しいが増していっただけだった。鬼の本能のまま彦久保を襲いながら、心は置いてきぼりだった。




 ギィとリビングの戸が開き、彦久保が入ってきた。


 姫冴はいつの間にかうたた寝をしていたらしい。彦久保との間に基本挨拶はない。無論ただいまもお帰りもない。


 彦久保柊星が憎かった。

 姫冴から文恵を奪った男。苦しめてやろうと思った。この屋敷に居付き大切なものを壊してやろうと思っていた。


 共に暮らすうち彦久保は無口な男だが、時折発する言葉に文恵の気配を帯びていることを悟った。心の底から文恵を愛しているのだ。

 文恵が彦久保に嫁ぐことを選んだ理由を段々と知っていく。


 文恵を喪ってもなお想い続ける彦久保にいつしか魅せられていた。

 恋でもなく愛でもない、ひっそりと熱い感情。けれど、憎い。狂おしいほどに憎い。


 姫冴は彦久保の左腕に気付いた。よくできた義手だ。


 彦久保はテーブルから体を起こした姫冴の肩に手を置いた。彦久保から触れてきたのはおそらく初めてのことだった。


「……お前が私を看取ってくれるのだろうね、姫冴」


 ほんの一言に、姫冴は全身が焼き焦がれる思いがした。


 鬼が襲う対象を強制的に固定化する呪いが姫冴に埋め込まれたことにはとっくに勘付いていた。それは一見、彦久保が姫冴の行動を制限し支配している。

 しかし、逆なのだ。その呪いがある限り彦久保の人生の全てを姫冴の手の内に縛り付けることが出来る。それが残り十数年であったとしても。


 その思いをひた隠し、姫冴は妖艶に冷笑してみせた。


「儂を殺そうとしたくせに?」


 微塵も動揺を見せることなく、彦久保は言葉を返す。


「お前は私の妻と腕を喰ったろう」


 交わした会話はそれだけ。

 朝の光が屋敷の庭の水仙を照らした。純白の花弁にはしみ一つなかった。





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