3-2 鬼と義手
「で、この状況を俺に説明してほしいんスけど! 何なんスか、この絶対に楽しめなさそーなメンバー!」
携帯の向こうの店主にイツキが不満をぶつける。
「ははは、まあ頑張れ。これまでのお助け料チャラにしてやるからさ」と無責任に返され通話を切られた。
「どうしたの、イツキ。儂らと行くのが嫌というんじゃなかろう?」
ククッと笑った口から鋭い牙を覗かせる。
織夢姫冴がイツキの肩に手を置いた。鋭い爪が喉元に近付いて、慌ててイツキは「い、いや……」と首を横に振った。
『遊園地』の文字が可愛らしくレタリングされたアーケードを
早くも胃痛にげんなりしているイツキに、険しい表情をぴたりと貼り付けた彦久保老人、ニタニタと笑って成り行きを楽しんでいる鬼女の姫冴。それに加え、
「あの、何で私ここに呼ばれたんですか?」
不安げにイツキの袖を引いたのはバスケ部の後輩だったホノカだ。ホノカは数か月前にイツキに告白したが、イツキは特にホノカが好きでもなかったのでこっぴどく振ったのだ。
そのくせに今回、店主の指示で遊園地に来ている。何させたいんだあの人。
こうなっては仕方ないのでイツキが先導して遊園地を巡る。
「えっと、どれに乗る?」
と話を振っても、彦久保は無言というか無反応。
ホノカは遠慮がちに目を伏せてどうしたらいいのか分からない様子。
姫冴は皆の困惑の顔を楽しんでいる。女子中学生の姿でコトンと可愛らしく首を傾げるのだから手に負えない。
無難なものをイツキが選んで幾つかアトラクションを回ったが、全く盛り上がらない。そのうち十一時を過ぎ、混み合う前に席を確保しようとレストランの窓際に四人で陣取ることになった。
「じゃあ俺、飲み物買ってくるんで」
逃げるようにその場を離れるイツキ。
その隙に、と姫冴がずいっとホノカに顔を寄せた。獲物を見つけたように目を輝かせている。
「ねえ、あなた。イツキを慕っているのかしら?」
「えっ、あ、どうして……」
「儂に分からぬわけがなかろう。ああしかし、イツキはあなたに僅かも気がないのねぇ」
図星をつかれてホノカはぐっと俯く。
イツキが三年で部活を引退してからずっと話をしていない。
今日、こんな形ではあるがイツキと遊園地に来ていることに始めのうちは胸が高鳴った。
でも結局、イツキの立ち振る舞いからホノカの想いに応えてくれることなど有り得ないと再確認してしまった。
「儂があなたのその報われない想いを喰ってやろう。一人の男に恋い焦がれて泣くことなどもうないように」
えっと顔を上げたホノカの手を取りそっと撫でる。
ホノカはふっと何もかもがどうでもよくなり、全身の力が抜けていった。
姫冴は尖った爪の先でホノカの首筋を撫で、手を掛けようとして、
「何やってんスかっ⁉」
戻ってきたイツキが姫冴の腕をぐいっと押し退けた。
「何考えてんスかっ、ホノカをどうするつもりだったんだ⁉」
姫冴を怒鳴りつけんばかりのイツキの剣幕に「あら残念」と姫冴は肩を竦めてみせた。
イツキはその場で店主に電話を掛ける。
「……ああ、分かった。じゃあホノカは帰らせていいってことで」
電話を切ると、「えっと、何があったのかよく分からないんですけど……」と困惑するホノカに言いつけて強制的に帰らせた。
彦久保が「鬼、喰うなら私にしろ」と
イツキは今更かもしれないが、姫冴に悟られぬ程度に警戒度を高めた。
はあぁ、多分人生で一番楽しくない遊園地なんだけど、とイツキは心の中でぼやいた。
*
妻が生きていた頃に戻れたら、そしてその時に永遠に留まっていられたらどんなに良いだろう。だが、時間は止まってはくれない。
ずっと昔、妻の葬式が済んだ後、広くなった屋敷の居間に彦久保はただ座っていた。
美しい鬼女が背後からするりと腕を回してきた。
「ねえ柊星。儂を見てくれぬのか」
彦久保に媚びるように、服従させるように甘く囁く。
自分は妻や左腕と共に、より多くのものを喪ったと気付いた。
この女に決して気を許すものか。昏い憎悪を滾らせ、姫冴の腕に右手の爪を食い込ませた。
*
お化け屋敷に本物の鬼が来ていいの、という疑問をぐるぐる抱えながら、イツキは暗い通路を進む。
前を歩く彦久保老人と鬼女の姫冴は澄ました顔で両脇から飛び出してくる作り物のお化けをスルーしていく。
「うお! びびったぁー……」とリアクションするのはイツキだけ。
と、そこで彦久保がぴたりと立ち止まった。何となくつられてイツキも足を止める。
姫冴は気付かず一人進む。井戸の縁に姫冴が腰掛けた。
異変が起こったのはその時だった。
「……ガアアアァッ――‼」
姫冴が獣のような悲鳴を上げた。
天ぷらの衣のような白いふわふわしたものが全身に絡みついている。
女子中学生を装っていた姿が変貌していく。瞳が猫のように細くなり、黒い禍々しい角が一本生える。
天ぷらの衣がシューシューと音を立てて姫冴の体を溶かしていく。それを振り払おうと髪を振り乱すが、体を溶かす速度は増していく。
「な、何が起こって……」
イツキが後退ると、背後から、
「手っ取り早く言やぁ、鬼退治だな」
いつもと同じくけだるげに店主が肩を竦めた。
「えっ何でここに⁉」
店主はそれには答えず「おい! 彦久保のじいさん!」と声を張った。
「……これではもたん」
溶けていく姫冴から視線を外さず、彦久保が一層顔を顰める。
店主が焦りの窺える舌打ちを一つした。
「おい、イツキ! 鬼に喰われたくなかったら下がってろ!」
「え、ちょっ状況説明っ……!」
イツキの前に身を乗り出した店主が御札のような紙を取り出し、呪文を唱えると、天ぷらの衣が店主の手のひらから次々と溢れ出した。が、
「ギャアアアッ‼ ガアアァッ‼」
体の半分以上をドロドロに溶かしながらも姫冴はぐあんっと顔を上げた。
突き刺すような二つの目。蒼い鬼火が揺らぐ。
「……喰って、喰ってやるッ! 儂がみんなみんな喰らってやるぞッ……!」
パッと飛び上がった姫冴が向かう先は、
「イツキッ! 避けろ!」
無理だろ! と声に出す間もなく、姫冴が襲い掛かってくる。
その時。
イツキと姫冴の間に彦久保が立ち塞がった。姫冴が彦久保の肩に喰らいつく。
イツキ達四人を残して無人になったお化け屋敷内にぐじゃっ! と骨の砕ける音が響いた。
姫冴が彦久保に覆い被さるようにして二人共が倒れた。その一瞬を狙って、店主が姫冴の首に細い針を刺した。
ガクリと姫冴が力を抜き、動かなくなる。
まさか、と顔色を変えたイツキに、
「一時的に意識を奪っただけだっての」
と店主は言いながら肩から胸にかけて血を流す彦久保に近付いた。
「こりゃ鬼退治失敗だなあ」
「……全くだ」
店主が苦しそうに息を吐く彦久保の手当てを始めたので、イツキも慌てて上着を脱ぎ彦久保の肩に当てる。
「これ使って! てか、救急車は⁉」
「いや、だいぶ鬼の力が感染してる。病院に行ったって治せねぇよ」
「じゃあ、どうするんスか⁉」
彦久保の傷口に薬らしき液体を塗ってから、至って冷静に指示を出す。
「よし、イツキは彦久保のじいさんをかつげ。俺は鬼を連れて行く」
「ど、どこに?」
「……あー。まずホノカに電話しろ」
何で、どうしてと重ねるイツキに、いいからさっさとしろと電話を掛けさせる。
「で、ホノカに何て言えばいい……って⁉」
次の瞬間にはボァとした青い光が四人の体を伝って包み込んだ。
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