3-1 鬼と義手

 やけに激しい雨が窓硝子を叩く。

 彦久保は悪い予感が過ぎり寝付けない。屋敷を見回ることにする。

 妻の寝室の前を通り掛かると中から箪笥を開けては閉める、キーバタンキーバタンという音がこもって聞こえた。


「どうかしたのか?」


 妻の返事がない。

 嫌な動悸を飲み込み、扉を開けた。


 知らない若い女がいた。洋服箪笥を開けて中身を弄っている。

 女は妻の服を身に付けていた。猫のように瞳孔が細く、頭には一本の角が生えている。

 女は彦久保の姿を認めると、裂けんばかりに口の端を吊り上げて笑った。この世のものではない美しさだった。


「鬼っ……」


 彦久保は後退ろうとしてある疑問が沸き上がった。


 妻は……? 妻は今どこに……。


 ゆうらりと立ち上がった鬼女の服にはべっとりと血がこびりついている。鬼女は彦久保の頬に愛おしげに手を添えた。


「あなた、美味しそうねぇ……?」



 魔法道具店を訪れた老人は彦久保柊星ひこくぼしゅうせいと名乗った。中学生くらいの少女を連れている。


 彦久保は淀んだ目で「……義手を作っていただけるか」と店主に切り出した。


「何で?」


 と、いつも通りに店主が彦久保に訊き返す。

 彦久保の上着の左肘から下がぺしゃんと潰れていた。


「不老の魔法使い。あんたには見れば分かるだろうが、私が腕を喪ったのは事故などではない。……おい、青年」


 彦久保に青年、と呼び止められた森野イツキは「はい?」と最中もなかを頬張っていた手を止めた。イツキは魔法道具店に出入りしている高校三年生の青年だ。


 イツキの隣には少女が足をぶらぶらさせて座っている。

 柔らかい最中の皮を突っついたり、中の餡子を舐めてみたり、彦久保の話が終わるのを大人しく待っている。ようにイツキには見えているが……。


 その少女を一瞥して彦久保が続ける。


「その女は私の妻と左腕を喰った鬼だ。気を抜いて喰われても知らんぞ」


 イツキがぎょっと慄くと、少女が、いや鬼女がククク……と笑った。


 瞳がキュッと細まり黒い角が一本生える。周囲に蒼い鬼火が揺らめく。紅く染まる唇。魅惑的に舌なめずりをする。

 背格好は変わらないはずなのに先程、女子中学生を装っていたあどけなさは微塵もない。


「ああ酷い。柊星、わしには織夢姫冴おりむきさという名があるというに」


 鬼女、姫冴が彦久保の名前を親しげに呼び嘆く。いつの間に移動したのか姫冴は彦久保の右腕に自分の腕を絡めていた。


「……あーそうゆうことね。分かった。作ってやってもいいよ、義手」


 店主が面倒そうに仕事を引き受けた。


 帰り際に彦久保がメモ書きを伏せていった。「私の連絡先と今回支払える額を書きしたためておく」ということらしい。


 高齢にしてはしっかりとした足取りで歩く彦久保の後ろを、姫冴がひたひたと笑いながら憑いていく。何も知らない人々からは気難しそうな老人と無邪気な孫に見えるのだろう。




 二人が店を出た後、イツキが店主に尋ねた。


「何で今回の依頼は普通に受けたんスか?」


「んー、説明がさあ……」


「面倒臭いんスね」


 店主の台詞を引き取ったイツキは呆れ返った。いつものことだ。


 イツキがやっとの事で店主から訊き出したことをまとめると。

 彦久保柊星の左腕は三十年以上前に鬼である織夢姫冴に喰われている。

 稀にその傷口から鬼の力が感染ってしまうことがある。そうなってしまえば普通の義手では合わない。どんなに調節して高性能の義手でも一日とせず壊れてしまうはずだ。

 彦久保はその状態で片腕のままこれまで生きてきたのだろう。だから専用の義手を作って欲しいということのようだ。


 イツキは鬼の姿を思い出して身震いをしそうになった。もう少しで喰われていたかもしれない。


 なにより恐ろしいと感じたのは声だった。鈴の鳴るような子供の声かと思えば、老婆のように嗄れている。

 それはそのまま鬼という存在の掴みどころのなさを表しているようだった。正体の分からないものほど怖いものはない、の法則だ。


「さっきの鬼……は彦久保のじいさんに憑りついてんのかな?」


「だろうな。……というか、何でイツキは毎日のようにここに通ってんの?」


「あ、言い忘れてた。俺、大学に合格しました、法学部。すぐそこの大学なんでいつでもここに来れます」


「来なくていいし」


 あっさりイツキを突き放した店主は彦久保が置いて行ったメモ書きに目を落とす。暫く眺めて顔を上げると、今度はイツキに目を留めた。


「いや、イツキ。お前ちょっと使えるかもしんない」


 珍しく笑みを浮かべた店主の顔には、面倒事を全部イツキに押し付けてやれと書かれていた。気がした。





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