2-3 手紙と棺桶
*
手紙がトモカの意図したようにヒロシとトモヤの心に届いたことを伝えた後に店主が尋ねた。
「君は最初からトモヤが人間じゃないってこと分かってて養育してたの?」
トモカは微笑みを湛え、首肯した。
トモヤを初めて腕に抱いた記憶が蘇る。あの子が小さな指でトモカの頬に触れた。温かく愛おしい……。
この子をちゃんと守り抜くのだと誓った。
「トモヤを本当のご両親から引き取った時あの子はまだ生まれて間もなかったので、私と血が繋がっていないことは知らないと思います……。
私は自分の子供がいたことがないので、どう育てたらいいのか分からなくて、ずっと手探り状態で子育てをしていて。そんな時にヒロシさんと出会って。
結婚する前に戸籍を確認したら、バツイチってことになってました。びっくりですよね」
その時を思い出したのか、おかしそうにそっと笑うトモカ。
「まあ、トモヤの実の両親ってのはドワーフだろ? 人間の何倍も手先が器用な奴らなら、その程度の情報操作くらい欠伸しながらでも出来るだろうな」
店主がトモカの目を覗き込むようにくるりと体の向きを変えた。
「ところで君、トモヤに殺されたって自覚あんの?」
トモカはぴくっと肩を強張らせてから、やがてゆっくりと力を抜いた。
「……はい、それはそうです。トモヤがドワーフの中でも身近な人に不幸を呼び寄せる特性を持った種族の一派だってことくらい知っていてあの子を育てていましたから」
品定めをするように冷酷にトモカを観察している店主を、トモカもひたと見返す。
「ドワーフの何百年という長い寿命の中で、たった六年しかあの子のそばにはいられませんでしたが、私は何も後悔していません」
「それ究極のエゴだって、自分で分かってんの?」
トモカは切なそうに、ただ絶対にぶれない芯を持った瞳のまま微笑んだ。
「とっくの昔に。あの人に、ヒロシさんにトモヤを押し付けることになってもまだ私はトモヤに人間の中で生きてほしい。
トモヤがいつかヒロシさんにも不幸を運んでくるかもしれない……。それでも、それを撥ね退けるくらいに強くなってほしいんです」
トモカの覚悟を汲み取ってか店主は口を噤んだ。
ドワーフは本来、人間ほど感情を表に出すことはない。必要がないからだ。だが、人間の中で生きるということはドワーフが持ち得ない人間の感情表現のメカニズムを収得しなくてはならないということだ。
トモヤがドワーフにしては感情豊かなのもトモカが身をもって教え込んできたことなのだろう。
「あの、一つお礼を言いたくて。ヒロシさんとトモヤに手紙を書かせてくれてありがとうございました。ちゃんと思いを言葉にしないと、残しておかないと伝わらないこともあるんだなって気付きました。
あの子が何年も経ってあの手紙を読み返した時に私たちに愛されていることを知ってほしかった。
そして今よりもっと多くの人に出会って愛されてほしい、そう願っていることが届いてくれたらと思うんです。私の自己満足かもしれないんですけど」
店主は「へえ」と気のない返事をしながら鼻の頭を少し掻いた。
「俺は自分の仕事をしただけだからお礼言われる筋合いないけどね」
トモカはふふっと笑って、
「あ、そうだ! いつか何十年、何百年先になるかも分かりませんが、あの子に本当のご両親のことを伝えたいんです。だからまた手紙を書くためにここに来ます」
トモカのこの世に存在できる時間が間もなく終わる。
「……不老の魔法使いさん、その時はよろしくお願いしますね」
最後にいたずらっぽく笑って、トモカはふわりと消えた。
*
「で、これが死者を蘇らせる魔法道具? 見た目ただの棺桶だな」
しげしげと棺桶を覗き込むイツキを「触んなよー」と店主が注意する。
「そんで何で今回はトモカさんを生き返らせたんスか? ホノカの時は完全却下だったのに」
「ああ」と答えながら説明が面倒そうに顔を顰める店主。
「トモヤが人間でない以上、情緒不安定の状態で放置したら何が起こるか分かったもんじゃねえからな。かと言って、回収・保護しようとすれば、種族的にドワーフなわけで手続き面倒だし」
「手続き?」
数学の公式集をパラパラ捲っていたイツキが顔を上げる。
「ドワーフの国は元々大国の従属国だったんだが、ここ数百年独立しようって動きが盛んでね。だから国境すら定まっていないような地域にドワーフを帰そうとしたら、何十年かかけて交渉しなきゃならなくなる」
「ふーん……。けど不平等感ハンパないっスね。この魔法道具店は客を選り好みする。助ける定義に、基準に引っ掛かった人だけを助ける」
「何か文句でも?」
悪びれる様子も見せず店主は頬杖をついた。
「今回トモヤが人間で、ままならない事情とか? あー例えば何か精神疾患やらを抱えている子供で結果あのヒロシっておっさんが依頼してきたとすると、その場合あんたは助けないんでしょ?」
「ああ、助けないよ。それこそ児童相談所か精神科に行くように勧めるけど?」
「でも魔法道具使ってその子の病気を治すことは可能なわけでしょ? どんなに複雑な病気でも。じゃ、それは不平等……」
「勘違いすんなよ。俺たち魔法使いってのは魔法を使わせないことが仕事なんだ。
魔法に関わらない案件の場合、救いの手を伸ばせるのは魔法使いじゃない。行政機関だろ。
今の時代はもう全部が全部を助けられる万能さが魔法じゃないし、魔法使いもそこまで自惚れちゃいないんだよ、残念ながら」
店主は言い切ってから、喋り過ぎたと決まり悪そうに肩を竦めた。
「……じゃあ、あんたは手を伸ばせるところに全力で手を伸ばすってことなんスね……。トモカさんを生き返らせたのも反則ギリッギリだったみたいだし」
イツキが考え込む様子を見せると、店主が足を組んで手を広げた。詐欺師みたいなポーズだ。
「ああ、そうだぞ。俺が途轍もなく良い人に見えてきたでしょ?」
「自分で言う⁉」
「まあこの町が今の俺の管轄になっちゃってる以上、何か問題があったら俺が怒られるんだよねえ」
「怒られるとかあるんだ……。ていうか早速本音漏れてるし」
げんなりとしたイツキを見て店主がぽんと手を打った。
「そうだった。金払ってくんない? 前回と合わせて五千円でいいよ」
「は?」
「いや、トモカさんに払ってって言ったら幽霊なのでお金持ってないですって笑顔で断られて、ヒロシっておっさんに言ったらおたくそもそも何もやってないでしょって怒鳴られて、トモヤに言ったらきょとんとされた。だからもうイツキでいいよ。金払って」
「嫌です」
イツキが断固拒否の姿勢を貫くと店主は「えー」と言いつつ引き下がった。
イツキは棚に常備されていた蒸しパンを食い尽くしてから「じゃあ俺、受験勉強あるんで」と店を出て行った。
取り残された店主は、
「そういえば何であいつ当たり前のように店に出入りしてんの……。ま、いっか」
先程のイツキとの会話を思い出す。手続きが面倒だということをイツキには話したがそれは半分嘘だった。
トモヤの生まれた地域は激しい紛争地帯だと耳に入っている。
今やトモヤと血のつながった両親の生存も定かでない。そういった状況下でトモカに子供を預けたドワーフの両親の動機も分からないではない。特に日本は治安の良いことこの上ないのだから。
トモヤが生きていける場所は人間界にしかなく、帰ることのできる家は荒井家しかないのだ。つまりは人間として生きる以外の選択肢は無いに等しい。きっと楽ではないだろう、人の中で生きることは。
トモヤの実の両親が、トモカがそれぞれに託したものの重さを背に感じながら、不老の魔法使いは窓に凭れた。
まだもう少しこの町にいることになるな。
ブチ柄の子猫が「ニャー」と肩に飛び乗ってきた。そこからさらに飛躍し、壁をすり抜けていった。どうやら雨の中散歩に出かけたようだ。
細い糸のような雨の雫は静かに静かに町を濡らした。それはこの世界の美しい部分だけを切り取ってきた偽物のように切ない光景だった。
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