その7 対決①

 重い扉を押して室内なかに入ると、クラリネットの音色が、古びたジャズを奏でていた。

 ベニィ・グッドマン。その位は分かった。

曲名は・・・・何だか良く解らない。

 大体俺はジャズは嫌いじゃないが、それほど詳しいわけでもない。

 カウンターの奥には白髪頭の肥った蝶ネクタイ姿のバーテンが一人でグラスを磨いていた。

 先客は三人、つまりは飛び込みである俺を含めても、店内には五人しかいない。

 俺はカウンターの壁際のとっつきに腰を下ろし、

『バーボン、ストレートで』と、俺の前に立った白髪頭のバーテンに言い、シナモンスティックを咥えた。

『お客さん、あの札が見えないかね?』

 胡散臭そうな顔つきで、バーテンが顎をしゃくり、壁にでかでかと書かれてある。

”NO SMOKING 禁煙”のプレートを示した。

 俺は何も言わずに、わざと音を立てて端を噛みきった。

『煙草はとうの昔に止めてるんだ。』

『チっ』

 バーテンは舌打ちをし、黙ってグラスを俺の前に置く。

 俺がグラスに口を付けた時、ドアベルが音を立てた。

『今日は、マスター!』

 真っ赤なフード付きのコートを着た女性が、ハスキーな声と共に入ってきた。

 直ぐにコートを脱いで、ドアの傍らの壁に取り付けてある洋服掛けにぶら下がっているハンガーにかける。

 セミロングの髪に、うりざね顔、色白の肌にぱっちりした黒目がちの目。

 間違いない。

 年はとっているが、石倉純子だ。

『ああ、ジュンかい?どうだ?成果は?』

『ばっちりよ。鼻の下の長いジジイを二人たぶらかしてさ。現金とロレックスを頂いたわ。勿論上手く逃げ出してやったわよ。』


 彼女は楽しそうに口を開けて笑い、肩から下げていた緑色のショルダーバッグから、四角く黒い箱を取り出し、蓋を開く。”エリーゼの為に”の音が響き、そこからワニ皮の紙入れと金色の、お世辞にも趣味の良くないデザインのロレックスを見せびらかした。

『大層な成果じゃないか?おごれよ。なあ?』

 先客の一人が野卑な声を出した。

『いいわよ。何でも好きなもの頼んで。』

 彼女がまた笑う。

 俺はグラスを干すと立ち上がり、彼女の側に近づいた。

『石倉純子さんですね?』

 彼女が俺の方を訝し気な目で睨む。

 と、後ろにいた別の男が、やにわに立ち上がり、懐から拳銃を抜こうとした。

 しかし、俺の方がコンマ一秒は早かった。

 弾けるような銃声と、きな臭い火薬の匂いが漂う。

 俺がM1917を懐に収めた時には、男は片手を押えて床の上をのたうち回っていた。

 他の連中も一瞬腰を浮かしかけた。

 俺はもう一度懐に手を入れ、今度は認可証ライセンスとバッジのホルダーを引っ張り出し、彼女たちの方に突き付ける。


『俺は乾宗十郎いぬいそうじゅうろう、私立探偵だ。警官おまわりでも殺し屋でもない。だがな、昨今は俺達みたいな職業かぎょうだって、拳銃を持っていいことになってるんだ。そっちが先に抜いたから、つまりは正当防衛ってやつだ。こういう場合110番に電話してもいいんだが、そうされると、あんたらが困るだろう。黙って俺の話を聞くか、それとも警察ポリの旦那にお任せするか、どっちか決めろよ』

 俺の言葉に、連中は互いを見合わせ、元通り席に着いた。

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