その六【お泊まり】
「瑞希、起きろ。瑞希」
「んん〜……?」
あれから一時間程。俺は腿の上ですやすや眠る
可愛い寝顔を見たまま手触りのいい髪を、出来ればずっと撫でていたかったのだけど。
……しかし、歯を磨いたり等しなければならない為、今起こしているところだ。
それに、それを飛ばしてベッドに連れていくとしたら、情けないところだけど俺の筋力で瑞希を持ち上げられるかどうか……
そんなことを考えながら「瑞希」と軽く彼女の肩を叩くと、「んんぅ……」と瑞希はまだ眠そうに唸る。
「……んぅ?」
──……しゅーくん……?
顔を上に向けて、瑞希が俺を見上げる。
その表情は力が抜けきっていて、瞳は焦点が合わずにとろんとしていた。
その顔は、またもや俺が初めて見るものだ。とても可愛い、と思った。
……それで、焦点は合わずとも瑞希は俺のことは認識しているようで。
「ん……」
「………」
しかし寝ぼけているのか、瑞希は首を曲げて俺の腹に顔を埋め、背中に腕を回した。
押し付けてくる顔の感触はなんだか柔らかくて、とても暖かく感じた。
それを見て、感じて。俺は黙り込んでしまっているけど、顔は猛烈に熱くなっていた。
「……ふぅ。さっきから思っていたんだけど、僕たちのことが見えてないのかな?」
テーブルで読書をしていた
「まあ、微笑ましいですしいいじゃないですか。さすがにあれだとは思いますけどね」
ペラリとページを捲った
40を過ぎた夫婦がそう仲睦まじく共に読書をしているのも、どうかとは思うけれど……
……でも恥ずかしくはあったので、俺は抱きつかれながら別の意味で顔を熱くする。
「……瑞希」
さすがにいたたまれなくなってきた為、俺はまた瑞希の肩を叩いて覚醒へと導く。
すると瑞希は「んえ?」と零して、抱きつきながら首を曲げて俺を見上げてきた。
「………」
「………」
──……え?
俺と瑞希は黙って視線を合わせる。
俺を抱きつきながら見上げる瑞希と、それを少し顔を熱くしながら見下ろす俺。
少しフリーズしていた瑞希は、暫くするとあわあわと慌て初めた。
「しゅーくん!?」
「あ、まて」
「ひぇっ!?」
しかし慌てるあまり、瑞希はソファから落ちそうになったため俺は肩を押さえる。
すると、瑞希は体を硬直させた。
「落ち着いて起き上がるんだ。低くても、落下というのは侮れないからな」
俺は先程の感触を感じつつも、冷静にそう諭してから瑞希の肩を離す。
すると瑞希は「う、うん」と弱々しく頷き、落ち着いて起き上がった。
「!」
瑞希が起きあがった瞬間、腿に痺れが走ってきて少し驚く。
長時間瑞希が俺の腿の上に頭を乗せていたためで、別に驚くことではない。その証拠が、痺れとして残っているだけだ。
「……じゃあ、そろそろ歯を磨くか」
そんなことを考えながら、俺は洗面所の方面を指さしながら瑞希を促した。
「そ、そうだね……」
──落ち着いてるなあ……
……困惑気味な瑞希はそう思っているようだけど、落ち着いてなど、いないのだけどな。
□
二人で歯を磨き、瑞希はスキンケアをしてから瑞希の部屋へとやってきた。
「……結構、昔と変わったんだな」
よく良く考えれば久しぶりの瑞希の部屋で、少し緊張しながらも俺はそう零した。
「そうかな?」
「ああ……」
昔の彼女の部屋は、色以外は今の俺と似て本棚くらいしか飾らない部屋だった。
けれど今は女の子らしいぬいぐるみを所々に飾り、綺麗に片付いている。
女の子らしい部屋だ、と思った。それに、なんだかフローラルな香りが漂っている。
……そして、そんなフローラルな香りに、瑞希自身の心地よい匂いが混ざっていた。
その匂いに俺は、幸せなような、居心地の悪いようなよく分からない感覚を覚える。
「……いい部屋だとおもう」
「そ、そう?ありがとう……」
そして俺は、ベッドの方へ視線を向ける。
隅に置かれた白いベッドは、雫さんの言う通りセミダブルサイズだった。
そこには、他の家具のようにぬいぐるみが飾られていた。
あのベッドには、瑞希の匂いが詰まっているのだろう。想像するだけで顔が熱くなる。
……うん?
そこで俺は、ベッドのバッグボードの上に飾られた、昔に撮られた写真を見つける。
その写真は……12年前、瑞希と俺が初めて会った日に撮った、一緒に映っている写真。
……俺が部屋に掛けてある写真と、全く同じ写真だった。
「……一ヶ月前に思っていたみたいだけど、あの写真って瑞希も飾ってたんだな」
復縁してから初めて瑞希が家に来た日のことを思い出しながら、俺がそう言った。
すると瑞希が、「うん」と頷いた。
──大切な思い出だもん……
「……そうだな。……俺たちが、初めて会った日の、初めて一緒に撮った写真だからな」
「……うん」
そして俺たちは無意識にか、お互いの顔を見合わせた。
彼女の表情はどこかとろんとしていて、潤んだヘーゼルカラーの瞳はやはり美しい。
小さく開かれた薄い唇も瑞々しく輝いていて、とても蠱惑的だった。
それを見て俺は彼女に近づき、その小さな肩を優しく掴んだ。
瑞希は反抗せず。寧ろ、俺に委ねるように目を瞑って……唇を、尖らせる。
俺も瞼を少しずつ閉ざしながら、ゆっくらと彼女の顔へと近づいていく。
「……
彼女のその瑞々しい唇を自分の唇で塞ぐと、聞こえないほどの水が弾ける音がした。
とても短いライトキス。一瞬触れた彼女の唇は濡れていて、柔らかい。
俺は肩を掴んだまま瑞希から顔を離し、再び現れたその潤んだ瞳をじっと見つめる。
──しゅーくん……
その潤んだ瞳は、とてつもない愛情と期待が込められているように感じる。
視界の端に映る彼女の頬も、これまた美しく情熱的に赤くなっている。
その顔を見て、俺はまたもや彼女の唇を奪っていた。
「……
今度は彼女の唇を味わうように彼女の唇を咥える……バードキスだ。
その瑞希だけの柔らかさ、瑞希だけの味を……俺は無心で堪能する。
目を瞑っている状態では、もはや五感の全てが彼女に奪われてしまっている。
とても長く、それでいてとても短く感じるキスを味わうと、俺は彼女から顔を離した。
彼女は顔全体を赤くして、俺が顔を離すと名残惜しそうに眉を下げていた。
──しゅーくん……
……これ以上は、理性が危ないことは自分でも分かっている。
だけど俺は、彼女のその寂しそうな色の瞳を見て……応えられない訳がなかった。
「……
再び、微かに聞こえた唇を咥える呻き。
またもや瞳を閉じ、自分の五感全てを彼女に委ね、捧げる。それがとても、心地いい。
少し彼女の様子が気になって、俺はとても重く感じる瞼をこじ開ける。
彼女は俺を信じきったような顔で、瞼を閉じ、全てを俺に委ねてくれていた。
それを見てとても彼女が愛しく感じた俺は、委ねるようにまた瞼を閉じた。
先程より、あからさまに長い時間……いや、短いのか?わからないな……
それくらいの間、唇同士を合わせていた。
「……寝ようか」
俺が肩を離してそう微笑むと、彼女は「うん」と微笑み返して頷いてくれた。
そして俺たちは、瑞希のベッドへと体を入れて、掛け布団を肩まで掛ける。
瑞希が電灯を豆電球にして、暗くなった部屋の中俺は大人しく瞼を閉じる。
実を言うと今は
……布団の中は、今できたのか元々あったのか分からない瑞希の匂いで充満していた。
予想の内ではあったのだけれど、この匂いは先程より二つの気持ちを強めてくれる。
……特に安心感を。もちろん、愛おしさも。
思わず、俺は瞼を開けた。
すると、目の前で枕に頭を預けている瑞希と目が合った。
──……もう一回、したいな……
「……ああ、俺も……」
脳内の言葉にそう答えて、俺たちはまた唇同士を合わせていた。
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