幕間【私の気持ち…?】

 私、須藤瑞希すどうみずきは今日も幼馴染の立花愁たちばなしゅうくんの家に来た。

 理由はもちろん、一緒に登校するため。


 しゅーくんの家の前でしゅーくんが来るのを待ち、上機嫌に鼻歌を歌う。

 すると、家のドアが空いて、しゅーくんだと思った私の顔は自然に笑顔になる。


 ……しかし、出てきたのはしゅーくんではなかった。


 出てきたのは、しゅーくんの母親である光夏みつかおばさんだった。

 相変わらず二児の親なのか疑ってしまうほど美人さんだけど、その顔は青い。


「瑞希ちゃん……」

「光夏おばさん……?どうしたの……?」

「愁が倒れちゃって…迎えに来てもらって悪いんだけど先に行って貰えないかしら……?」


 それを聞いても、私は一瞬、理解することが出来なかった。

 ただ、頭の中でこの言葉が反芻する。


 しゅーくんが……倒れた……?


 少しして理解した私は自然と笑っていた顔がすぐに青くなり、光夏おばさんに近づく。


「しゅーくんが倒れたって、大丈夫なんですか!?」


 前のめりになって、私は光夏さん叫んだ。目の前はぼやけて見えにくいけど、それどころでは無い。


「……わからないわ……頭から血を流してて、顔がすごく赤かった……」

「え……」

「今は怪我の応急処置をして寝かせてるけど、後で病院に連れていくわ……

 だから瑞希ちゃん、悪いんだけど……先に行ってて貰えないかしら……?」


 想像以上の状態に私の頭は真っ白になる。

 今すぐにでもしゅーくんの様子を見たいけど、光夏さんの必死なお願いに、私は頷くことしか出来なかった。



 □



 時間がとても長く感じたけど、昼休みになった。


「瑞希ちゃ〜ん。彼氏の幼馴染が休んだからって元気なくしすぎじゃない?」


 そうやっていつもの様に陽気な調子で声を掛けてきたのは、特に仲のいい友達の神崎陽菜子かんざきひなこ、通称陽菜ちゃん。

 私は弱々しく陽菜ちゃんの方を振り向き、笑顔を作る


「彼氏じゃないよ陽菜ちゃん。それに、私は元気いっぱいだよ?」

「どこがですか。先程からぼーっとして、物事に集中していませんでしたよ?」


 そうやって呆れ気味に指摘してくるのは、陽菜ちゃんと同じで特に仲のいい若林天月わかばやしあづき、通称あづちゃん。


 確かに、あづちゃんの言う通りだと思う。


 しゅーくんが心配で、勉強もできないのに授業に全く集中出来なかった。

 そして、休み時間の度に話しかけてくる男子達も、言っていることがよく分から無かった。


「だって、しゅーくんが倒れたって…」

「「倒れた!?」」


 二人の声に、賑やかだったクラスは静まり返った。視線はもちろんこちらに向いている。

 しかし、すぐにまた賑やかになった。


「休みとしか言われてなかったけど、倒れたってどういうこと!?昨日元気だったじゃん!」

「何があったんですか!?」


 二人が慌てだしたけど、私にも分からないから首を横に振ることしか出来なかった。


「朝、迎えに行った時に光夏おばさん……しゅーくんのお母さんに聞いた話だし……

 だけど、頭から血を流して……顔を赤くしていたらしいよ……」


 段々と小さくなっていく私の声に、二人とも黙って聞いてくれていた。

 私は、朝みたいに目の前がぼやけていた。


 頬に流れる雫を拭い、やっと自分は泣いているということを自覚する。


「あはは……私、なんで泣いているんだろうね。ただの幼馴染で、赤の他人なのに……」


 何故か『ただの幼馴染』『赤の他人』と口にする時、自分で言っていることなのに胸が苦しくなっていた。

 これもまた不思議ではあったけど、泣いている姿を見せるのは良くないよね。


「陽菜ちゃんあづちゃん、お昼ご飯食べようか!」


 いつも一緒に食べているしゅーくんと食べることが出来ないことに、今もまた、何故か胸が苦しくなった。



 □



 午後の授業も集中すること無く終わり、とぼとぼと一人で家に帰った。

 一人で帰るのは久しぶりで、数日前まではいつも通りなのにとても寂しく感じていた。


 電話で光夏おばさんにしゅーくんの容態を聞いたら、命に別状はないが症状がどういったものなのか不明で入院しているとのこと。

 現状だと、倒れてから9時間立つけどずっと唸って目を覚まさないらしい。本当に大丈夫なのかな……


「ただいま……」

「瑞希……おかえりなさい」


 私の気持ちを察してるのか、キッチンに立っているお母さんは眉を下げていた。

 お母さんに何だか申し訳ない気持ちになりながらも、私はソファにバッグを置いてすぐに踵を返す。


「……しゅーくんのお見舞いに行ってくるね」

「……私も行きますよ」


 「え?」と目を見開いて振り返ると、お母さんはエプロンをたたみながら近づいてきた。その表情は真剣で、冗談じゃないことが伺える。


「お母さんもいくの?」

「小さいころから瑞希と一緒に育ててきてますからね。心配で仕方なかったんですよ」


 『一緒に』という言葉でなぜか胸が温かくなる。


 お母さんの言葉に私は頷き、一緒にリビングをでた。



 □



 お母さんと一緒に近所の病院に訪れ、受付で手続きを済ます。

 エレベーターに乗ったりして光夏おばさんに聞いた部屋へ向かう。この間、私とお母さんの間には沈黙と重い空気に包まれていた。


 部屋の前にたどり着き、お母さんが扉をノックすると、中から「どうぞー」という光夏おばさんの声が聞こえてきた。


「失礼します」

「し、失礼します……」


 お見舞いをするのなんて初めてで、お母さんの後ろで緊張しながら部屋に入る。


 恐る恐る部屋の中を見渡す。

 小さい冷蔵庫とテレビだけが置かれた生活感の薄い部屋で、落ち着きそうではあるけど寂しくなりそうでもあった。


 そして、ベッドで眠っているしゅーくんと、その傍でパイプ椅子に座り、しゅーくんの様子を見ている光夏おばさんが居た。


「こんにちは」

「こ、こんにちは……」


 先程から緊張が抜けきれず、弱々しい挨拶になってしまう。

 光夏おばさんはこちらに体を向け直し、一番心配しているであろうにも関わらず笑顔を向けてくれた。


「こんにちは、しずくさん、瑞希ちゃん。わざわざ愁の為にありがとう」

「いえ、私達も心配でしたので。愁くんのご様子はどうですか?」


 改めてしゅーくんを見る。しゅーくんはゆっくりと息をしながら寝てはいるけれど、その顔はとても苦しそうだ。

 その顔を見て、私は眉を下げる。


「今はまだマシにはなっていますが、先程までは苦しそうに唸っていて……早く目が覚めるといいんだけど……」

「しゅーくん……」


 スカートとタイツが汚れるのも構わず、私はベッドに近づく。膝立ちになって、布団の中に手を入れしゅーくんの手を取った。

 早く目が覚めて欲しい、元気になって欲しいと念じ、両手で力強く握りしめる。


 するとしゅーくんは、苦しそうな顔を段々と崩していった。

 少し大きかった息も静かになり……最終的には、安心しきった可愛い顔で、安らかに眠るようになった。


「! すごい……瑞希ちゃんが握ったらすぐに……」

「よかった……」


 私はほっ、と安堵の息を漏らす。ひとまず、本当に良かった……


「……瑞希」


 お母さんが呼んできたので振り返ると、お母さんは真剣な表情でこちらを見ていた。

 一体どうしたんだろうと、しゅーくんの手は握ったまま私はお母さんに向き直る。


「……この状況で、と思うでしょうが、話が変わります。

 その話とは、昨日の晩に話した、貴方が愁くんに対しての好きが、今の状態だけではないはず……ということについて」

「………」


 何を言いたいのかまだ分からなかったので、私はお母さんの言葉を待つ。


「……それを今、考えてください」

「……今?」

「はい、今です。今じゃないと、貴方は恐らく、それが一生分からないしょうから」


 お母さんは真剣な表情のまま、しかし熱をこもった声でそう言った。

 難しいことではあるけれど、私はお母さんの言うことに従い、考えることにした。



 私はまず、しゅーくんのことが好きだ。大好きだ。


 しゅーくんは、昔から私と遊んでくれて、話しかけてくれた。

 その時に見せる笑顔は、とても眩しくて…それを私に向けてくれることが、私は本当に嬉しかった。


「……瑞希。今日、愁くん関係で、何か感じたことはありませんでしたか?思ったことではなく、''感じたこと''です」

「感じたこと……?」


 お母さんがアドバイス?を言い、それを私はオウム返しで答える。


 思ったことじゃないってことは、寂しいや辛い……じゃない。

 感じたこと……か。そういえば今日……


「そういえば今日、愁くんの名前が出た直後に、胸が苦しくなったり、温かくなったりしたよ。それ……じゃない?」

「それじゃないでしょうか。さて、それを感じたのはなぜだと思います?」


 なぜって……それは……

 ……なんだろう。簡単なようで、とっても難しく感じる。


 本題である、しゅーくんが好きだから……?

 幼馴染として、家族として……隣にいる事が当たり前で……


 ……いや、違う?


 幼馴染や家族だと……何かが少し違うような……

 なんでかは分からないけど、それだとぽっかりと心に穴が空いてしまうような気がする……


 じゃあ、好き以外の理由?

 でも……それだったら、何なんだろう……


「……瑞希、それじゃあもう一つ。これまで、愁くんの仕草や言葉で[ドキドキ]や[キュンッ]と感じたことはありませんか?」

「ふふ。雫さん、その表現って……」


 光夏おばさんがお母さんの言うことに、笑いを堪えていた。お母さんはそんな光夏おばさんを頬を膨らませて睨んでいる。


 ドキドキ……?キュンッ……?


「心臓の鼓動が早く感じる時がそれですね」

「……あっ……ある、かも……」


 最近でも、愁くんの笑顔を見たり、彼氏…とか言われると……心臓の音がうるさくて、胸が苦しくなる。

 これが[ドキドキ]や[キュンッ]なのかな。


「それってなぜでしょうか?」


 また、なぜ……。追加でこれを質問してくるってことは、やっぱりさっきのは好きだから、であってるのかな……

 それならやっぱり、幼馴染として、家族としてしゅーくんのことが好きだから……?


 ……違う。

 無意識にそういう結論が出たけど、今思えば私はそう断言できる。


 ……それじゃあ、他に何が……


「瑞希」

「うん?」

「好きの種類は、幼馴染や家族としての[Like]だけじゃないですよ。大まかに言うとですが、もうひとつあります」


 がLike……?他に好きって意味の英語は……


 その時、昔にしゅーくんと一緒に読んでいた恋愛小説を思い出す。


【Likeじゃない。Loveだ…】


 そうか、[Love]か!

 ……Love?……ええっと……


「……LikeとLoveって、何が違うんだっけ……?」

「日本語の意味だと、[Like]がお気に入り。そして[Love]が、[愛]です」

「愛」

 

 私が感じているのが[Like]だとしたら、お母さんが言っているのは[Love]だと思う。

 でも……[愛]が、よく分からない。どういうものなんだろう。


「簡潔に言うと、お気に入りが好みに合う。つまり、隣にあると安心するもの。

 しかし[愛]はその物に惹き付けられる。つまり、いつまでも感じたいもの、です」

「うーん……」


 なんだか難しい話だなあ……


 えっと、[Like]……しゅーくんが、隣にいて安心……もちろん、する。

 そして、[Love]……しゅーくんを、いつまでも感じていたい……あるかもしれない。


 ずっと一緒にいて欲しいし、新しいこともどんどん知っていきたい。

 なんだろう……逆に、しゅーくんが一緒にいない所を今想像すると……胸が苦しい。

 隣で私に笑顔を向けて欲しいし、話して欲しい……


 ……あれ?なんだか心臓がどんどんうるさくなってきて……顔が、熱い……?


「……ふふ、瑞希。それが私が求めていた答えです」

「え?」

「貴方は知らなかったでしょうが、その胸が苦しい気持ちは[恋]、と言います」

「恋……」


 今まで興味がなかったけど……これが、[恋]?


 いまいちピンとこない私は、改めて、しゅーくんの顔を見る。

 すると……何故か、心臓が止まってしまった。


 ずっと見ていたい気持ちと、今すぐに逸らしたい気持ちが混ざりあった。

 そして、どんどん胸が、苦しくなって……


「……やっと分かってくれましたかね」

「雫さん、すごいですね……よくもまあ……」

「まあ、自分の娘ですし」


 そんな会話が聞こえてきたけど、もう私の耳には入ってこなかった。

 ただ、しゅーくんを見てると……心臓がうるさい。これが……[ドキドキ]、なのかな。


 視線があちこちに向き、私はどこに向けばいいかわからなくなった。

 ふと、視界にしゅーくんの手を握った私の手が映る。


「──ッ!?」


 バッ、としゅーくんの手を勢いよく離してしまった。慌ててまた握ろうとしたけど…顔が熱くなるばかりで、手が動かない。


「ん……」


 すると、しゅーくんが喉を鳴らす。

 視線がしゅーくんで固定されて見てみると、しゅーくんは段々と目を開いていった。


 ぼーっとした目で上半身を起こし、ゆっくりと首を回して周りを見渡す。その目が私を捉えると、しゅーくんは首を傾げた。


「……瑞希?」

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