第十話【久しぶりの俺の家】

 〇


 男の子と女の子は、知り合ってから互いの家で一緒に遊ぶ事が日課になっていました。

 遊びに行くと言っても、二人とも本を読むことが好きだったので、二人で本を読んで過ごしています。


 それがとても長い間続いていた、ある日のことです。

 高学年になったばかりの二人の間で、こんな会話が繰り広げられました。


『しゅーくん。私、次この本が読みたい』

『瑞希もか?俺もこの本が読みたいな』

『しゅーくんも?』


 男の子と女の子は、久しぶりに読みたい本が一致してしまいました。

 今回も別々に読もうか……と男の子は考えましたが、女の子はそうでなかったようで。


『じゃあねしゅーくん。ちょっと座って?』


 女の子のなにか閃いたような声の弾みに、男の子は不思議に思い首を傾げます。


 しかし、男の子は素直に言うことを聞いて床に座りました。

 男の子の座り方はいつも通り胡座。女の子はそんな男の子に背を向けます。


『瑞希?』

『よいしょっと』


 本当にどうしたのかと、男の子は女の子に呼びかけます。

 しかし、女の子はそれを無視してちょこんと座りました。


 びっくりした男の子に、女の子は顔だけ振り向かせてこう言いました。


『これで一緒に読めるよ!』



 ●



 俺、立花愁たちばなしゅうは幼馴染の須藤瑞希すどうみずきをリビングに招いた。


「とりあえず、好きに座っといて」

「あ、うん。わかった」


 瑞希がダイニングテーブルに着いたのを確認し、俺はレンジに入れていたホットミルクを取り出す。

 瑞希は猫舌なので、温め始めてからそんなに時間が経っていなくても大丈夫だ。


「はい。昔と同じでホットミルクで良かったよな?」

「ありがとう。よく覚えてるね?」

「まあな」


 昔は何度も家に来ていたのだから、覚えるのも当然な話だ。


 尤も、あの頃は今のようなリビングではなく俺の部屋ではあったけど。

 ……しかし、歳的に俺の部屋に招くのはさすがに危ない。


 そんな事を考えながら、瑞希の向かい側に俺も腰掛ける。

 クッキーを食べるのを促すように手のひらを向けると、瑞希は「ありがとう」と言ってクッキーを摘んだ。


「……家に来たのはいいものの、何をするんだ?」

「んー……考えてなかった」


──クッキー美味しいなあ……


 褒めて頂き光栄ではあるけれど、考えていなかったのか……

 ……いや、脳内にそれについて何も響いてこなかったから、粗方察していたけども。


「はむっ……<もぐもぐ>」


──美味しい……


「……いや、じゃあなんで来たんだ?」


 このままゆっくりティータイムで終わりっていうのは、些か現代の高校生とは思えない過ごし方な気がする。

 いや、そもそもとして。何もしなかったら何だったんだこの時間、ってなってしまう。


「……しゅーくんの家に来たかったから?」

「それ自体が目的なのか……」


 ……まあ、そういうことならば別に構わないんだけど。

 のほほんとホットミルクを啜る瑞希を見て、俺は苦笑する。


「あ、でもね」


──しゅーくんの部屋……


「しゅーくんのお部屋には入ってみたいな」


 言葉と思考が同時に行うという、急なことにフリーズして俺は相槌をうてなかった。


 ……ちょっとまて、大丈夫なのか?


 いや、別に何もしようとはしていないし、変なものも全く置いてはいない。

 ただ……やめよう。瑞希のピュアな心にならって、俺も煩悩無しでいこう。


「……わかったよ。何も無いけどいいか?」

「うんっ」


 そういう事なので、俺は丸トレイを用意して、それにクッキーと飲み物を乗せる。


「じゃ、いくか」

「うんっ」


──しゅーくんの部屋、今はどんな感じなんだろ


 別に、昔と大して変わってはいない。だけど、そうは言わずに無言で階段を上がる。

 瑞希も後ろからトコトコと軽い足取りでついてきた。どれだけ楽しみなんだろうか。


 階段から左に曲がって、右手にあるのが俺の部屋だ。


 ちなみに左手には妹である千冬ちふゆの部屋。

 階段から右に曲がって左手に、父さんと母さんの寝室がある。


 俺の部屋のドアを引き、瑞希を先導する。

 正直言うと、丸トレイを持っているため片手がキツい……


 「ありがとう」と瑞希は部屋に入り、俺も入ってドアを閉める。

 瑞希の方を見ると、瑞希は俺の部屋を見回していた。少し恥ずかしい。


──本当に何も変わってないなあ……


 懐かしむようにうっとりとした瑞希を横目に、俺も改めて部屋を見渡した。


 空色のカーペットを敷いた茶色の床に、白い壁や天井のシンプルな部屋。

 そこそこ落ち着けるデザインで、個人的には満足している部屋だ。


 入って左側には、まず勉強机。

 その隣に昔読んでいた本と辞書や参考書を入れた本棚、その奥にはベッドがある。


 右がはかなり広めのクローゼット、のみ。

 俺はオシャレには疎いので広くても困るんだけど、なんとかフル活用している。


 ……それ以外には何も無い、生活感も男子高校生としては無い方な部屋だ。

 昔からこんな部屋ではあったけどな。


──……えっちな本とかあるのかな……本棚の本の奥とか、ベッドの下とか……


「ないよ……」

「え?」

「ああいや……ごめん。なんでもない」


 急に何を思っているのかと思えば……


 たしかに、一応は歳相応に知識とかはあるけどな?

 そういうのは18歳になってからで……いやいや、一体俺は何を考えてるのだろうか……


「……まあ、とりあえず座れよ」

「うん。ありがとう」


 そう言ってトコトコと奥へ向かい、''ベッドに''座った瑞希。

 ……一応男の部屋なんだから、もう少し注意して欲しいところではある。


 仕方ないな、と俺はため息を吐いて、一回勉強机にトレイを置いた。

 それからクローゼットの中の丸テーブルを瑞希の前に設置し、トレイを改めて置いた。


 そして俺は勉強机に着くと、瑞希がぼーっと明後日の方を見ていることに気がついた。

 彼女は無意識なのか、脳内には何も響いてこなかった。


「瑞希?」

「あっえっ、と、何?」

「いや……どうしたんだ?ぼーっとして」


 ……あー、なるほど。


 やっと脳内に瑞希の声が響いたから、何が言いたいのかがわかった。

 瑞希を見ると、瑞希は頬を赤くしてモジモジとしている。


「……写真、飾ってるんだなぁ……って」


──私と同じだな……


「……まあ、初めて会った日だし、初めて撮った写真だからな」


 瑞希は恐らく、ベッドのバッグボードの上の壁に飾られた写真を指しているのだろう。

 それは12年前。幼稚園の入学式の時に、瑞希と撮った写真だった。


 俺は昔から、この写真だけはずっとこの壁に飾っている。

 ……瑞希も飾っているとは思わなかったけど。



 『初めて』の後に''瑞希と''が入るのだけど、なんとなく恥ずかしくなって省略した。

 しかし、瑞希はちゃんと俺の言いたいことが伝わっているようで……


──理由も全く同じだっ……嬉しい……うぅ〜……


 何やら限界が来て、心の中で悶えているらしい……顔も真っ赤だ。

 安心してくれ。違う理由だろうけど、俺も心の中で悶えている。


 羞恥と嬉しさがすごい。

 正直、気持ち悪いだろうか……とは思ったけど、そんなことは無いらしい。


 ……なんとも言えなくなって、腰を浮かして丸テーブルに置いているクッキーを摘む。

 しかし、無意識に瑞希もそうしようとしたらしく、指と指がぶつかってしまった。


「ご、ごめんっ……」

「ああ、いや……」


 瑞希はそう言ってすぐに手を引っ込めた。俺は顔を熱くし、目を逸らしてゆっくりと腰を下ろした。


 しばらく、沈黙が続く。音が鳴っているのは、時計の針の音のみだ。


「………」

「………」


──き、きまずいっ……


「……まあ、それも何も全部大して変わってないだろ?」

「う、うん!そうだね!」


 耐えきれなくなって、申し訳なくなって。だから沈黙を破ると、瑞希も勢いよく頷いた。

 それがなんだか面白くて、俺は思わず吹いてしまった。


「……なんで笑ってるの?」

「ふふ……ごめん、瑞希のその反応がな?」

「むー……」


──しゅーくんのバカ……


 心の中でだけどなんとも可愛らしい侮辱である。それが更におかしくて、俺は笑いを止めることが出来なかった。


「もー!!!」



 □



「私は怒っています」

「はい。すみません……」


 ずっと笑っていたからか、瑞希が怒ってしまって何故か正座をされられてしまった。


 瑞希は腕と足を組んでベッドに座って俺を見下ろしている。

 睨んだ目付きではあるのだけれど、頬が膨らんでいるためかなんとも微笑まし……いや、なんでもない。


「だからしゅーくんには責任を取ってもらいますっ」


 そんな大袈裟な……そして、何を考えているんだ瑞希。

 脳内に響くことに対して抗議したい。現実での君の顔も、真っ赤ではないか。


 まあ、そんなことは言えるはずも無く。瑞希は恥ずかしながらもこういった。


「後ろから抱っこしてください!」


 ………。

 ………。


「後ろから抱っこしてください!」

「いや、聞こえている。恥ずかしいなら二回も言わなくていい」

「なら先に言ってよぉ!」


 別にフリーズしていた訳では無いのだけど、内容が内容なだけに……ね。


 ちなみに、そう思いついた経緯としては昔を思い出したかららしい。

 瑞希が来る前に俺も思い出していたから、なんとも言えない気持ちになる。


 しかし、深呼吸深呼吸……


「……瑞希はいいのか?俺はこれでも男なんだけど」

「え?わかってるよ?」


 ならばなぜそうキョトンとした顔ができるんだろうか。偶に意味がわからなくなる。


「……いいんだな?」

「つべこべ言わずに!はい胡座かいて!」


 そう命令されたので足を崩した。すると瑞希はぴょんっと立って、後ろをむく。


「じゃあ、失礼します……」


──恥ずかしい……


 何故それは恥ずかしがる?前もだけど、なぜ異性は気にしないのに行動は気にする?

 赤い顔のまま、瑞希はゆっくりと腰を下ろしていった。


 その時、瑞稀の臀部が目の前に来て思わず目を瞑ってしまった。

 次に、体全体にとても柔らかい重力がかかると、今度は目を見開く。


 目を開くと、光沢のある黒い景色が視界の大部分を支配する。

 息をすると瑞希特有の甘い香りがして、接触している瑞希の体全体は暖かい。


 瑞希は体育座りで、あぐらをかいた俺の体にすっぽりと入っていた。

 そんな彼女は、目の前でゆっくりとこちらに振り向いき、口を開……ッ!?


「手を回してくれると……嬉しいです……」


 その言葉は脳内には響いていたけど、追いつかなくて俺はフリーズしてしまう。

 瑞希がなぜそう至ったのかがわからない。仮にも、俺は男で瑞希は女だ。


 そう葛藤してしばらく固まっていると、瑞希が自ら俺の手を取って自分の腹に回す。

 俺は思ったように体が動かせず、瑞希のなすがまま彼女の腹に腕を回してしまう。


「……あったかい……」


──安心する……──


<ガチャ>


「あ、いるじゃないか愁。悪いんだが飯を──」


 咄嗟に振り向くと、父さんが扉を開けて立っていた。


 ………。

 ……父さん目線、横向きではあるけど、俺と瑞希の体勢はわかりやすいだろう。


<──きぃぃ……>


 ………。


「ふぇ!?椿翔つばさおじさん!?」


 椿翔つばさとは父さんの名前だ。この際紹介しておくと母さんの名前は光夏みつか


 ……そうじゃない。瑞希はフリーズしているけど、さすがに誤解を招いたかもしれない。


 俺は却って冷静になり、器用に瑞希から抜けてから部屋を出る。

 彼女が体育座りじゃなかったら、もしかしたら抜けれなかったかもしれない。


 父さんは、両親寝室前で体育座りしていた。みんな体育座りが大好きなのだろうか。


「うう……愁が、もう大人に……」

「誤解するな。瑞希と昔を懐かしんでやってみただけに過ぎない」


 事実ではあるけど、自分で言ってて大胆すぎる高校生だな、俺たち。

 まあ、一応は瑞希が一方的にそうしたんだけども……


「……本当なのか!?父さん信じていいんだよな!?」

「……いや、何にそんなに必死なんだ。仮にそうだったとしても、俺は法律を守る主義だ」


 本当に自分で言っててとても恥ずかしいので言わせないで欲しい。

 だけど、父さんの説得はこれが一番早い。16年育てられているからわかる。


「そ、そうだよな……よかった……」

「何がだよ……で?今日は仕事じゃなかったっけ?」

「あ、ああ。残りの仕事をするだけだったから、午前中には帰るつもりだったぞ」


 先に言ってくれよ……俺、仕事あるとしか聞いてなかったんだけど……

 ……いや、たしかに父さんが土曜に仕事あるのは珍しいけどさ。


「……瑞希。とりあえず誤解は解けたけど、昼飯くってくか?」


 俺は再度自室に戻り、ドアを開けて瑞希にそう呼びかける。しかし、瑞希の反応は……


「あわわ……あわ……」


──椿翔おじさんが……おじさんが……


 ……ダメだ。完全に取り乱している。

 俺は部屋に入って、瑞希の肩を揺すった。


「おーい」

「ひゃい!?え、しゅーくん?」

「……昼飯いるか?そろそろ頃合だろ」


 突然叫ばれて少し驚いたけど、俺は落ち着いた口調でそう訊いた。

 実は、その表情が面白くて頬が緩んでしまいそうになったのは秘密だ。


 ……瑞希はとても驚いた顔をしたけど、俺の言葉で落ち着いたようだ。

 彼女は「んー」と、唇に指を当てて俺の答えを考え出す。その仕草も様になっているな。


──お母さん作ってるかな……でも、しゅーくんのも食べたいなあ……


「……欲しい」

「わかった。じゃあしずくさんに連絡しとけよ」


 そう言って、俺は部屋を出た。

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