第二話【助け船と思わぬ+α】

 茜色の光が入り込む教室の中。俺、立花愁たちばなしゅうが頷くと、須藤瑞希すどうみずきは輝いた笑顔を見せた。


「ほんとっ!?」

「嘘をつく必要が俺にないだろう」

「うんっ」


──やった!


 心の中でガッツポーズをとっているであろう瑞希に、俺は苦笑する。いくらなんでも喜びすぎじゃないだろうか?


 俺は席に戻って置いてあったリュックを背負い、「行こうか」と瑞希を促す。

 瑞希は喜びを隠そうとせずに頷き、教室を出た。その時に浮かべた、目を細める笑顔に、俺は思わず放心してしまった。


「しゅーくん?」

「……ああいや、なんでもないよ」


 可愛らしく首を傾げる瑞希に首を横に振り、瑞希を追いかけるように歩を進めた。



 □



 靴を履き替えて、俺たちは校舎を出た。

 近所の高校に入学しているので、俺と瑞希は徒歩登校になっている。


 二人で横並びに歩道を歩く。

 疎遠だった事もあってか、瑞希は申し訳程度に俺と距離を開けて歩いている。その距離はおおよそ拳7個分くらいだろうか。


「こうして一緒に帰るのも久しぶりだよね。いつぶりだっけ?」

「小学生までだったから、大体4年ぶりじゃないか?」

「そっか。懐かしいな〜」


 瑞希は言葉通り懐かしむように天を見上げるが、微かに暗い表情をしている。


──もう4年もしゅーくんを避けてたんだ……しゅーくんは今、どう思ってるのかな。やっぱり、怒ってるのかな


 瑞希が俺の様子を伺ってきた。その時まで瑞希の影がある表情を無言で見ていた俺は、咄嗟に前方へと視線を戻す。


 それから瑞希はじぃ……っと俺を見るので、何だか話しかけづらい。

 別に怒っていた訳では無いから、話題を変えられないだろうか。


 そう思ってた矢先、瑞希が肩にかけているバッグを持ち直した。その時のバッグの揺れる音は、どうも重々しい。


「瑞希のバッグ、重そうだな。持とうか?」

「え、大丈夫だよ?」

「まあまあ。俺のリュックは軽いんだ、持たせてくれ」


 遠慮していた瑞稀だったが、俺が手を差し出すと「じゃあ、お言葉に甘えて」と肩に掛けていたバッグを渡してきた。

 渡してくる時の表情は綻んでいて、夕日のせいか頬は赤く染まっていた。


──しゅーくん、昔と変わらず優しいなあ……昔も手提げカバンとか、持ってくれてたっけ


 また懐かしむような表情になる瑞希。先程とは違って、その顔はどこか明るい。


 俺はというと、むず痒さからそんな瑞希から顔を逸らしていた。

 瑞希のバッグで揺れる昔お揃いだったキーホルダーの音が、俺の心をかき混ぜていた。



 □



 あの後、俺たちは双方無言で家路を辿った。その無言だった時間は気まずくはなく、むしろ心地よいものだったと俺は思う。

 瑞希の方も俯いてはいたものの、脳内には良い方向の言葉しか響かなかったので、同類のようなものを感じていたはずだ。


「今日はありがとね。じゃ、またね!」

「ああ。また明日あした


 俺の言葉に、瑞希は目を見開いた。


──『また''明日''』って言ったよね!?えっ……嬉しいな……


 そんなつもりで言った訳では無いのだけど、嫌がっている素振りもないから気にする必要は無いだろう。


 隣の家なので軽く手を振りながら、家に入ろうとした途端<ガチャッ>と音が鳴った。

 それは、扉が開く音ではない。


──……あれ?え、ちょっと待って。鍵閉まってるの!?


 鍵を持っていないのか、<ガチャガチャガチャガチャ>と扉を何度も開けようとする瑞稀の姿が視界に広がる。

 俺も家に入ろうとはしたが、気になってしまって扉も開けずに瑞希を見ていた。


「ドアが開かないのか?」

「え、しゅーくん?」


──まだ家に入ってないんだ


 目を見開いて俺を見る瑞希。

 俺たちの家の扉が近いから聞こえただけなのだけど、瑞希はまだ俺が家に入ってないのに疑問を抱いているようだ。


 説明のしようがないので、俺は瑞希の疑問を無視して口を開く。


しずくさんは?」


 雫さんとは瑞希の母親だ。専業主婦なので大体は家の中に居て、昔遊びに行った時にとてもお世話になったのを思い出す。


「あ、うん。今から連絡してみる」


 そう言って瑞希はスマホを取り出し、弄り出した。おそらく、SNSで雫さんに連絡しているのだろう。

 直に、スマホをカバンに閉まった瑞希は暗い表情をしていた。


「どうだったんだ?」

「急用で外出したんだって。夜まで帰れないみたい……」


──私が鍵を持ち歩いてないのが悪いんだけど……このままじゃ家に入れないよぉ……


 ……さて、俺はどうすればいいのだろうか。

 そう思っていると、タイミングを見計らったかのように立花家の扉が開いた。


「……あれ、お兄ちゃん。おかえり」


 俺の妹、千冬ちふゆだ。茶髪のショートカットが目立つ中学二年生。

 「おかえり」とだけ返すと、「ん?」と千冬はドアノブを手にかけたまま俺が視線を向けていた方を見る。


「……あれ?瑞ちゃん?」

「え?あっ、冬ちゃん!」


 俺とは疎遠関係だった瑞希だけど、冬とは中学生になっても普通に仲良くやっていた。


──冬ちゃん、久しぶりに見るけど大人の女の子になったなあ……


 ……尤も、高校生になってからは関わっていなかったらしいけど。

 中学生になった冬が部活で忙しいから、あまり会えていなかったらしい。


「瑞ちゃん、どしたの?」

「それがね……お母さんがお出かけしちゃって、しばらく家に入れないの……」


 瑞希の言葉を聞くと、千冬は唇に人差し指を当てて何やら思案しだしたようだ。


「……じゃあさ、久しぶりにうちくる?良かったら、晩御飯も」

「おい、冬。晩飯は俺が作るんだけど?」

「……え、何。嫌なの?」


 ギロッと冬が俺を訝しげに見た。俺はそれを見ても、表情を変えずに首を横に振る。


「たしかに食材はあるし、俺も断るつもりはない。しかし、それは冬が決めることじゃない」

こまか……で、どうする?瑞ちゃん」


 俺の注意を華麗にスルーし、再度瑞希に目を見張る冬。心が読める俺としては、もう家に入ろうとしていた。


──久しぶりにしゅーくんと晩御飯……それも、しゅーくんの手作り……!


「あの……じゃあ、お願いできないかな?」

「だって、どうする?お兄ちゃん」


 俺は微かに首を引いた。その微かな変化を冬は見逃すこともなく、瑞希を手で招いた。


 思わぬ事態ではあるが、ツーステップ目……クリアだろうか。



 □



 包丁を叩く音が鳴り、炊飯器は蒸気を吹いていた。キッチンに立ち、エプロンを巻いた俺は包丁を振るって次の食材を捌く。


「久しぶりに来たよ〜立花家。懐かしいなあ」


 概ね4年ぶりの訪問に、瑞希はテンション高めにリビングを見渡していた。

 冬との接触があれども、瑞希は俺と関わらなくなって以降家にも来なくなっていた。


「本当に久しぶりだよね。瑞ちゃんがウチに来るの」


 両親は仕事が忙しいため、ダイニングテーブルに座るのは瑞希の他に冬しか居ない。

 女子二人で昔話に花を咲かせ、まるで姉妹のような空間が作り上げられている。


──しゅーくんの料理姿、初めて見るけどかっこいいな…


 ……脳内に響く、瑞希の心の声は除いて。

 俺は平静を保ってはいるが、瑞希の視線をチラチラと感じるためとても居心地が悪い。


──あ、いい匂い……しゅーくんって料理上手なのかな?


 話すのは冬の方ばかりなのに、考えるのは俺ばかりとはこれ如何に。冬の話もしっかりと聞いてあげて欲しいものだ。

 ……生憎、''照れ隠し''というツッコミは受け付けていない。他を当たってくれないか。


「お兄ちゃ〜ん、あとどれくらい〜?」

「米が炊くのと同時には出来上がる計算だ。あと10分程待ってくれ」

「ほんっと細かいよねえ……わかった〜」


──誠実そうではあるよね


 そういう良い方向に無言で例えるのはやめて欲しい。どこかむず痒く、胸が締め付けられる感覚に軽く陥ってしまう。


「……ただ、早く食べたいのなら皿を出してくれないか。大皿に小皿、そしてお椀にお茶碗」

「……それ、ダジャレのつもりなら下手すぎない?分かったよ〜」

「わ、私も手伝うねっ」


──作ってもらってるんだから、ちょっとでも役にたたないと!


 本当に誠実なのはどちらなのだろうか。先程もだが、誰に対しても負の感情を抱かずに誠実な姿勢で接してくるその姿。

 心を読めるようになって俺が悩んだことがなかったのは、瑞希のその性格のおかげだというのに。瑞希は更に相手を敬うのか。


「幼馴染でも客なんだ。瑞希はゆっくりしてもらっていても、俺は構わないが?」


 そんな事を思いながら、俺が苦笑しつつも瑞希に問いかけると、瑞稀は俺を見て目を丸くさせていた。


──……しゅーくん、私のことまだ''幼馴染''だって思ってくれてるんだ……嬉しいな。


「……まあ、瑞希がそういう性格なのは理解しているつもりだけどな」


 そんな当たり前のことを咎めるつもりは俺にはない。そもそもとして、幼馴染という関係はそう簡単に崩せるものでは無いだろう。

 ……そう、簡単には。


──しゅーくん、私の事理解してくれているんだ……なんでか分からないけど、目を離すことが出来ないな……


 俺は特に何も言うことはせず、ただただ無言で食材を捌いた。

 瑞希が何故か、俺をずっと見ていることに気づきつつも……



 □



 皿に料理を盛り付けて、ダイニングテーブルに並べる。一汁三菜米付き、和食メニューだ。


「美味しそう……」

「……でしょ?お兄ちゃんの料理は絶品だよ」


 何故に冬が誇らしげなのか、少し不服げなのははツッコまないでおくけど、瑞希に見た目の感想を頂けるだけありがたい。

 味が合うかどうかはわからない。まあ、瑞希の好物を少し混ぜてるし、大丈夫だろう。


「召し上がれ。お代わりもあるから」


 後で帰ってくる両親のため、そして明日の弁当のためかなり多めに作っている。客が来たとしても、余裕で足りていた。


「「いただきます」」


 二人が箸を進め始めたので、俺も席について手を合わせる。冬はほうれん草のおひたしを口に含むと、幸せそうに咀嚼しだした。

 瑞希の方はというと……


──やっぱり美味しい……美味しいな……


 脳内に響いた途端、俺は胸を撫で下ろす。

 瑞希を見ると、瑞希は上品に口元を手で覆い、輝いた目を見開いていた。


「しゅーくん!美味しいよ!」

「ありがとう。喜んでもらえてよかったよ」


 飲み込んでご丁寧に感想をいう瑞希に、俺はできる限りの笑顔を見せる。

 すると、急に瑞希は箸を止めてぼーっとしだした。見ている方向は、俺。


──しゅーくんの笑顔……やっぱカッコイイな……


 ………。


 顔が熱い。恐らく、俺の顔は赤くなっているだろう。

 それを誤魔化すため、俺は冷えた麦茶を喉に流し込む。冷たい、そしてなんだか甘い。


「瑞ちゃん?」


 冬がぼーっとしている瑞希に疑問を抱いたらしく、顔を覗き込んだ。その瞬間に、瑞希は我に返ったのか、速い瞬きを繰り返した。


「え?あっ……何?冬ちゃん」

「いや、ぼーっとしてたから……」

「ふぇっ!?えっと……なんでもないよ?」

「そう?ならいいけど」


 冬は気を取り直して白米を口に含む。瑞希はというと、顔を赤くして鮭を箸で摘んだ。


──うぅ〜……恥ずかしい……


 こっちのセリフだよ、全く……



 □



 あの後、俺と瑞希は話すことが出来なかった。甘い気まずさが俺たちの空間を支配していたからだ。


 食べ終えてから皿洗いをしていると、リビングでくつろいでいた瑞希が立ち上がった。


「お母さん帰ってきたみたいだし、私も帰るね。ご馳走様でした!」

「おう。お粗末さま」

「送るよ〜瑞ちゃん!」


 瑞希は最後にぺこりと礼をした後、ドアを開けて冬と一緒に姿を消した。


──美味しかったなあ……いつかまた来たいなあ……


 まだ皿を洗っていた俺の脳内に、また瑞希の心の声が響いた。

 それを聞いた俺は、再度熱くなってきた顔に冷水をかけた。

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