第3話 おまけ

「え、これ……」


僕は返す言葉が見つからないまま、視線はさや姉と手元の指輪とをうろうろする。


「もう、ほんと、あたしバカみたいじゃない」


まだ少し涙でぐすぐすとした声でさや姉が文句を言った。ザクザクと足元の砂を踏みつけながら、大股に僕のもとへと歩み寄った。


「ねえたっくん、じゃあそのリュックの中のアクセサリーは誰にあげるものなの?」


さっきから語気の強さが尋常じゃない。まるで尋問されているかのようだし、そんな攻撃的なさや姉も初めて見る気がした。


「こ、これですか。これは妹に頼まれたおつかいで……」


「は?」


狐につままれたようなさや姉の顔。殺気立ったオーラが風に吹かれたように消えていくのを感じていた。


「えっと、つまり妹の買い物を替わりに僕が……」


最後まで説明できずにぼそぼそと声が小さくなる。さや姉はちょっと俯いたままで何も言わない。謎の沈黙が数秒続く。


ぺしっ。


僕の肩を小さく叩く。


べしっ!


少し強めの2発目。


ばしん!!


「いや、流石に痛いですさや姉」


突き倒さんばかりの3発目に思わず抗議する僕。


「知らないよ!たっくんが悪いの!自業自得なの!」


言葉の切れ目でさらに僕の肩をべしべしと叩く。妹のおつかいに付き合わされたのがそんなに不服だったんだろうか。なおも泣き笑いのような表情をしているさや姉を見て、僕はようやくその理由に思いあたった。


 そういえば一度も、さや姉に『妹のおつかい』であることを伝えていなかった。だからさや姉から見れば、女の子へのプレゼントとは縁遠そうな僕が、誰かにアクセサリーをあげようとしているように見えたのだ。ましてや品物を選ぶでもなく、受け取ったものは決まっていたし、お金を払ったのも僕自身だった。それを見ていたさや姉は、僕にもう心に決めた相手がいるように映ったのだろう。


 そう思うと、いくつか合点のいくことがある。さや姉の左薬指に指輪がはまっているのに気づいたのは、あのお店を出た後だった。それは、僕がそれまで気づかなかったのではなく、あの直前にさや姉が指輪を嵌めたからじゃないだろうか。多分、石が手のひらにくるように反対向きに。わざわざサイコロを右手に持ち替えて振ったり、コップに指輪がコツコツぶつかっていたりしたのは、そのせいだったのだ。


 でもまだいくつか気になることがあった。例えばさや姉からのLINEの通知だ。さっきのツーショット以外に数件の通知が入っていたのを覚えてる。当然、今日さや姉に会うより前にLINEは来ていないし、それから写真を撮るまでにさや姉が僕にLINEをする理由もない。


 思う存分僕を叩いたからか、さや姉はバッグからハンカチを取り出して目元を拭っていた。


「あーあ、また化粧が崩れちゃったよ」


しかしその言葉は、さっきまでの怒りの雰囲気が幾分和らいでいた。ちょうど近くにベンチがあったので、僕はさや姉を促して2人で腰掛けた。夕日がだいぶ沈んで、空はゆっくりと茜色から深い紺色に変わっていく。その境目は紫色が滲み合って、まるでお互いの色がじんわりと溶け合っていくようだった。


「ほんとはね、今日はたっくんに会いに来たんだよ」


鴨川の方を見ながら、さや姉は遠い目をして言った。僕に向けた言葉とも、ただの独り言とも思えた。


「京都まで出てきたのは良いものの、たっくんを呼び出していいかな。そもそも今日は何か予定があるかもしれないし。そんなこと色々考えてた。思い付きだけで来ちゃったのを、結構後悔したりもしたよ」


僕はうん、と小さくうなずいた。さや姉はそれを見ていたかわからないけど、優しい声で続けた。


「でもやっぱり会いたくて、とりあえずLINEだけ送って見ようと思って。軽い感じで、たっくんが何か予定があっても断りやすいように、とか考えてたらね、あの交差点でばったり。もちろんびっくりしたよ。でもすごくホッとしてた」


あの自然な仕草の裏で、さや姉がどんなことを思い、どんなことを考えていたのかを知ると、何だかこそばゆい感じがする。そして多分あのLINE通知は、書きかけていた僕へのメッセージを、僕を見つけた拍子にうっかり送ってしまった分と、それを後で削除した分だったのだろう。


 お姉さんでしっかり者で、人の気持ちの機微を読むのが上手くて、それなのに気を回しすぎて寂しさを一人で背負い込んでしまう。そんなさや姉が、愛おしくてたまらなかった。不器用すぎる僕たちだから、たった1つの想いを伝えるのにも、こんなに回り道をしてしまう。でもそれを嫌だとは思わなかった。


「さや姉」


僕はそっと彼女を呼ぶ。ずっと右手に握っていたあの指輪を、さや姉の左手の薬指にそっと嵌めた。今度は青い石がちゃんと見えるように。


「ありがとう、さや姉」


彼女の頭をそっと撫でた。するとさや姉は僕により掛かって、僕の肩にこつりと頭を乗せた。


「好きだよ、たっくん」


夜空には星がきらめき始めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

眼鏡と髪留め シャルロット @charlotte5338

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ