第一章 覇者の列席と世界の渦 2 遺された民と模造の神
――エクスレア大陸 北東部海域上空 浮遊島『クヴァリス』内部
エクスレア大陸空域に侵入し、アルベイン王都を攻撃する危険性のあった浮遊島クヴァリスは、ディックたちによって撃退され軌道を変えた。
『覇者の列席』はその事実を把握し、ディックたちに接触を試みた。彼らの実力を試そうとしたのは、クヴァリスの件による衝撃が『列席』にとって大きかったことを意味していた。
列席の上位者たちはディックたちに興味を持ちながら、『盟主』の指針に従い、カルウェンがディックたちのもとに赴くこととなった。
「そうして手に入れた『遺された民』の技術、『時空間転移』。全く、どのような原理で発動しているのか理解を超えていますね」
球状の斥力結界に包まれ、何者も近づくことができなくなっていた浮遊島(クヴァリス)。その内部に、青い鎧を着た青年と、身の丈よりも大きな魔杖を持つ少女がいた。
一人目は『覇者の列席』序列第一位、カイン・アシュバーン。
二人目は序列第二位、アストルテ・ルー・ルティス。
人の身で世界の頂点に近い強さを手にしたと言われる二人は、クヴァリスの最深部へと向かっていた。
今は浮遊島の中層を通る回廊に差し掛かっている。島の内部に入り込んでいるはずが、回廊の周囲には青い空が見える――それは幻燈晶によって作られた光景だった。
「『全知の魔導書』と言われる君のことだ、もう解析は終わっているんだろう?」
アストルテはその問いかけを否定しない。無言の肯定と受け取り、カインは笑った。
そうされるとアストルテも黙ってはいられないというように、口を開く。
「そんな呼び名は勝手につけられただけで、私にはふさわしくありません。ミラルカ・イーリスによって、世界の広さを教えられたばかりですし」
「彼女は『可憐なる災厄』と呼ばれているんだったか。俺でも敵わないかもしれないな」
「あなたが注目するべきは、同じ魔法剣士のディック・シルバーでしょう」
「魔法剣士……か。それが彼の本分なら、負ける気は無いが」
「それだけではないということですか。それほど万能な適性を持つ人物がいるのなら、やはり一度は会ってみたいものですね」
話しながら歩く二人の後ろには、動かなくなった竜翼兵の残骸が幾つも転がっている。彼らは会話をしながら、何事もなかったように、襲撃してくる竜翼兵を撃退しているのだ。
「「――ガァァァァッ!!」」
カインが使っているのは東方諸島で作られる特徴的な反りのある曲剣。彼はその剣を抜いたところすら見せずに、咆哮しながら襲いかかってくる竜翼兵を両断する。
アストルテは竜翼兵が魔力弾を口から放った瞬間、形状が似ていながら倍の威力がある魔力弾を返し、竜翼兵の上半身を吹き飛ばした。
「彼らはゴーレムのようなものなのに、よくここまで戦闘能力を持たせられたものだ」
「戦闘強度のみで五万八千前後……こんなものが何百体もまだ残っているのですから、よほど大事なものがこの先にあるということですね」
「まだクヴァリスは機能を停止せず、ディックたちが撃破した分の竜翼兵を再生産していた……いや、この浮遊島に、誰かがもう一度火を入れた」
カインは言い終えると同時に、アストルテの放った魔法を自らの剣で受け止め、四体同時に襲いかかってきた竜翼兵を切り払った。
――蒼刃流刀術奥義 斬魔彷滅(ざんまほうめつ)――
剣や斧、槍と矛を繰り出そうとした竜翼兵は、空中で動きを止める。
そして真ん中から一文字に断ち割られ、上半身がずれ、音を立てて崩れ落ちた。
「『アルベイン魔王討伐隊』のディックも、パーティでの合わせ技を得意としているようですが。私達も負けてはいませんね」
「彼は一人でも戦えるが、仲間の力を借りることを知っている。そういう人間は数字で測ることのできない強さを持っている……『異空の神』の一側面、九頭竜を滅ぼしてみせた実力は、世界最強と呼んでいいものだ」
『列席の眼』を通じて、カインとアストルテはディックたちがもう一つの世界――『第二世界』に転移していたこと、そこで果たしてきたことを伝えられていた。
アストルテはカインがはっきりと『世界最強』を口にしたことに驚く――『覇者の列席』の第一位こそが最強なのだと、今でもそう考えていたからだ。
「俺は、自分が世界で一番強いと思っていた」
「私も、自分が見てきた人の中ではあなたが最も強いと思っていました。ですが……きっとあなたと私だけでは、『九頭竜』を倒すことは……」
「ああ……倒せるか分からない。そんな相手を先に倒された以上は、実力を認めざるを得ないだろう。だが、自分で想像していたより、悔しいと思ってはいないんだ」
自分の手を見ながら表情を変えずに言うカインを見て、アストルテは苦笑する。
「あなたは純粋なのでしょう、強さというものに対して。だからこそ、私たち『列席』の者たちは、あなたが最強だと認めているのです」
銀色の髪――『遺された民』と近い特徴を持つ少女は、カインに微笑みかける。
心ここにあらずという顔をしていたカインは、我に返ったように頬をかいた。
「妹のような相手にたしなめられるというのも、なかなか悪い気はしないね」
「あなたと私は、一応相棒(バディ)です。今くらいは、認めてくれてもいいと思うのですが」
「認めているよ。だからこそ、俺は――」
そのときカインに起きた異変に、アストルテは気づかなかった。
「……カイン?」
「……ああ。今の話の続きは、また後にしておこう」
「あなたでも緊張したりすることがあるんですね」
カインは答えないまま、先に進み――床に描かれた転移陣を起動させる。
「……通常の転移ではない。こんな方法を、事前に伝えられていたのですか?」
アストルテは転移陣の内容を読み解いていた。本来は最下層にのみ転移できるはずの魔法陣の行き先が、より深部に書き換えられている。
陣の外の光景が変わる――カインたちの目前に、巨大な樹木の根のようなものが広がっている。
辺りを照らしているのは、その根に絡め取られた赤い魔石だった。ゆっくりと胎動するように、光は強まり、弱まることを繰り返す。
「これが……浮遊島『クヴァリス』の心臓……?」
アストルテが呟いた瞬間、地面が盛り上がり、竜翼兵の姿を模した像が姿を現す。
次の瞬間、赤い魔石から魔力が送り込まれ、竜翼兵が生命を与えられる。しかし動き出す前に、カインは竜翼兵に素手で触れて、その魔力を吸い上げる。
それこそが、カインが列席の第一位に座ることができた理由。人間としては並外れた『渇いた器』に、他者の魔力を汲み上げ、際限なく強くなることができるという能力。
動き出さずにサラサラと崩れ落ちる竜翼兵の像を、アストルテは目を見開いて見ていることしかできなかった。
「……カイン……あなたは……」
「ここまで同行してくれたことには感謝しているよ。だが、謝らなければならない」
カインは柔らかく微笑む――人としての温度を感じさせない表情で。
戦慄がアストルテの身体を走り抜ける。彼女は冷静を保つように努めながら、あってほしくはないと思いながら、彼女なりの推測をもって言った。
「……『盟主様』……」
カインは答えない。その無言が、雄弁に答えを表していた。
盟主の精神体は、カインとアストルテとともにクヴァリスの内部に侵入していた。そして今は何らかの目的のために、盟主はカインの身体に宿り、操っている。
「このためにカインを見出し、列席の一位に置いたのですか……?」
アストルテはカインの気配が明確に変わるまで気づかなかったことを悔いていた。
青い鎧の青年の目には、何の光も宿っていない――虚ろな目をして、本来の彼ならば見せないような生気のない姿に、アストルテは動揺を押さえきれず、それでも目をそらすことはしなかった。
「初めからこうするつもりだったわけではない。そう言っても、信じてはもらえまい」
カインの身体に宿った『盟主』は、カインの振る舞いを模倣することを止める。
姿こそ違えど、あたかも身体を持っていたころの盟主に対峙しているような感覚を覚え、アストルテはそれを皮肉だと思わずにはいられなかった。
「……我の手で『異空の神』を消し去ることは、もはや敵わぬ。しかしこの地上で最強に近い肉体を借りることができれば、その限りではない」
「盟主様……いえ。あなたは、私たちに託してくれたのでは無かったのですか。あなたが用意した『列席』に座ったときから、私たちは同じ意志を共有しているはずではなかったのですか……!?」
ただ無言のまま、カインに宿った盟主はアストルテを見つめる。
「返事がないということであれば……あなたはカインの身体を使い、死地に向かわせようとしている。カインが自分で望んだことでなければ、それを看過するわけにはいかない」
アストルテの身体から溢れた魔力が火花を散らせる。しかし『全知の魔導書』と呼ばれた彼女は、感情によって暴走しかけた魔力さえも抑え込み、全てを自らの力に変える。
「ならばどうする? 列席の第二位、アストルテよ」
「あなたを止めます。私はカインと共に『異空の神』を倒すためにここに来た。それは『カインの身体を乗っ取ったあなた』に協力するということではない……!」
アストルテは杖を構える。言葉だけではなく、実力を行使してでも止めなければならない――たとえ盟主が宿っているとはいえ、カインの身体に攻撃を仕掛けなければならないとしても。
「カインの身体は返してもらいます……っ!」
――第一破壊魔法 聖光魔導弾(スタースプリーム)――
そして躊躇なく放たれた、アストルテの魔力を爆発的に圧縮させて放った光弾は、カインの身体に届くことなく宙空で止まった。
「っ……!」
「そなたは時空間転移を経験することで、身を持って時空間魔法に開眼した。それこそが『全知の魔導書』と呼ばれるそなたの能力……他の者では換えられぬ」
「勝ったつもりで話をされるのは、たとえ相手が貴方であっても、到底承服できないと言っているのです……!」
アストルテの魔力弾が再び進み始める――『盟主』が魔力弾を防いだ方法を解析し、この場で破ってみせたのだ。
――蒼刃流刀術裏奥義 泡沫夢想(ほうまつむそう)――
しかしカインの放った剣技は、アストルテの魔力弾を無効化し――あまつさえ、刀を介して魔力を吸収してしまう。
「カイン……貴方は……」
カイン自身が抗えば、放つことのできないだろう技――蒼刃流刀術。
それを盟主が使ってみせたことの意味を、アストルテは理解せざるを得なかった。
「……カイン自身の技ではないかもしれぬ。それでも、杖を下げるか」
ただ、操られているだけではない。カインの意志で盟主に力を貸している。そう理解してもなお、アストルテはまだ折れるわけにはいかなかった。
「私は……カインが全てあなたの思い通りに動いているとは思っていません。納得はできません……ですが、ここで戦うことにも意味はないと分かっています」
盟主はアストルテの言葉を反芻するように目を閉じ、一つ間を置く。
そして、大樹の根に絡め取られた赤い魔石に近づいていく。見上げるほど大きな赤い魔石が、徐々に輝きを強めていく。
「浮遊島の民は、かつてその過ぎた魔法文明を持て余し、神を自分たちの手で作ろうとした。そのためにまず作られたのは、神たるものの力の源。恒久的に魔力を生み出し、蓄えることのできる魔石……それがこの『擬神核』なのだ」
「神を自分たちの手で作ろうとしたというのですか。それほどの力を持って、互いに争って滅びたと……」
「――そうではない」
虚ろに響いていた盟主の声に、初めて震えが生まれる。
その感情は、怒りだった。そうとしか言い表せないと、アストルテは感じた。
「神は、初めからいたのだ。この世界を作り、外側から見ている存在……『異空の神』。それは擬神核が完成したときから、この世界に干渉を始めた。浮遊島の民は異空の神によって、滅ぼすべき対象と見なされた」
「……神を……作ろうとしたから……?」
「異空の神に感情などない。自分の存在を脅かす可能性があるものを排除するという行動原理のみで動いている。それが世界の摂理なのだろうと諦め、二千年前の浮遊島の民たちは、自分たちの滅びを受け入れた……私と、あと数名の生き残りを除いて」
滅ぼされた種族――『遺された民』の生き残り。
アストルテはその事実に薄々と気づいていたが、盟主自身の言葉で聞かされるまでは、断定することはできずにいた。
アストルテ自身もまたその髪色から、『遺された民』の血を引いていると思われるふしがあった。遠い先祖のことを知ることができるかもしれないというのも、彼女が列席に参加した理由の一つだった。
カインもまた、盟主が『遺された民』であると察していても、確信は得られてはいないとアストルテは思っていた。
しかし今となっては、カインがどこまでのことを知っていたのか、ここに来る前にはすでに盟主の目的を察知していたのか。それらについてアストルテ一人では答えを出すことができなかった。
「……二千年の間、あなたは復讐のために……」
「異空の神はこの世界の外側にいる。二千年の間、この世界は気まぐれで生かされていただけなのだ。私には、それをどうしても許すことができなかった」
その目的に共感し、アストルテは祖国を出て『覇者の列席』に属した。
それゆえに、アストルテには盟主の行動を止めることはできなかった。たとえ、長く行動を共にしたカインの身体を使われていても。
「私は……どうすればいいのですか? 私がここにいる以上、果たす役割があるはずです」
盟主が必要としたのは『擬神核』の器となる身体――カインだけではない。アストルテはそう察しをつけて、盟主が口を開くのを待つ。
「この擬神核の力を使い、時空間魔法を発動する。異空の神が存在する場所……『神の座』につながる扉を開くために」
カインは胎動する擬神核に手を伸ばす。アストルテはこれ以上何かを問いかけることなく、魔杖を構え――『彼女もまだ使ったことがない』新たな魔法を発動させるために、自らの足元に魔法陣を展開した。
――魔法創生 時空間転移 『世界の扉』――
アストルテは杖を振り、空間に魔力文字を描いていく――しかしすべて書きあげる前に、アストルテは杖を止めた。
「『遺された民』の技術……あらゆる攻撃を別の世界に逃がす『時空間防御』。その原理を利用し、『時空間転移』は完成しました。しかし私は『神の座』がどこにあるのかを知りません。たとえ別の世界に転移できても、目的地が分からなければ……」
最後に書き入れなければならないものは、目的地。未知の場所を想像しただけで転移できるというほど、魔法というものは曖昧なものではない。
魔法の詠唱とは、世界の理を動かすための手続きを行い、実際の世界に現象を起こすもの――アストルテの祖国で千年をかけて出されたその結論に、ミラルカ・イーリスがすでに到達していると知ったとき、アストルテは魔法の深淵を久しぶりに覗いたように感じた。
可能であれば、ミラルカと魔法について語りたかった。あるいは、互いの実力を比べ合うことにもなったかもしれない――ここに来る前に会えていたならば。
「向かう先は忘れようもない。異空の神が現れたその瞬間と、戻っていくその光景は、私の魂に刻まれている」
「……っ、ぁぁ……!!」
盟主の思念が、そのままアストルテの頭に流れ込んでくる。
――燃え盛る浮遊島。無数の竜翼兵が飛び回り、神級兵器の吐き出す破壊の吐息は、浮遊島の民たちの生命を見る間に刈り取っていく。
「……世界を、守る……そんな考えなんて、貴方には、最初から……」
「感情が時とともに擦り切れても、消えていなかった。私にとっての全てだった世界を壊した存在を、今でも憎悪している。自らの手で消し去らなければならない。他の全てを犠牲にしたとしても」
「……列席に加わった皆は……あなたのことを本当に尊敬している人間ばかりです。彼らに、今の貴方の言葉は聞かせられません」
「カインも、そなたも感じていたはずだ。強くなるということは、自分より弱い者を置き去りにすること。力を求めれば、誰もが最後は孤独になる」
その孤独を癒やすために、アストルテは『覇者の列席』に寄る辺を求めた。
アストルテは盟主に操られているカインの姿を見る。彼もまた、あまりにも強すぎたがゆえに、死に場所を求めて『覇者の列席』に座った。
「列席に座った彼らがいたからこそ、私たちはここに立っています。それでも孤独と言うなら、それはただの驕りでしょう」
盟主は答えない。しかしアストルテは、乗っ取られているはずのカインの瞳に、確かに盟主には無い感情の揺れを感じ取った。
「……最後に一つ聞かせてください。そのカインの身体を、貴方はどうするつもりですか?」
「それは『異空の神』を滅ぼしたあと、『神の座』からこの世界に戻ってこられるのかという問いと同義となる。そなたには私が敗れたとき、次の英雄を送り込むためにこちらに残ってもらわねばならない」
「次の英雄……ディック・シルバーたち。彼らは異空の神の一側面をすでに倒している。それこそ、彼らにこれまでの非礼を詫びて、共闘を願うべきでした」
それを選ばなかった――待たなかったのは、盟主自らの選択。
『異空の神』への復讐。元の身体を無くし、精神体となっても、盟主は自らの手でそれを果たすときを待ち望んでいた。
(……盟主ヒューゴーの見ている先は、永い時の間、たった一つだった。それを支えた『彼女』は、どんな思いで傍にいたのか……)
盟主と同じように、彼女――『列席の眼』マキナは、感情を表に出すことが無かった。
人智を超越した賢者とと言われながら、アストルテは今も感情に支配されている。
『列席』に加わってからその背中を見続けた存在。カインをどうすれば救えるのか、そのための方法が幾万通りも脳裏を巡る。
(……盟主の支配からカインを解放しなくてはならない。けれど私たち『列席』の目的は、『異空の神』を倒すこと。その最後の一線だけは、違えられていない)
「あなたが見た『神の座』の想念を、そのまま詠唱に変換。異空への扉を、開きます」
「……そなたには無理を強いた」
「……その顔で言うのは、卑怯ではないですか」
アストルテの心情を慮るようなことを口にしても、盟主の選択は変わらない。
「時空間転移……座標指定を完了。『神の座』に至る扉よ、開け……!」
立体魔法陣が完成し、カインの身体を通して『擬神核』から膨大な魔力が吸い上げられ、アストルテの作り出した魔法陣に注ぎ込まれていく。
「これが……クヴァリスの……神の『心臓』の力……」
盟主の声に、アストルテはわずかな違和感を覚える。
何かが、違う。そしてアストルテは思い出す――クヴァリスが、なぜアルベイン王都に向かって動き出したのかを。
クヴァリスは『異空の神』の干渉を受けていた。
ディックたちによってクヴァリスの軌道は変わり、アルベインは滅亡を免れた。しかし、クヴァリスが完全に解放されていなかったとしたら――。
「っ……盟主様、『擬神核』から離れてください!」
アストルテが呼びかけても、盟主は微動だにしない。
カインの肉体は擬神核の魔力の受け皿として役割を果たす――魔力に反応し、その鎧と髪が血のように赤く変わっていく。
「……これが……本当に、人間を超えるということか……」
「――カインッ!」
アストルテが叫ぶ。
空間に亀裂が生まれ、『世界の扉』が開く。
同時に、アストルテは悟った――カインの中に、別の何かが宿ったことを。
盟主でも、カインでもない。『擬神核』の力をその身体に取り入れたカインの身体に、『世界の扉』の向こうに潜んでいた何かが入り込んでいく。
「――お……おぉぉっ……あぁぁぁぁぁぁぁっ……!!」
盟主は獣のような雄叫びを放ち、その身体を仰け反らせる。アストルテは杖を構えながら、盟主、そしてカインに起きた変化を見ていることしかできない。
「――アストルテ……罠……擬神核は、すでに……異空の……」
盟主の目にかろうじて正気の光が戻る。しかしそれは幾らも続かず、血の色の髪に変わった剣士の身体は電撃に打たれたように跳ねる。
そして次の瞬間には。深紅に染まった英雄は、その刀を抜き放ち――明らかな殺意を持ってアストルテに向けていた。
「……倒せ……奴ごと、俺を……」
それは盟主ではなく、カインとしての声のようにアストルテには聞こえた。
しかしカインの気配はすぐに塗りつぶされ、別のものに変容していく。
「カインッ……! 盟主様、カインを解放してください! 今すぐに……っ、そうでなければ……っ!」
「……排除しなければならない……我が神を、脅かす者を……」
「盟主様っ……!」
アストルテが声を振り絞っても、盟主の正気は失われたままだった。
(異空の神の残留思念が、擬神核に残っていた……そして、世界の扉の向こう側にいた『神の本体』を引き寄せ……盟主様と、カインを……)
『神の座』に向かうために必要な魔力を供給する擬神核。その力をカインの身体に注ぎ込むことは、外からの干渉に対して無防備になることを意味していた。
盟主、そしてアストルテは致命的な見落としをした――それとも異空の神は周到に、この瞬間を待っていたのか。
「……アストルテ……俺を……」
「……っ!」
動けずにいるアストルテに、盟主が手をかざす。その口調は紛れもなくカインのものだった。
「……っ、ぐ……うぁ……」
「カイン……すぐに私が助けて……っ」
カインの意識はまだ消えていない。『異空の神』の支配に抵抗し、アストルテに自分を撃つように訴えかける――しかし。
アストルテが攻撃できないと悟ると、カインの瞳が閉じられる。そして、アストルテが展開した立体魔法陣に近いものが、カインの身体を中心に展開した。
「――待っ……!」
次の瞬間、アストルテは地上から遥か高くに広がる、曇天の空にいた。
転移をさせられた――カインは剣の腕だけで列席一位に就いたわけではない。
ディックを知るまでは『世界最強』を自他ともに認められていた、魔法剣士。カインは剣だけでなく、魔法でもアストルテに比肩しうる力を持っていた――『時空間転移』を模倣して発動できるほどに。
「っ……!」
アストルテはカインの転移魔法を阻止できなかったことを悔いながら、その空気の希薄さによる影響と極低温を防ぐために、魔力の防壁を展開する。
――『防壁の二重檻(プロテクトプリズン・ダブル)』――
防壁に包まれたまま、飛行魔法を使って、アストルテは視界を遮る雲から逃れる。
そして見たものは、浮遊島クヴァリスの姿。
空は赤く染まり、クヴァリスの周囲に黒い雷が迸る。この世の果てのようなその光景を前にして、アストルテは理解する。
「……世界を滅ぼそうとするもの……異空の神が……」
『世界の扉』を開いて異空の神を討つ、盟主はそのためにカインとアストルテをクヴァリスに送り込んだ。
結果としてその行為は半分は成功し、半分は失敗した。
『世界の扉』は開かれ、異空の神は侵攻を始めようとしている。あれを討つことは、自分ひとりではかなわない。
「……『列席の眼』……マキナ、聞こえますか」
『事態は把握しています。盟主ヒューゴーは、異空の神に干渉を受けて……』
「私たちの誰かが敵に操られることはないと、可能性を排除していましたが……それが最も有効な方法であることを考えれば。そして、異空の神が私達の知識を超越した存在であることを踏まえれば、最悪の最悪を考えておくべきでした」
『……私は……』
「盟主様はカインの身体に宿り、『擬神核』の力を手に入れて、『異空の神』を倒そうとしていた……それをあなたが事前に知っていたとしても、盟主の行動を変えることはできなかった。話しておいて欲しかったという思いはありますが、それはただの泣き言です」
――第一破壊魔法 煌天星魔導弾(メテオスプレツド)――
アストルテが杖を振り、彼女の周囲に、空間を捻じ曲げるほどの力を帯びた魔力弾が幾つも発生する。
クヴァリスの上部から、無数の竜翼兵が飛び立つ。アストルテはそれらが散開してしまわないうちに、魔力弾を打ち込んだ。
流星のように降り注いだ魔力弾を受け――前回は一撃で破砕されたはずの竜翼兵たちが破損しながらも飛び立ち、アストルテに向かって空気を突き破るような速度で飛んでくる。
大気との摩擦熱で燃える彼らの姿を見ながら、アストルテは再び詠唱を始める。
「借り物の力で私を倒せると思ってもらっては困ります。身分を弁えなさい」
――異空の神の支配下に置かれた盟主、そしてカイン。そして、全ての人間に敵する浮遊島クヴァリス。
それらを前にしてアストルテは一歩も引くことなく、世界の敵に立ち塞がった。
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